8話


 スマホのバイブ音で目が覚めた。

 僕は割りと規則正しく目が覚める方だ、だからわかる、いつもより早い気がする。


『(南野)おはよう、起きてる? 名前考えた?』


 案の定、いつもより早い時間だった。

 バイト先もサークルの仲間も、基本僕に連絡してくる人間は夜型が多い。

 朝からメッセージが入っているのは新鮮だった。


 ――――あれ以来面倒になったからさ、高校に入ってから、男の子の連絡先登録するのは君が初めてだよ。

 ――――うん、ID来た、売らないでよ? 我ながら高値がつきそうだけども。


 別れ際、送っていくと言うのは断られつつ、連絡先を交換した時の会話を思い出す。


 そして、そういえば猫がいるんだった、道理でリビングのソファで寝ているんだったと思い出した。

 

 あの後、子猫は起きて一度だけトイレに行った。

 ちょっとそわそわしながら見ていたが、おしっこをしていたようだったのでホッとする。


 もしも、尿が出ていなかったり、ぐったりしていたら連れてきてください。

 先日の獣医師せんせいにそう言われていたからだ。


 その後も、子猫はずっと寝ていた。

 僕は、何となくスマホを見ながら、ついつい気になってリビングで夜を明かしてしまったというわけだ。


 とは言え、流石に学校を休むわけにはいかない。


 餌と水ときれいなトイレさえあれば大丈夫というのはネットの総評だったが、今日は学校に加えて家じゃできない方のバイトもある。勢いで一時的に預かる、なんて言ったものの、この子猫がどのくらい一匹で平気なのかわからないままだった。


 ソファから垂れ下がった僕の手の先に、押し付けられる濡れた感触。

 正確にはわからないけれど、生後4ヶ月ほどで、おそらくしつけもされているから、ペットショップから買われてすぐに捨てられたんじゃないかと言う話だった。

 僕には理解ができないけど、高いお金を出して買ったのに、いざ飼い始めるとなんか違うと捨ててしまう人がいるのだとか。


 グルル、グル。


 とはいえ、そんな人間の事情とは関係なく、今僕の手の甲に頭を擦り付け、喉から音を鳴らしている白い子猫は、可愛かった。


「おはよう、今日から少しの間、よろしく頼むよ」


 猫は孤高、と聞いたことがあるけれど、随分と人懐こい猫だった。

 思いつき、写真を撮って、『無事、名前はまだない』、という文言と共に返信を返す。


 返事はすぐに来た。


『(南野)めっちゃかわいい』

『(南野)朝起きたら猫とか羨ましすぎ』

『(南野)あ、昨日撮った猫の写真とともに、何人か心当たりありそうな人に頼んどいた』


 返事を見て、少し迷った末に、立ち上がった足に今度はまとわりついている猫を見て、再度返信を送ろうと思って、打っている最中に再度来たメッセージに手が止まった。


『(南野)あのさ、今日も見に行ったら、迷惑?』


 別に何かの合間に打っているのかもしれない。

 ただ、何となく、前三つの送信の速さと、それに少しテンポがずれて送られたメッセージに、おずおずと、という雰囲気を感じて、何となく天井を見上げてしまった。


 考えて、感じて、決めた。


『(佐藤)相談があるんだけど』



 ◇◆



「シロちゃんにいつでも会えるのはめっちゃ嬉しいんだけどさ。……まさか、出会って二日目で合鍵持ちの関係になるとはね」


「出会って二日ではないし、事情も事情でしょ、敢えて何かありそうな言い方しないでほしいなぁ」


 放課後、僕の家のリビングでソファに座って猫を抱きながら、南野は寛いでいた。


「にしても、友達付き合いは大丈夫なの?」


 出かける準備をしながら、僕はそう問いかけた。

 昨日の今日で、一緒に帰らなかったりするのは大丈夫なのだろうか、まぁ大丈夫なのだろうが。


「あー、ちょっと家庭の事情で猫預かることになってさ、って言ってある」


「真実も混ぜてるあたりに嘘の熟練味を感じるね」


「まぁねー。……ところでさ、うちも佐藤に質問して良い?」


 そう言いつつ、南野はこっちに首だけ向いて、尋ねてくる。


「答えられることなら」


「佐藤って一人暮らしなの?」


「……そうだよ」


「そっか、まぁそうだよね。流石にこれだけご家族の人に会わなくて鍵も渡されるとわかる、友達でも親の出張にお母さんもついてった子がいるけど、佐藤も家庭の事情ってやつ?」


「そんなところ。だからバイトの間、寄れる時は見てくれると助かる。テレビとかゲームとかは好きにして良い…………ただ、リビングとトイレ、洗面所以外は入らないでくれると助かるけど」


「入ってもいい場所に、佐藤の部屋が抜けてない? ねぇねぇ、やっぱさ、定番でベッドの下に隠してたりするの?」


「健全な男子高校生の部屋に入ろうとしないでよ。後、ベッドの下には何も無い」


 何が、とは言わないけれどベッドの下には無い。

 PCとスマホの中には、何とも言えないが。


「まぁ、それは冗談としてさ、勿論変なことはしないって誓うけど、良かったの? そのさ、クラスメートとはいえ、出会ってすぐの他人に鍵なんて預けちゃって」


 これが本題だろう。目線は猫に戻して、猫をゆっくりなでながら南野が聞いてきた。


「そっちこそ良かったの? 猫の世話とは言っても出会ってすぐの一人暮らしの男の家に入って」


 そして、質問に質問で返す。


「人を見る目はあるつもりなんだよね、まぁ中学で大失敗したのもあって気をつけてるから」


「奇遇だね、僕も人を見る目はあるつもりなんだ」


「ふふ」「はは」


 何となく気恥ずかしくなって笑い合う。


「バイトって言ってたもんね、どこ? ってかうち一応校則で今どきバイト禁止じゃなかったっけ?」


「正確に言うと、事情があり許可を得れば可能。ちゃんと入学時にも許可取ってるよ。一応駅前は避けてて、ほら、公園を下ってった先にスーパーと焼き鳥居酒屋あるでしょ、そこの居酒屋の方でバイト、高校生だから22時までだけど」


「そうなんだ、ホール?」


「ドリンクとキッチン、賄いもあり」


「だから料理できるのかー。…………こうしてみると、本当に何も知らないよね、うちら」


「まぁ、その辺はおいおい知っていくもんなんじゃない?」


「それはそうなんだけどさ」


「…………不満そうだなー、あ、でもそろそろ出ないとだ。悪いけど、帰る時、餌と水の確認と、戸締まりだけよろしくね」


「むー、何か逃げられた気がするけどバイトは仕方ない、続きはまた今度ね」


 どうやら続くらしかった。

 ちょっと仮面が剥がれて我儘も冗談交じりに言うようになった南野をあしらいつつ、僕はバイトに向かうべくリビングのドアを開ける。


「いってらっしゃい」


 南野が、そんな僕に声をかけてくれる。


「あ……うん、いってきます」


 そういえばいつぶりだろう、誰かに見送られて外に出るのは。

 声に恥ずかしさが載ってしまっていなかっただろうか、そんな事を考えていた。


 それから少しの間、そんな風に僕らはお互いのことを少しずつ知っていった。

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