重力メイドの受難

「はぁ……」


「どしたの? そんなこれ見よがしにくそデカため息吐いて。おっぱい揉む?」


「揉みません」


「あ、そう? で……どしたの?」


 リンネ・ティルニア。オルストロン公爵家で働くメイドである彼女は大きなため息を吐いた。その様子を近くで見ていた自称劣等聖女、ブランノア・シュバルツは理由を尋ね、彼女なりのコミニュケーションの仕方でその憂いを晴らそうとした。


 唐突な申し出にリンネは慌てることなく再度小さくため息を零す。この流れでそのような会話に発展してしまうのがブランノアであると持ち前の高い理解力と適応力でリンネはスルーし、声色を変えずに拒否の意を示した。


 もちろんそれがブランノアの気遣いであることは分かっているため、必要以上に反応を示すこともない。

 そして、もう一度その深いため息の訳を尋ねられたリンネはポツポツと零し始めた。


「あの……ここだけの話にしておいてほしいのですが、最近お嬢様が同じ話を何度もしてくるので困ってしまいます」


「何それ、おもしろ。エフィボケちゃった?」


「そうだったらどれほどよかったでしょう。残念ながらお嬢様は正常です。ただ、ブラン様が絡むと知能指数が五歳児まで下がってしまいます」


「あー、なんか言いたいこと分かるかも。ちょっとポンコツだよね」


「そんなかわいらしい表現で済んでいるのが羨ましいです。お嬢様の惚気話に付き合わされて、何度も同じ話を聞かされる身にもなってください。そろそろ脳が破壊されますよ」


「大袈裟だなぁ」


 リンネはエフィネルから度々同じ話を聞かされる。その内容はどれもブランノアが絡んだもので、恋する乙女の惚気話はとどまることを知らない。


 エフィネルは仕事中のリンネを捕まえてはマシンガンのようにブランノアへの想いやブランノアとの出来事などを語り、嵐のように去っていく。


 そんな自然災害のようになったエフィネルだが、ここ数日はリンネの元に訪れる頻度が上がり、同じ話を繰り返す確率も高まっている。

 それに困り果てているリンネの悩みは決して大袈裟ではないのだが、ブランノアにとっては他人事である。


 とはいえ、自分の想い人が暴れてリンネが困っているとあらば見過ごす訳にもいかない。どうにかできないかと少し考えたブランノアは、リンネに代替案を授けた。


「あ、じゃあしばらくここに避難すれば? 私に捕まってた〜とか言えばなんとかなるし、エフィからも逃げられるんじゃない?」


「ブラン様に匿ってもらう……ですか。残念ながらそれは悪手です」


「え、そう? 結構いい案だと思ったけど……ちなみに何がダメなの?」


「お嬢様が嫉妬します」


「……あぁ〜」


 ブランノアは日頃からリンネに世話を焼かれている。リンネの好意に甘えて彼女の事を専属メイド呼ばわりする事もあるくらいだ。そんなブランノアだからこそ、リンネと共にいるのは不自然ではない。特にブランノアは模倣の加護の発動条件である接触を果たすためにリンネを近くに待機させている事もしばしばある。


 そういった名目で匿っておけば、エフィネルがブランノアを尋ねてやってくるまでは安寧が保たれると思っての提案だったが、リンネはその案を採用した時の弊害をよく分かっていた。


「そっかそっか。エフィ嫉妬しちゃうか〜。かわいいなぁ」


「ブラン様は基本的に女性に対して距離感が近いですし、加護のためとはいえベタベタ触ってきますし、セクハラもします。お嬢様もそのあたりは理解はしていると思いますが、納得できるかどうかは別ですからね。あまりにも度が過ぎると嫉妬で大変な事になりますよ」


「具体的には?」


「私が解雇されます」


「え、それは困る。私の専属メイド……」


「ブラン様の専属メイドではないのですが……まあ、クビになったら雇ってください」


「採用!」


 エフィネルがいかにブランノアに対して理解があり寛容とはいえ、想い人である彼女が他の女性と仲睦まじくベタベタしていたら、いずれは許容できなくなる瞬間が訪れるだろう。


 特にリンネはブランノアとの距離が近い事を自覚しているだけに、その危機と隣合わせである。そのため、ブランノアに匿われるのは悪手と判断したのだ。


「とにかく、お嬢様が嫉妬してしまわないように、今後はくだらない事で呼びつけるのは控えてくださいね」


「え、ヤダ。しょうもないことでどんどん呼ぶよ」


「……はぁ、ブラン様に言っても無駄ですか。あまりお嬢様を悲しませるような事はしてほしくないのですが」


 ブランノアと二人で過ごす時間がエフィネルにどう影響するかが分からない。かといってセクハラ聖女のお世話はリンネにしか務まらない大変な仕事になりつつある。


 距離を置こうにも置けない。

 そんな悩ましい関係にリンネは困った表情を浮かべていた。


(そう言えばあの日の……ぎゅーしてちゅー、でしたっけ? そんな事されたらクビを通り越して首が飛びそうですね……)


「ん? 何その神妙な顔?」


「いえ、本当に困ってしまうな……と」


「ふーん。あっ、そうだ。私も惚気けていい?」


「……お嬢様でもうお腹いっぱいなので勘弁してください」


 リンネはブランノアのキラキラした瞳と目が合って察した。これはエフィネルがブランノアについて語り出す時の目と同じ目をしていると感じたリンネはブランノアの部屋から逃げ出した。


(うぅ……私の平穏はどこにあるのでしょう?)


 重力メイドの受難はまだ収まることはないだろう。

 そんな悲しい自覚と共に、長期休暇届けを提出したいとしみじみ思うリンネだった。

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