1章 捨て猫と彼女と僕

1話


 僕が南野千夏みなみのちなつと初めて会話したのは秋、桜坂さくらざか公園という坂の中腹にある公園の、入ってすぐの大きな木の下でのことだった。

 名前の通り、春の季節には綺麗な桜が咲くのだが、夏も終わり秋深くなる季節には、ほとんど人の気配は無いのが常だった。


 そんな場所で、見たことあるような女の子が制服でうずくまっているのが見えて、体調でも悪いのかと足を止めて慌てて近寄る。


「えっと、南野さん?だよね。こんなところで大丈夫? 具合でも悪い?」


「……え? あ、えっと」


 驚いたように顔を上げこちらを振り向いた南野さんは、僕の顔を見て、そして意外そうな顔をして言った。


「佐藤くん? ……え? 走ってるの?」


 格好を見て、ランニング中だと分かったのだろう。

 それに頷いて僕は答えた。


「まぁ、帰宅部だと身体もなまるし、家も近くだし、時間ある日はこの位の時間帯にこの辺走ってる」


「変なの、それなら部活やれば良いのに、わざわざ走るってことは運動嫌いなわけじゃないんでしょ?」


「あぁ、まぁそれよりバイトが……ってそんなことはどうだって良いよ、南野さん、体調が悪くて座り込んでたわけじゃないの?」


「へ? あぁ、違うの――――」


 そう言って体を起こした先には小さな段ボール箱があった。そして、見えなかった胸元に小さな。


「猫?」


「うん、捨て猫みたい、すごい弱ってるみたいで」


 一度だけ鳴き声がして、近寄ってみたらもうぐったりとしていたのだそうだ。


「うち、お母さん猫アレルギーひどくて飼えないんだけど、でも見ちゃったから……ほっとけなくてさ、どうしようかと思ってたんだよね」


 普段の彼女はいつも快活に笑っていた。

 特に付き合いはないからよく知りはしないのだけど、いるだけでクラスの雰囲気が華やかになるような彼女のイメージは、陽のイメージ。

 正直、あまり関わり合いになるつもりはなかった。ただ、そんな彼女が物凄く切なそうな、寂しそうな顔でつぶやくのを見て、柄にもなく何とかしてあげなきゃ、と思ってしまった。


『考えて、感じて、とりあえずやってみるといい』


 この一年、よく言われた言葉に従って、少しばかり考える。

 答えは出ていた。


「……なるほど、わかった。とりあえず獣医さんに連れて行こう。後、流石にずっとは厳しいかもだけど、うちで一時的になら預かれるよ」


「え?」


 僕がそう言うと、南野さんはその大きな瞳をより大きく見開いて声を上げ、僕の顔をまじまじと見つめてきた。


「何さ? 流石にこのままじゃあねってのは後味が悪すぎるからさ。……あ、それに、僕の家で預かれるけど、一時的だよ? 飼い主探しはしないとね」


 南野さんは可愛いと思う。

 クラスの男子は同じクラスであることを運が良いと言っているし、体育の合同のときも時折話題に出る。誰派、という男子の下世話な話題の中に名前が出てこなかったことはない。

 まぁ、僕自身はその話題に参加したことはないけど。可愛いことには全面的に同意だ。

 

 所属しているグループはランク付けをするならカースト最上位と言って良い女子たち。

 それでいて、輪から外れそうな女子も男子も分け隔てなく接し、自分の容姿や能力をひけらかすこともない。少なくとも、僕から見た彼女は絵に描いたような人気者でいい子だった。


 そんな話したこともない可愛い女の子にまじまじと見つめられると流石に照れる。

 視線から逃れるように、僕はスマホの画面を起動した。

 近くの獣医さんを検索して、手早く電話番号に発信する。


 そうして、唐突に電話を始めた僕に少しぽかんとしている南野さんをよそに、繋がった先の受付の女の人に理由を話し、獣医さんの予約をとった。

 捨て猫を心配して電話してくるなんて、と何故か褒められた。僕が拾ったわけではないので少し罪悪感を覚えながら、顔を向けて南野さんに笑いかける。

 笑顔を作るのは、バイトで慣れている。


「良かった、今からなら行けば診てもらえるって。予防接種受けてそうかとか、何ヶ月くらいかとか聞かれたけど、全くもってわからないから、とりあえず連れていきますってことで。病気なら薬もだろうし、栄養足りてないなら点滴とかもかな? ちょっと途中家で財布を取って、行く途中のコンビニでお金おろして向かいたいから、ごめんだけど一緒に行ってくれる?」


 家すぐそこだし、猫抱えたままコンビニ入れないし、と続けると。


「うん、それは勿論……っていうか拾ったの私だし。飼い主も頑張って見つけるつもりだけど――――え? え? 佐藤くんってそんなキャラだっけ?」

 

「――――どう思われてたのかめちゃくちゃ不安になってきたんだけど……?」


「いや、だってさ、えっと…………そう、何かめちゃくちゃ優しいじゃん!」


「ますます不安になってきた。さっきも言ったけど、流石にこれでじゃあサヨナラって走って去る方がハードル高くない? どんだけ冷たいと思われてるの僕」


「確かに! ってそうなんだけどそうじゃなくて、うちらクラスメートだけどほとんど話したこともないのに、うちが座り込んでたからって心配して声かけてくれたしさ」


「普通じゃない?」


「もう、それを普通って言えるのが優しいって言ってんの!」


 何故か少し怒ったような声で南野さんが声を出した。

 そんなに真っ赤になってまで怒らなくていいのに。

 目立たないって言っても、僕のコミュりょくは、決して壊滅的というほどじゃなかったはずなんだけど、まだまだ女の子相手はレベルが足りていないらしい。


「あはは、とりあえずごめん。じゃあ弱ってるとはいえ鳴いてたならすぐやばいってことは無いと思うんだけど、急いだほうがいいよね。案内するからついてきてくれるかな……そのまま抱っこで行く? ダンボールは僕が一応持っていくよ」


 僕は南野さんを連れて、走ってきた道を戻って歩き出す。

 南野さんはやはり興味深げにこちらを見つつ、頷いた。


「ごめんね、すぐ病院連れてくからね、もう少し頑張ってね」

「ニャア」

「あ……佐藤くん! 鳴いてくれたよ!」

「良かった、多分お腹が空いて元気が無いんだとは思うんだけど、病気とかじゃないといいね」


 猫に話しかけながら僕の後ろを歩いてくる南野さんの腕の中で、弱々しくもきちんと生きている声を上げるその子猫は、白い綺麗な毛並みをした猫だった。

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