第36話 剣聖令嬢のお忍びデート

 私はエフィネル・オルストロン。オルストロン公爵家の公爵令嬢です。私は今普段のような貴族の格を示すような煌びやかな格好ではなく、平民の方々が着ているような目立たない装いをして街の方に出てきています。


 ふと視線を手元に落とすと私の手を握る手が映りこみます。その手を辿って視線を上げると私の隣を歩いているこの国二人目の聖女様、ブランノア・シュバルツさんの横顔があります。

 私の視線に気付いた彼女はこちらを見て微笑みます。


「どしたの? あっ、さては私のイケてる顔面に見惚れてたな~」


 恥ずかしげもなくそんなことを言ってくるだけあってブランさんのお顔は整っており、彼女に惚れている私はその顔を見ているだけで少し頬が熱くなります。


「ブ、ブランさんっ。からかわないでくださいっ」


「ちょっとちょっと、ブランじゃないでしょ」


「あっ……えっと、ノアさん……」


「どうしたの、ネル?」


 ブランさんにやんわりと咎められて私は彼女の呼び名を言い直します。

 そう。これはお忍びのものなので、私がエフィネル・オルストロンだということを隠さなくてはいけません。装いを変え、深い帽子を被っていれば目立つことは避けられますが、今回は一人で町の視察などに赴いている訳ではなく、ブランさんとのお忍びデートです。デートであるからにはこうやって何気ない会話に夢中になってしまうこともありますが、公爵令嬢と聖女様が互いの名前を呼び合っていたら気付いてしまう人は気付いてしまうかもしれません。


 なので、ブランさんの提案で互いの呼び名をお忍び用にする事になりました。ブランさんは普段はブランノアの前半を取ってブランさんと呼んでいますが、今回は普段使わない後ろの方でノアさんと呼ぶことになっています。同様に私は普段はエフィと呼ばれていますが今日はネルと呼ばれています。中々慣れませんが新鮮でいいですね。ブランさん、ノアさん、どちらもしっくりきます。素敵な名前ですね。


「ノアさん、本日はどのようなデートプランで?」


「んー、ノープランかな。ネルと一緒にいられればなんでも楽しいから。どこで何をするかじゃなくて、誰とするかが重要なんですねぇ。ネルもそう思わない?」


「……はい、それはもう」


 またそうやって私を悶えさせることを軽率に口にして……ブランさんは本当に悪い聖女様です。そんな彼女に絆されて身も心も奪われてしまった私もきっと悪い子なんでしょうね。


 そんな事を考えながら歩いているとふとブランさんが私の手を骨るようににぎにぎと握ってきます。お返しで私も同じようにするとブランさんは嬉しそうに眩しい笑顔を見せてくれます。


「えへへ、初めてのデートだけど楽しいね」


「はい」


「でも、初デートかぁ……もうキスも、あんなこともしちゃってるのに、遅くなっちゃってごめんね」


 ブランさんが私の耳元で囁きます。それを聞いた私はゆでだこの様に耳まで真っ赤に染まった事でしょう。

 そう言われてみれば私達の関係は色々と順序がおかしいかもしれません。互いに想いを伝える前にキスは済ませてしまってましたし、こうして初めてのデートよりも前に、その……えっちな事も致してしまっているわけなので。

 あまり生々しい事を言わないでほしいのですが、彼女に為すすべなく好き放題される熱い夜を思い出してしまうと胸とお腹がキュッと疼いてしまいます。本当に悪い人です。


「あははー、ネル顔真っ赤ー。リンゴみたいでかわいいー」


「……ノアさんの意地悪」


 私はもうすっかり彼女のものなので、どれだけ抵抗しても分からされるだけです。こうして言葉だけで巧みにからかわれ辱められるのも珍しい事ではないのですが、いつまでもたっても慣れそうにありません。きっとこれからもブランさんは私を弄んで反応を楽しむような小悪魔っぷりを存分に発揮して、私はこうして顔を背けて羞恥を堪える事しかできないのでしょう。


「ごめんって。お詫びに今日も……ね?」


「……どうせ元々そのつもりだったではありませんか。お詫びになってませんよ」


「あ、バレた?」


「……お手柔らかにお願いします」


「ヤダ。無理」


 すがすがしいほどの拒否です。なるほど……今日は、いえ、今日も寝れそうにありませんね。


「ですが、それはそれとして、今はまずデートを楽しみましょう」


「うん! もちろん!」


「ノアさんにこの街の事をもっと好きになってもらえるように頑張って案内しますね。あと、今日はネルとして来ているので一緒に……! あっ、ブランさんっ」


 ブランさんがこれから過ごす街になるのですから、今はまだよく知らなくても、これから好きになってもらえたら。そう思って張り切って案内をしようとしたところで、ふいに曲がり角から一人の少女が飛び出してきました。

 前をよく見ずに駆ける彼女は私達に向かって来ていてぶつかりそうになっています。その時、私はブランさんから聖なる力が流れ込むのを感じました。


 聖女の加護を使って私を守ろうとしてくれたのでしょうか。私はその直後にブランさんの手が離れていくのを感じて軽く突き飛ばされます。ですが、加護が守ってくれているのか大した事もありませんでした。

 一方、私を突き飛ばしたブランさんは少女にぶつかられてしまいました。

 一瞬の出来事に少し混乱してしまいましたが、私はすぐに二人に駆け寄って声をかけました。


「ブランさん! 大丈夫ですか?」


「私はへーきだよ」


 少女を受け止めて尻もちをついたブランさんはなんでもないと笑う。この様子だと怪我はなさそうなのでひとまず安心です。


「君は大丈夫?」


「あっ、その……前を見ていなくて……すみません、いたっ」


「およ? ぶつかった時に足を挫いちゃった感じかな? あちゃー、腫れてら。いたそー」


 ブランさんにぶつかった少女は立ち上がろうとして顔を顰めました。ブランさんが手際よく確認したところどうやら足を捻ってしまったようで、軽くではありますが痛々しく腫れてきています。


「あの、これくらい平気ですから。お姉さんにけがはありませんか?」


「……自分がけがしてるのに私の心配してくれるなんてこの子いい子すぎない? よし、君。今からやること内緒にしてね」


「は、はい」


 そう言ってブランさんは彼女の足に触れてその手を淡く輝かせました。私にしてくれたのと同じように聖女の加護の力でしょう。その癒しを力を流し込まれた彼女の足の腫れはみるみる引いていき、元通りの綺麗な足に戻りました。


「よし、これでいいかな。人にぶつからないように気を付けるんだよ」


「ありがとう、お姉さん!」


 そう言って少女は元気に駆けていきます。

 それを見届けたブランさんはゆっくりと立ち上がり、衣服を軽く叩いて汚れを払いました。


「いやぁ、びっくりしたね。咄嗟だったから突き飛ばしちゃってごめんね。大丈夫だった?」


「私は大丈夫です。ブランさんが守ってくれましたから」


「そ、ならよかった」


「……治療までしてあげて、お優しいのですね」


「別にたまたまだよ。目の前に困ってる人がいて、偶然にもなんとかできる力がここにあった。ただそれだけ」


「それでもです」


「あーもう、そんな温かい目で見ないでよ! フツーに照れる」


 普段は見せてくれないような顔を見せてくれるなんて、幸先がいいですね。まだデートは始まったばかりで、いきなりのトラブルでしたが、むしろブランさんの素敵な一面を拝めてよかったです。


「てか、さっきからブランって言いすぎ」


「あっ、すみません。つい……」


「お忍びなんでしょ? 気を付けてよね」


「……堂々と聖女の加護を使っている人に言われたくありません」


「……確かに」


 私達は顔を見合わせて吹き出すように笑います。

 そして、離していた手を繋ぎ直し、気を取り直してデートの再開です。


「さっきの子、私よりちょっと年下くらいかな。かわいかったしまた会えたら勧誘してみようかな」


「……先程はトラブルなので見逃しましたがデートの最中に他の女性の話を持ち出すのは無粋ですよ」


「ごめんごめん。エフィ……じゃなかった。ネルが一番かわいいよ」


 これはブランさんの習性みたいなものなので別に怒ってませんが、ちょっと拗ねたように訴えると彼女は謝って、耳元で囁いてくれます。そうして顔を離す際に頬にキスを落としていきます。


 街中だというのに、本当に油断も隙も無い方です。

 ですが、私はちょろいので、それをされるだけで嬉しくなって舞い上がり、また悪い聖女様に寄せる想いがいっそう強くなって、身体が熱くなるのを感じるのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る