5話


 病室の前に着いて、ノックする。

 直ぐに返事が返ってきて、僕と千夏は扉を開けて中に入った。


「やあ、ハジメくん、久しぶりだね」


 ベッドの上にいる涼夏さんの他に、その傍にスーツ姿の姿勢の綺麗な壮年の男性がいた。僕も知っている人だ。


つかささん、お久しぶりです」


 そう言って頭を下げる。


『家系が法律家が多くいる家柄でね、法をつかさどるから、つかさなんて付けられて、そして、付けられた名前そのまま法学部に進んで、弁護士になっちゃったんだよね。と違ってレール通りの人生ってやつさ』


 そう笑って叔父さんをこれ呼ばわりしながら、実は日本最高峰の法学部をあっさり中退していた事がわかった叔父さんの、大学からの友人だと自己紹介してくれた彼にはとてもお世話になっている。

 家族の事故の時も、叔父さんと共に相続の件だったり、今の家の名義を叔父さんとしつつ、僕だけの住所とするような内容など、様々な手続きをしてくれた人だった。


 定住せずあちこちの国を跨いで移動している叔父さんの代わりに、時折電話やメールなどで気にかけてくれている。

 今回、涼夏さんと、千夏の父親の件で相談したところ、二つ返事で自分で担当してくれたのだった。


「そして、そちらが千夏さんだね。初めまして、僕は森田司もりたつかさと言います。そこのハジメくんの、そうだね、親戚のようなものかな」


「……初めまして! 南野千夏と言います、ハジメくんにはその、凄くお世話になっています!」


 ほう、と優しげに千夏を見て、そして意味ありげに僕の方を見る。


「なるほど、ところで千夏さんは、具体的にはハジメ君とはどういった関係なのかな?」


「え……? あの……えっと、ハジメくんとはその、恋人、です」


 真面目な顔で真っ直ぐ視線を向けて司さんが千夏に訊く。

 急な質問に千夏がどもりながらもそう答えると、司さんは破顔した。


「うんうん……そうかそうか。いやぁ良いねぇ、ハジメくん、こんな綺麗な彼女がいるなんて前回話したときには言っていなかったよね? まぁ相談があるって言って南野さんを紹介してもらった時から、ただの友達ってわけじゃないんだろうなぁとは思っていたけれど」


「ちょっと司さん、千夏が困ってるでしょう? からかわないであげてくださいよ……それに忙しい中来てくれてるはずなのに、会って最初の質問がそれってどうなんですか?」


 ため息をついて僕は言った。


「いやいや、大事なことだよね。僕の身内になるかもしれない人達のための手続きなら、より仕事にも身が入ろうとも言うものさ…………あ、お客様は平等に、をモットーにしているから今のはオフレコでね」


 そう言って、え? と言って僕と司さんを見比べている千夏に、口の前に人差し指を立てて悪戯小僧のように笑う。西東京周辺では名の知られた弁護士事務所を経営していると聞くのに、茶目っ気のある、それでいて地に足の付いた大人な人だった。


「さて、じゃあ本題に入らせてもらおうかな。まずハジメくん、そして千夏さん。よく頑張ったね……ハジメくんも、女の子を守ってタクシーで逃亡なんて中々できることじゃないね。いやー、愛は人を変えるとはよく言ったものだね」


「……司さん、本題本題……ってかこれこのまま僕も一緒に居て良いのかな?」


 敢えてだとは思うのだが、すぐ話が逸れそうになるのを僕は静かに突っ込む。そしてちょっと疑問のように言うと、そっと千夏が僕の手を取った。見ると、涼夏さんも頷いてくれている。

 司さんには元々涼夏さんから話があったのだろう、それを見て微笑み、そして真面目な表情を作って続けた。

 

「……さて、千夏さん。一通りはハジメくんから涼夏さん――お母さんに渡った情報によって、こちらで親権についての手続きは進められる。あちらにも弁護士はいるけれど、恐らくこちらの言い値通りの要求が通るだろう。まぁ、そもそもとして涼夏さんが要求を変更しようともしているのだけれどね……その上で、君には二つだけ、少し酷な選択をしてもらわなければならない」


「はい」


「まずは一つ、離婚する男女に15歳以上の子供がいた場合、その親権は子供の意思というものが尊重されることが多いんだ。これは、例えば今回のように、明らかに父親側に非があると認められた場合でも適用される事例もある。そして、子供がどちらの親権を希望するかによって、当たり前だが養育費などの慰謝料の扱いは変わることになるんだ」


「はい」


「今回については、お父さん側の事情もあって……簡単に言えば千夏さんに明確に意思表示の機会を与えることがないまま涼夏さん側に親権という話で進んでいた」


「はい、聞きました。だからお父さんが…………」


「うん、推測でしか無いけれど、そういうことなんじゃないかと僕らは考えている。つまり、それにきっちり対抗するためには、正式に千夏さんが涼夏さんとの暮らしを希望していることを書面で示しておく必要がある」


「はい…………うちは、正直うちの大事な人にああいう言い方をして、お母さんの事も悪く言うお父さんを信じられません。それに、お母さんはきちんとうちとも話をしてくれました。なので、うちはお母さんと一緒に居たいです」


「…………千夏」


 司さんの説明をきちんと呑み込んで、そう言い切った千夏に、涼夏さんが少し目元を抑えるようにするのを、僕は後ろで静かに見守っていた。


「ありがとう。そして、これは涼夏さんが決断されたことなんだけれどね。共用で使用していた家の権利や家財道具などは基本的に涼夏さんが取ることになるが、元々貯蓄は口座を分けていたようでそちらは据え置きでそれぞれのもの……そして養育費や慰謝料については、完全に請求しない方針にしたいと相談を受けているんだ」


「…………え?」


 千夏が疑問の声を上げる。

 僕も内心そう思っていた。それではまるで――――。


もの勝ちじゃないか、そう思っているかな?」


「はい、うちには正直その、お母さんとお父さんの仕事の事とかはわかってないんですけど、先日の件のせいでそうなるっていうのは、まるで我儘を言ったら勝ちみたいな……」


「そうね……そう見られてしまう面もあるかもしれないわ。でもね、千夏。元々金銭面っていう意味では、敢えて貰わなくても大丈夫だったのよ。私と、貴女の生活という意味ではね」


「そうなの?」


 涼夏さんの声に、少し意外そうに千夏が言う。


「ええ、会社員としての稼ぎとしては純粋にあの人と同じくらいは貰っていたし。こうして身体を壊してしまって言うのもなんだけど、こうなっても仕事は無くならないし、ポストとしても揺るがないくらいには、私は会社から信用を得られていたみたいでね…………だから、女としての意地とか、意趣返しみたいなものだったのよね。金銭面について、少しでも取ってやろうかってね」


 涼夏さんはそうふふ、と寂しげに笑って、そして僕の方もちらりと見て続ける。


「なのに、それで貴方達に矛先が向かってしまうなんて、親として少しこたえたわ。だからね、もうそういう意地も何も捨ててしまって、お金のやり取りという意味でも完全に縁を切ろうと思って。それに加えて、千夏からの意思もあれば、流石にもうあんなことは二度と無いと思う…………勿論、残念ではないと言えば嘘になるけれどね」


「おかあ、さん」


 千夏が、少しだけかすれた声で言った。

 それを痛ましそうに見て、司さんが事務的な言葉を、でも優しい声色で続けた。


「そして二つ目なんだが。実は養育費というものについては、子供に権利が発生する。親の義務と言い換えてもいいかな。そこで、涼夏さんの方針としては先程言った通りだが、千夏さんの持つ権利だ、キミに選択権がある。離婚というのは夫婦の問題で、涼夏さんはもう純次じゅんじさん、キミのお父さんとの関係は完全に解消しようとしている。ただ、法律上家族でなくなったとしても、千夏さんにとっては血の繋がった父親であることに変わりはないのだからね」


 千夏に伝わっているかを確認するように、司さんはゆっくりと話す。


「同様に、父親と娘という立場としては、面会の権利を相手に与えるかどうかということもある。養育費の件も合わせて、基本的に公正証書を作成して決め事をしておくのが好ましい」


「わかりました。まず、養育費の件は、お母さんが決めた通りにしてください。うちは、お金についてはわからないけれど、お母さんの負担になりすぎないというのであれば、それは従いますし、うちだって必要ならいくらでもバイトします。後……正直、今うちはお父さんに会いたいとは思えないです、顔も見たくないくらい。……でも、やっぱりこれまで優しかったお父さんの記憶もあるから、この先はわかりません」


「……ありがとう。では養育費の件のはそのようにするね。また、面会については、千夏さんの意向も改めて聞けたから、あちらからの一方的な接触は禁止した上で、千夏さんが望むのであれば、面会の機会を作るという風にできないかなと思っているんだ」


「あ…………それでお願いします。えっと、うちのこともきちんと考えてくださって、ありがとうございます」


「ふふ、そりゃあね、可愛がっている子の大事な彼女だからね……さて、ではちょっと書類に記載してもらわないといけないんだけど、それはきちんとしたものを用意して、機会をすぐ設けさせてもらうよ…………では南野さん、私は準備もありますのでこれで失礼します。後は、もう少し親子で話し合いをしながら、もし気が変わったり、変更があるようであればいつでもご連絡ください。……ハジメくんも、言うまでもないかもしれないが、支えてあげるんだよ?」


「ありがとうございます」「はい、司さんもお元気で」


 そう言って、司さんは鞄を抱えてさっと出ていった。



 残された僕らは頭を下げて見送った後、涼夏さんに向き直る。


「ありがとうね、二人共。千夏も、改めてありがとう」


 そう言って僕らにも頭を下げる涼夏さん。

 どこか肩の荷が下りたような顔をしている気がした。


「ううん、それは良いんだけど。…………ところで、ハジメも必ず一緒にって言ってたのはどういうことだったの? えっと、うちは勿論一緒に居てくれて心強かったし、知っておいて欲しかったから嫌じゃないんだけど」


 そして、そんな涼夏さんに、怪訝けげんな顔をして千夏が言う。

 確かに、僕としても聞いておけて良かったと思うが、正直居ても居なくても良かったような。


「あらあら……我が娘ながら変われば変わるものね、何ていうかもう恋する乙女そのものじゃない、貴女」


「ちょ……お母さん!?」


 そんな千夏に対して、頬に手を当ててあらあらという涼夏さんの視線に、千夏が慌てたように言う。

 だが、そんな慌てようも、続く涼夏さんの言葉に固まることになった。僕も同時に。


「まぁこれから言うのがハジメくんと貴女への私からの本題でね…………端的に言うと、? 期間はそうね、私が退院できるのが食事とか諸々調整された後の再検査結果次第なのだけど、大体二週間~三週間ほどって言われてるからそのくらい、長ければ冬休み前までかしらね?」


「え?」「……えぇ!?」


 あっさり言いましたが涼夏さん。

 それって、俗に言う同棲っていうやつなのではないでしょうか?


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