7話


 南野千夏は、一人で駅までの道を歩いていた。

 先程まで一緒だった男子生徒、佐藤くんは送っていってくれようとしていたが、ちょっと一人で歩きたい気分だったので、断ったのだった。


(今日は、何か凄い日だったな。今朝はあんなに、もう何もかも嫌だって思ったのに、いや、今でも思ってるけど、何か不思議と軽くなった気分)



 ◇◆



 南野千夏の本日は、人生最低と言ってもいい幕開けだった。


 わかっていたことだったけど、正式に両親の離婚が決まったというのを聞いたのが朝のこと。

 父親は、もう家から出ていっていて春からいない。


 薄々わかっていた離婚理由が父親の不倫だったと聞かされ、慰謝料の話や、千夏の養育費はきちんとさせるから、と父親の悪口とお金のことばかりを話す母親も、あんなに家族第一、みたいな顔をしてあっさりと妻子を捨てた父親も、そして、それに何も言えない自分のことも、何もかもが嫌になって衝動のまま母親を置いて学校に向かった。


 制服を着て、学校のある駅に降りると自然と仮面を被ってしまうようになった。

 どんなにしんどくても、『南野千夏』を演じられる。

 そういう風になってしまった。


 明るくて、孤立した人も放っておけない女の子。

 男の子と話さないわけじゃないけど、友達付き合いだけで彼氏は作らない。連絡先を聞かれることもあるけど、未来の彼氏しかうちのスマホには入れないんだよね、ってかたくなに教えないので、実は理想が物凄く高いんだって話になっているのも知っている。

 恋をするより、友達の恋を応援する方がいいと、アピールは欠かさない。

 

 中学の頃を知る人が居ないおかげで、あの頃に比べたら全然楽だ。

 でも時々思ってしまう。


 

 本当のの顔はどこ?

 家ですら素で居られなくなったら、はどこでになれば良いんだろう?



 何となく、今日は朝のことがあって気持ちがしんどくなったので、先生に頼まれた用事にかこつけて一人で帰ることにした。


 公園側の道から帰ったのは、ただの気まぐれだった。

 家にまっすぐ帰りたくなかったのかもしれない。でも帰らないといけない。

 そんな気持ちで、何となく駅の方向に向かいつつ、脇道にそれてみた。


 ニャア――――。


 その時だった、か細い、何かを訴えるような鳴き声が聞こえたのは。

 


 ◇◆



 思い出しながら歩く。

 少しだけ、本当に少しだけ、心臓の音がいつもより頑張っている気がする。

 もしかしなくても、高校になって関係をまっさらにした後、男子生徒で初めて千夏のメッセージアプリに入った彼のせいだった。


(全然、『二番』じゃなかったし)


 本人も周りも受け入れているが、そんな呼び名で呼ばれることもある彼。そもそも分け隔てなく接する意図もあり、呼ばないと不自然になるほど浸透していなければあだ名で男子を呼ぶことはないけれど、そうでなくてもそう呼ぶのは嫌になった。


 異性として好きなわけではない、と思う。別段顔が好みというわけでもなかった。何というか、髪を染めるわけでもなく、ボサボサなわけでもなく。普通の髪型に普通の顔立ちで、人混みに紛れたら埋もれてしまいそうな彼。まぁ、嫌いでもないけど。

 それ以前に、中学の頃のこと、父母のこと。千夏には『好き』がよく分からない。


 ただ、ありのままで良いと許されるのは、その上で嫌わないと言われるのは、思った以上に解放感のあるものだったし、盛大に愚痴って、ご飯まで食べさせてもらって、気持ちだけではなく身体が軽くなった気がする。


 それに――――。


 あの時、捨てられている真っ白な子猫を見て、どうしようもなく自分に重ねてしまっていた。


 「助けたい」と思いながら、『助けてよ』と叫んでた。

 助けに来る誰かなんてくるわけないのに。


 でも、来た。


 そんな、どうしようもない虚無感で座り込んでいた自分を見つけてくれた。

 ほとんど絡んだことなんてなかったのに、色々やってくれた。

 隠していたはずの仮面を剥がされて、内面を吐き出させてくれて、何故かご飯を作ってお腹いっぱいにしてくれた。


「……まるで私も拾われたみたい」


 ボソッと呟いて、そんな自分に赤面する。

 そのまま、早歩きで駅まで向かう。見送ってもらうのを断って一人でよかった、そう思った。


 電車に乗って、スマホを開いてメッセージアプリを起動する。


『(南野)今日はありがとう、無事に駅について電車に乗ったよー』

『(佐藤)よかった』


 短いが、すぐに返信が来た。

 もしかしたら、風呂に入らずに待っていたのかもしれない。そんな事を思って少し頬が緩んだ。


『(南野)そういえば、あの子の名前ってどうするんだっけ?』

『(南野)佐藤が決める?』


 二駅分のやり取り。


『(佐藤)一時的に預かるだけだから、名前つけないのかと思ってた』

『(南野)でも呼ぶときに困るっしょ? まだ寝てる?』

『(佐藤)寝てる』

『(佐藤)猫の名前か、拾ったのは南野なんだから、そっちでつけてよ』

『(南野)おけ、でも佐藤も一応考えててよ、明日発表ね』

 

 佐藤くん、南野さんから敬称を抜く事を要求したのは、連絡先を聞いた玄関だ。

 飼い主を探すし、クラスではこれまで通り関わりがないようにするのがお互いのためにも良さそうだった、それなら連絡取り合うのに絶対必要だから、と自分から聞いた。


 そういえば連絡先を、聞かれる前に聞くのは初めてだった。


 自分に連絡先を聞いてくる人は、もしかしたらこんな風に緊張して聞いてきていたのか、スマホから顔を上げて、電車の窓から流れていく街並みを見ながら、ふとそう思った。


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