第2話 絶望

 アンガルス先輩に連れられて向かった場所は、僕達が住んでいる【迷宮都市ヘブラスカ】の中央に鎮座している巨大な迷宮――――通称【ダンジョン】である。


 世界にはいくつかダンジョンが存在するが、迷宮都市ヘブラスカのダンジョンが最も広いと言われており、下層に向かえば向かう程に強い魔物が出現すると言われている。


 さらにダンジョンは意志を持ち、構造を常に変え続けているらしくダンジョンのマップはあまり意味を成さないらしい。


「おい。無能。お前の武器だ」


 そう言ってアンガルス先輩が投げてくれたのは、僕の手のひらより少し長いくらいの短剣だ。地面に落ちた短剣を抜いてみると錆びだらけでとても斬れるような代物だ。


「なんだ? 文句でもあんのか?」


「い、いいえ!」


 先輩の威圧に耐えることができず、答えてしまったがこの短剣一本でとてもダンジョンで生き残れる気がしない。でもアンガルス先輩達が一緒にいるのなら……もしもの時は助けてくれるだろう。幸い優しいヘリスさんも一緒にいてくれる。最悪の状況は何とかなるかも知れない。


 アンガルス先輩とヘリスさん、その他二人の先輩と共に中に入っていく。


 ダンジョンの中の構造は常に変わるから決まった構造ではないらしいけど、一階の玄関口だけは遺跡のようなレンガの床壁天井が綺麗に敷き詰められている。とても自然に生まれるものには見えず、人工物に感じる。


 初めてのダンジョンと恐怖に胸を震わせながら中に進んで行くと、先に入っている冒険者の戦う音が聞こえて来た。


 金属が何か・・を切り裂く音や、固いものにぶつかる音など、本来なら心が躍る音かも知れないけど、最低レベルの僕とっては恐怖でしかなかった。


 というのも、ダンジョンというのはそもそも上級者向け・・・・・なのだ。


 本来なら都市外の弱い魔物を倒してある程度レベルを上昇させた後にダンジョンに挑戦するのが通常のやり方と聞いている。なのにレベル1のまま入った僕が恐怖を感じるのは不思議なことでも何でもないと思う。


「おい。無能。もたもたするな」


「は、はいっ!」


 これ以上先輩の逆鱗に触れないように歩幅を合わせて歩く。


 そして、僕達の前に初めてみる魔物が現れた。骸骨姿で右手に骨の剣と左手に骨の斧を持つのは――――スケルトンだ。クランにある魔物図鑑は一通り見て覚えている。スケルトンはダンジョンの中では最弱魔物だが、推奨レベルは10だ。


「無能。戦ってみろ」


「僕がですか!? ぼ、僕まだレベルが……」


 ピタリと止まったアンガルス先輩がゆっくりと振り向く。その目に光は消えていて慈悲は全くない。怒りに染まった顔を僕に見せた彼は、右手親指を向けてスケルトンに向けた。


「は、はい……分かりました…………」


 もしかしたらこの剣で倒せるかも知れない。挑戦する前に諦めるのは冒険者としては一番駄目かも知れない。


 震える足をぐっと堪えて赤い目を光らせたスケルトンに近づいていく。鞘から短剣を抜いて鞘を雑に投げておく。短剣の柄を両手で握ってスケルトンに向けるが、刀身が震えるのが目で分かるくらいに震えていた。


「ぎゃははは! あいつスケルトンに怯えているぜ!」


 先輩達が笑い始めた。でもその笑い声よりも目の前の恐怖に支配されて何も聞こえてこない。


 自分の息の音がゆっくり聞こえて時間が止まったかのようにゆっくりと流れる。


 僕が何をしたというんだ。ただ生まれて両親に捨てられ孤児になって、十歳で孤児院を卒業して冒険者にもなれず、無能の烙印を押されて仕事もできず冒険者クランに所属して生きながらえるしかなく、五年間毎日のように雑務をこなしてきて、ここで死ぬのか?


 いや! 絶対に死にたくない! 僕はここから……絶対に生き残る!


「や、やあああああ!」


 短剣を前に向けてスケルトンに突進する。もっと本で読んだように剣術とか作戦とかあったはずなのに、頭が真っ白でただただ前に突っ込むしかできなかった。


 僕を捕捉したスケルトンも走ってくる。一歩ずつ近づいて、やがてスケルトンの圧倒的な姿が目の前にやってきた。


 スケルトンが大きく振りかぶった剣が振り下ろされる。直線的な攻撃だ。ギリギリ横に飛んで避けて短剣を刺す。スケルトンの剣が地面を叩く音と共に、僕が持った短剣がスケルトンに刺した音が響く。


 ――――勝った!?


 と思ったその時、もう片手に持っていた斧の柄部分が僕の視界に入った。次の瞬間、顔面に激痛が走り、体が大きく宙を舞う感覚の後、地面に体が叩きつかれた感覚が全身を襲った。


 痛みなんかよりも、自分に迫ってくる死への感情が沸き上がる。このままでは死んでしまう。だから、僕はヘリスさんに向かって手を伸ばした。


「た、タスケテ……オネガイ……」


 飛ばされて目の前にヘリスさんの足が見える。手を伸ばして助けを求める。きっとヘリスさんなら――――次の瞬間、ヘリスさんのハイヒールのヒール部分が僕の伸ばした手を踏みつけた。


「痛いいいいいいいい!」


「ちっ。ちょっと優しくやったくらいで付け上がりやがって。てめぇのせいで私の服が汚れたんだぞ? あの服がいくらすると思ってるんだ? ああん?」


 凄まじい形相のまま僕を見下ろすヘリスさんがいた。


 嘘……嘘だああああ! ヘリスさんは唯一先輩達の中で優しくて……たまに差し入れも…………。


「ぎゃはは! 出た! ヘリスの哀れんだ後に踏みにじるやつ~本当に性格悪いな~」


 一体……何を言って……?


「あーはははっ! 私ね? こうやって哀れんだ後に絶望した顔が大好きなの! 貴方の今の絶望に染まった顔、ほんっとうに大好きよ! 貴方とてもいいわ! もっと、もっと絶望に染まってちょうだい!」


 背中から感じる殺気と、目の前の救いのない絶望に僕の心が壊れていくのを感じる。


 一体僕が何をしたというのだ……ただ日々を生きるために懸命に生きていただけじゃないか……どうして神々は僕にこんな無能の烙印を押したんだ…………僕だって美味しいご飯を食べて、好きになった女性と笑いながら時には喧嘩して時には愛を確かめ合って、時には贅沢して時には節約して、そうやって普通に……普通に行きたかっただけなのに……どうして…………。


 涙が溢れた。悔しさ。醜さ。絶望。失望。恐怖。怒り。これから死に向かう僕にそんな感情を吐き出すことすら許されていないだろう。僕が生きた時間の意味。一体なんだったのか…………でも…………この世界を恨めない……。僕を捨てた両親も、僕を毎日いびる先輩達も、目の前に邪悪な笑みを浮かべた彼女も、みんながいて僕が生まれて、僕が生きるここまで生き延びることができた。だから…………恨めない。恨んだら僕は僕が生まれたことを恨むことになる。


 悔しい……いつかみんなと笑える未来を想像していたのに……僕に少しの力があったら…………。


 その時、地面に落ちた涙が赤い波紋を広げていく。


 ゆっくりと広がった赤い波紋は僕の体を包むかのように広がり――――周囲の地面を揺らした。


「ま、まずい! ダンジョン地変・・・・・・・だ! 逃げるぞ!」


 アンガルス先輩は焦ったように声をあげると、全員がその場から必死に逃げ始めた。


 はは…………そっか…………あんた達だって怖いものがあったんだな。そうか…………。


 揺れは段々激しくなり――――僕が寝転がっていた地面に無数の亀裂が走り、あっという間に崩れ落ちた。


 そうか……僕はここで……死ぬんだな…………ありがとうお母さんお父さん。僕を生んでくれて…………生き延びられなくて…………ごめんなさい。

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