20話
南野千夏は、佐藤一が
今にも泣いてしまいたかった。
目の前にいるヒトを抱きしめたかった。
でも、佐藤が泣かないで話しているのに、うちが泣いたら駄目。そう思って歯を食いしばるようにして何も溢れないように、でも目をそらすことだけはないように、全てを聞き逃すことの無いように、じっと話してくれるのを見ていた。
それに、これはきっと、本題だけど全てではない。
全部――――全部話し終わったら、そう思って千夏は椅子に自分を縛りつけるように座っていた。
◇◆
「正直、そうして独りになった時のことは…………きっと必死だったんだと思う、きちんと覚えているのに他人事のような、テレビの向こう側に僕がいて、それを見ているような記憶なんだ」
僕は、何も言わずに聞いてくれる南野に向かって、「佐藤一」について話していた。
不思議と、あったことの順に整理して話せている気がする。
「そして、もう少し話は続くんだ。次は、僕の叔父さんの話もしないといけない」
家族を亡くした僕が最初に知ったことは、人が死ぬときには多くの書類と手続きが必要だということと、それには大人が必要になることがあるということだった。
やることは沢山あった。だからこそ、僕は絶望に呑み込まれることがなかったとも言えた。
夏休みの初日から僕は、周りの親切な大人たちに支えられながら、様々な事をした。
父や母の同僚、市役所の壮年の男性、病院の医師と看護婦の人たち、紹介してもらったお寺の方、驚くほどに皆親切で思いやってくれて、そして同情的だった。
僕は、初めて葬儀の喪主というものを務め、そして、人生で初めて、葬儀というものにもプランというものがあることや、お墓というものの値段を知る。
そして、死亡者名義の銀行からお金を引き出す事自体に、相続の問題や各種手続きがあることもまた、目の前の事を片付け続ける僕に入ってきた知識だった。
両親は普通の会社勤めの人間で、資産家というわけではなかった。
また、僕の他に家族はおらず、知っている親戚も連絡の取れないどこにいるかわからない叔父だけだった。
最終的に僕の元に残ったのは、両親が入っていた生命保険の受け取り権利、そして事故――居眠りのトラックとの衝突だったらしい――の慰謝料の権利、名義人が亡くなったことによりローンが完済となった新築の家、そして、大事故の中、奇跡的に壊れずに残った父のスマートフォンだけだった。
僕だけで可能な必要な手続きを終え、唯一の肉親となった叔父と連絡をするべく行動を始めた。
家の冷蔵庫に貼ってあるメモにも書類の入った場所にも、どこにもそういった連絡先のメモはなかったし、僕にとって唯一知っている叔父は、ふらっと現れては色んな国のお土産をくれたり、お小遣いをくれたりする不思議な人で、スマホ一つで色んな仕事をしている実業家と聞いていた。住所不定で様々な場所にいるからホテル住まいな割に、いつもキチンとした格好をした人だった。
ただ、残念なことに僕がスマホを持つようになってからは会ったこともなく、連絡先も知らなかった。
父のスマホを充電したのは、ロックを解除して、親戚への連絡先が無いかを確認するためだった。
充電して、リンゴのマークが点いた後に来たのは、大量の着信の通知だった。ロックを解除できなくても、通知内容は見れた。そして、その最新の通知がつい先程だったことに気づいた時、玄関のインターホンが鳴った。
玄関を出ると、そこには探していた叔父さんが、初めて見るような表情で、乱れた髪に乱れた服装で立っていた。
『
それが、先程の沢山の通知に表示されていた名前であり、目の前で呆然としている、僕の唯一の肉親となった叔父さんだった。
◇◆
「すまなかった」
仏壇で、長い間手を合わせていた叔父さんは、僕に向き合うと、そう告げた。
肝心な時に一緒に居なかったこと。
海外にいて、父との共通の知人からの連絡に気づくのが遅れたこと。僕一人が生き残った事を知り、連絡を取ろうと頻繁に父の携帯に電話をしていたこと。
何とか帰国して、空港からそのままの足で、伝えられていた住所を頼りに来たこと。
本当に、本当に残念だということ。
そして、そこまで話して、言葉を切って、叔父さんは僕を見ながら泣いた。
それは号泣だった。
大人の男性が声を出して泣くのを見るのは、初めてだった。
そして思いっきり泣いた後の叔父さんは、猛然と動き始めた。
あちこちに電話をして、知り合いの税理士や弁護士さんとともに、僕だけでは滞っていた様々な手続きを済ませていった。
叔父さんは、僕のことを大事にしてくれていた。
父と叔父さんは、本当に仲の良い兄弟だった。
「兄貴は、何ていうかルールが苦手で自由にしたい俺の、ただ一人の味方だった。親父やお袋、お前の爺さん婆さんとの間にも立ってくれていたし、俺が外国でふらついてる間にポックリ病気で逝っちまったお袋の最期も、その後すぐに亡くなった親父も看取ってくれた。自分にもやりたいことがあったはずなのに、手堅い企業に勤めることで安心を与える役目も、俺を自由にする役目も果たしてくれたんだ」
運だけではなく才能があったのだろう、僕の父だけしか味方がいない中、入った日本最高峰と言われる大学を中退して起業した叔父さんは、様々な障害を乗り越えつつ、経済的な成功をおさめる事となった。
でも、僕の父は成功した後も何も要求することはなく、金銭的な意味でも全く叔父を頼ることはなかった。せいぜい色んな国に行った際のその国特有の景色や、お土産を頼むくらいだったという。
「……俺は、何かを返したかったんだ。なのに、兄貴も、佳苗さんも逝っちまった。美穂ちゃんまで」
だからその分をハジメ、お前に返そうと思う。そう言って、叔父さんは僕に様々なことを教えてくれた。
何というか、自由と言う割には、生活に必要なことは意外すぎるほど何でもできる人だった。
後からわかったが、叔父さんの時間の価値は物凄く高かった。複数の会社を経営している叔父さんは、色々な場所で必要とされる人だった。
そんな中、僕が生きていけるように、叔父さんは半年もの時間を僕につぎ込んでくれた。
掃除、洗濯、料理、家の様々な必要な事項の調べ方。
両親の命に価値が付けられたような気がして、目をそらしていたお金に対しての教育も、みっちり中学を卒業するまで行われた。
得たお金を運用する知識。積立投資のことも、ETFのこと。投資と投機の違い。
お金は選択肢を自由に持てるようにするための道具にしか過ぎないこと。僕が得たお金は決して父と母が交換された訳では無く、むしろそういうときのために、父と母が設定していたリスク運用の一つなのだということ。
学生でもできる、動画編集での稼ぎ方も。
恐らく、この先の、両親がいないというハンデを背負ってしまった僕の人生で、せめて経済面では困らないように、僕の中に生きる術を叩き込んで、高校に入学すると同時に、叔父さんはまた元の仕事に戻っていった。
あんな中学の最後の季節で、僕がグレることも曲がることもなかったのは、間違いなく叔父さんのおかげだったと言える。連絡は取り合っているし、3ヶ月に一回は会っている。僕の大事な師匠だった。
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