第45話 重力覚醒と重力定着
「そんなに逃げなくてもいいじゃん。大人しく重力の加護寄こしなよ」
「ダメです。ブラン様に重力の加護を持たせてはいけないというのがよく分かりました」
器用に壁や天井を三点移動しながら逃げるリンネと同じように模倣した重力の加護を行使してそれを追いかけるブランノア。
リンネが意図せずブランノアに重力の加護の悪用する可能性を示してしまった事で、彼女達の盛大な鬼ごっこは幕を開けた。
かたや、早いところ重力の加護を定着させて、悪さを働きたいブランノア。
かたや、仕えている令嬢エフィネル・オルストロンの身を守らなければならないという使命感に駆られるリンネ。
とどのつまり、この鬼ごっこは重力の加護を巡る壮絶な争いでもある。
ブランノアが加護を完全に定着させるには、それこそ途方もないほどに模倣した加護を繰り返し使用して、その身に沁み込ませるような気の遠くなる過程が必要とされる。そのため、ブランノアが聖女の加護を己のものとするのには三年以上の時がかかった。
だが、ブランノアが重力の加護を手に入れるために必要な時間はそれ程長くはないだろう。
模倣の加護の可能性に気付いておらず、ただでさえ聖女の加護を嫌々使用していた代理聖女時代とは違って、今は加護の模倣に意欲的で重力の加護も幾度となく使用している。
渋々加護を使う昔と、喜んで加護を使う今。
定着度合いには天と地ほどの差が生まれるのは必然だろう。
故にブランノア本人の所感では、もうじき重力の加護はモノにできる。彼女に宿る模倣の加護がそう告げているのだ。
だからこそ、リンネはこれ以上ブランノアに重力の加護を模倣されるわけにはいかない。
ブランノアに重力の加護が定着してしまえば、その加護を悪用されエフィネルへと牙を剥く。
(ブラン様から逃げないと……っ)
これまで加護の模倣に協力的だったリンネも、ブランノアの本気の加護悪用を目の当たりにして、考えを改める。
ブランノアは天才だ。正規の使い方もさることながら、オリジナル本人が意図しない使い方でさえ容易く行ってみせる。
これまで悪用を称してきたブランノアの加護の使用方法がどれだけかわいいものだったのか思い知った。
だから、これ以上の模倣は阻止しなければならない。迫りくる
「そんなに逃げても無駄だよ」
「……なんで私より使い方が上手なんですか……」
重力の加護の本来の使い手はリンネであるが、その使い方の上手さはブランノアに軍配が上がる。特に移動手段に加護を利用する運用に関してはブランノアが一歩も二歩も先をいっており、それを真似する形で加護の運用方法を参考にし始めたリンネは瞬く間にブランノアに追いつかれてしまう。
「何がそんな嫌なの?」
「ブラン様は重力の加護でお嬢様に悪さするじゃないですか」
「……それ関係なくない? 別に重力の加護があろうがなかろうがエフィにめちゃくちゃするのは変わらないよ?」
「……確かにっ!」
リンネが懸念しているのはブランノアの加護の悪用によってエフィネルに及ぶ被害が拡大する事。だが、ブランノアにとって加護は手段の一つであって、重力の加護が無くてもエフィネルとの関係はなんら変わらない。
つまり、リンネがどれだけ抵抗してブランノアに重力の加護を渡さないように努めても、エフィネルに訪れる結末に変化はないということだ。
「むしろ重力の加護でプレイの幅が広がるってことはエフィが喜ぶ、もとい悦ぶことに繋がるんじゃないの~? ほらほら、大好きなお嬢様のために重力の加護を渡したくなってきたんじゃない?」
「ぐっ……それは……っ」
悪魔のささやきに葛藤が渦巻く。
ブランノアの言う通り、加護を明け渡すことが最適解なのではないかと頭を過る。
どのみち、目の前で笑う
そんな風に力なく乾いた笑みを浮かべたリンネの瞳に再度力が宿り、ブランノアをキッと睨みつける。
諦めるのはまだ早計。大人しく好き放題されるのは癪だという個人的な感情で、リンネは反抗を選ぶ。
「ブラン様の思い通りにはさせません」
「あ、そう? 逃げられるなら逃げてみなよ……っ?」
勝利宣言の笑みを携えてにじり寄るブランノアの表情が崩れ、リンネへと踏み出そうとする足が止まる。足が地面に縫い留められているような感覚、持ち上げようにも持ち上がらない。それはまるで、重力の加護の効力をその身に受けているかのような重み。
その感覚は間違えない。
リンネの次に重力の加護を扱ってきた自負と、セクハラに対するリンネの抵抗でその身に受けた加護の力。ブランノアの身体がきちんと覚えている。
「……このタイミングで覚醒とか、ほんと勘弁してよ」
この場にいるのはブランノアとリンネの二名のみ。他者の介入は何一つない。
重力の加護の効果が及ぶの加護発動者と発動者が触れているモノだけという常識を覆す――重力の加護の覚醒。それが今起きているのだとブランノアは直感で確信した。
思えば、不思議でもなんでもなかった。
ブランノアに付き合う形で加護を使用するリンネも着々と加護への習熟度を高めていっていた。
ブランノアが模倣の加護を一つ上のステージへと引き上げたように、リンネもまたこの追い詰められた状況で加護を高みへと押し上げた。
そんな訪れるべくして訪れた加護の覚醒にブランノアは悔しそうに、でもそれ以上に目を輝かせていた。
「この土壇場でやるじゃん。どう、加護を覚醒させた気分は?」
「……正直よく分かりません。ですが、自分の加護なのでどう変わったのか手に取るように分かります」
リンネはブランノアから着想を得た重力の枷を嵌めるように、ブランノアを拘束する。
手足の自由を奪い、壁に押し付けて固定をする。
これらをすべて、触れずに行えている。つまり、ブランノアの重力の加護による反撃を受けることなく、距離を保ったまま加護を行使できるということだ。
自分以外を対象とするのに触れるという条件が必要だった重力の加護。だが、その枷から解き放たれた覚醒は、射程という概念を生み出した。それがどのくらいまであるのかはまだ定かではないが、リンネにとって重要なのは今この瞬間形勢が逆転したという事だった。
「離れていれば聖女の加護も関係ありませんね。このまま、私の加護の模倣が切れるまでの時間を稼ぎ切れば、私の勝ちです」
「はぁ、そだね。随分と加護の出力も上がっているみたいだし、私の劣化模倣の出力じゃ対抗できない……なーんてね」
「強がりですか?」
「これがただの強がりだと思う?」
ブランノアの手が、足が、重力の枷を受け入れたまま動こうとする。ぎちぎちと鈍い音が空気を揺らしているかのように、ぎこちなくも力強い四肢の抵抗する様にリンネは頬をひくつかせた。
重力の加護を攻略するには同じ重力の加護をぶつけるのが一番手っ取り早い。これまでブランノアと行ってきた応酬でそのことはリンネも理解している。
その最適解を体現するように、押さえつけている力を押し返すような力が働く。
だが、何かがおかしい。リンネは加護の覚醒によって重力の加護の出力を上昇させている。ブランノアの少し劣る模倣では対抗できるはずがない。そう思っていたが、ブランノアはそんな考えを否定するように重力の加護を駆使して枷から抜け出そうと動いている。
「なんでっ、動けるんですかっ? そこで大人しくしててくださいよっ」
「……さて、リンネ。何か気付くことはない?」
「時間稼ぎのつもりですか? お望みなら根競べ……も、あっ……え?」
覚醒した重力の加護はそのままに、リンネは一歩一歩着実に近付いてくるブランノアから距離を取る。そんな時に投げかけられた問いにどんな意図があるのか。そう考えた時、リンネの中にあった違和感が大きく膨れ上がった。
(なんでっ? 模倣の加護の効果時間はとっくに過ぎているはず。もうブラン様の中に私の加護はない……そのはずなのに、どうやって動いている? あの力は何?)
口にした時間稼ぎというのが引っかかった。初めはリンネ自身の消耗を待つための時間稼ぎだと思った。だが、時間を使って不利になるのはブランノアも同じ。重力の加護を失えば一気に不利になるのは明確だろう。
だが、そこでリンネは気付いた。
リンネはブランノアの模倣の加護について正確な効果時間を予測できる。このオルストロン邸で誰よりもブランノアに加護を模倣させてきたリンネだからこそ感じ取れた違和感の正体。
それこそが、ブランノアの模倣時間が予測を超過している事実だった。
「このタイミングで……ですか。本当に勘弁してくださいよ」
「重力の加護……もらったよ」
リンネの加護覚醒に対抗するためにブランノアが起こした奇跡。
それこそが重力の加護の完全定着。
聖女の加護と同様に、模倣のために触れる必要もない。
ブランノアが宿す重力の加護は当然リンネの使う重力の加護には及ばない。だが、劣化と称するにはふさわしくない。オリジナルに限りなく近い力を発揮する重力の加護。それこそが今ブランノアが動けていることへの回答であり、こちらもまた起こすべくして起こした必然だった。
「あっ……じゃあ、もうリンネを追いかけなくってもいいってことか。ちょっとエフィのとこ遊びに行ってくるね」
「あっ……待って、届かない……っ」
リンネに向かって近付こうとしていたブランノアだが、その必要性が無くなった事に気付いて力の向きを変え、一気に天井へと離脱する。
そんなブランノアの逃走を防ぐべく、覚醒した重力の加護で彼女を叩き落そうとするリンネだったが、ブランノアが重力の加護の射程外に逃れていたためそれは叶わなかった。
「聖女の加護、三重結界」
「なっ……これはっ、出してください!」
「すぐ出してあげるよ。私がエフィの部屋に着いたら……ね」
ブランノアを重力の加護の射程内に収めるために追跡を試みたリンネはうっすらと光る壁に衝突して動きを止めた。ブランノアの行使した聖女の加護によってその場から動けなくなったリンネは壁を叩いてここから出すようにと訴えるが、ブランノアは聖女とは思えない邪悪な笑みを浮かべた。
「聖女の加護ってそういう使い方する加護じゃないはずなのに……ああ、お嬢様。どうかご無事で」
護るための力を閉じ込めるために使われたリンネは座り込んで項垂れた。
結局、ブランノアに加護の定着を許してしまい、そんな悪魔が慕うお嬢様の元へと向かっている。
そして、彼女を縛る
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