幕間

公爵令嬢の惚気話

 あの日、あの時。

 もう終わると思っていた灯火を繋いでくれた愛しの人。

 朦朧とした意識の中に鮮烈に刻まれた確かな思い出。授けてくれた確かな証。

 重なる手。重なる唇。重なる温もり。

 何日経っても色褪せないそれを、きっと私は生涯忘れる事はないのでしょう。


 ◇


「――その時のブランさんはとってもかっこよくて素敵だったんです!」


「お嬢様、その話……もう二十七回目ですよ?」


 溜息と共に返ってきた声には呆れの感情が入り混じっている。私、エフィネル・オルストロンはあの日の出来事を忘れられずに、つい何度も口にしてしまっていた。共にお茶をするメイド――リンネ・ティルニアの冷たい視線を受け、一瞬言葉が詰まる。もう彼女には何度も同じ話を聞かせてしまっている。それこそ耳にタコができてしまうほどに繰り返しているだろう。気を付けなければと思ってはいるものの、気を抜くとすぐにブランさんの事を語ってしまうので反省しなくてはいけません。


「すみません。同じ話を何度もしてしまって。ですが本当に素敵だったんですよ」


「……それはもう、よく分かっております。お嬢様にとってブラン様はヒーローですからね。最高のタイミングで現れて、劇的に救われて惚れ直しました?」


 リンネは意地悪を言う時のようにニヤリと口元を吊り上げてからかうように告げる。私はそれにコクリと頷いた。


「意外と素直なんですね」


「もう認めてしまいましたから。私の心はもう……わるーい聖女様のものになってしまいました」


「……はいはい、ごちそうさまです」


 少し前の私ならブランさんへの気持ちをつつかれて恥ずかしがったり、否定したりしたのかもしれないが、今はもうそんな事はない。私の心と身体はもうすっかり分からされてしまった。私のすべてはあの人のものなのだと認めてしまっている。


「ですが、お嬢様の話を何度も聞いていると、ブラン様の到着は本当に紙一重だったようですね。間に合ったようで本当によかったです」


「そうですね。あとほんの少し遅ければ私もどうなっていたか分かりません。なので……リンネにも感謝していますよ」


「私に? お嬢様を救ったのはブラン様では?」


「ブランさんを私の元に送り届けてくれたのはあなたなのでしょう? リンネが繋げてくれたのだとブランさんも言っていました」


「……私はお嬢様やブラン様のように戦闘に向いているタイプではありませんので、せめてブラン様の助けになればと思って加護を持っていってもらっただけです。ですが、それが結果的にお嬢様のためになったのならよかったです」


 ブランさんだけじゃなくリンネにも助けてもらった。それを履き違えるわけにはいきません。リンネがブランさんに力を貸したから、ブランさんは間に合った。そう考えると、リンネは機転を利かせて素晴らしい働きをしてくれた。


 それは分かっている。でも――。


「ブランさん……やっぱり素敵でした」


「そんなにキスされたのが忘れられないなら今からでもしてきてもらったらどうですか? あの人なら言えばいつでもどこでも好きなだけしてくれますよ?」


「キス……えへへ」


「……年頃の御令嬢がしていい顔ではありませんが……幸せそうで何よりです」


 リンネが再び呆れたような目で見てきます。

 ふとした瞬間、私はあの時の事を思い出して、はしたない顔になってしまう。

 されるがままに好き放題されて、とろかされて、幸せな気持ちになる。その余韻が今でも残っていて、いつでも思い起こせるくらいに深く深く刻まれている。


「でも、残念でしたね」


「……何がですか?」


「ブラン様が剣聖の加護を用いて全力で戦う姿はさぞかっこよかっただろうなと思うと、それを見逃してしまったのは悔やみきれないのでは?」


「……くっ、一生の不覚です」


 ブランさんは私を救ってくれた。熱烈なキスをして、癒しを注いでくれた。

 でも、その先の事は覚えていない。何故なら私は意識を失ってしまっていたから。


 意識を途切れさせることなく、うっすらとでもその様子を目にする事ができていたらどれだけよかったか。リンネに言われて強く思う。ブランさんの勇姿、ぜひとも拝みたかった。


「……過ぎた事を言っても仕方ありません。次は見逃さないようにすればいいだけです」


「また倒れてブラン様に助けてもらう予定があるのですか?」


「……そう言われるとなんだか情けなく聞こえますね」


 仮にも私は剣聖の加護を所持する人間だ。

 同じ過ちを繰り返さないように加護を鍛えようと決めた傍からそのような事を考えていてはいけない。ブランさんのカッコいい姿を拝む事と私が無様を晒す事を結び付けてしまってはいけない。


「聖女様に守ってもらう剣聖なんてかっこ悪くて示しがつきませんからね」


「ええ、私も負けてられません。今からブランさんを誘って加護の鍛練でもしてこようと思います」


「おや、惚気話はもういいのですか?」


「正直物足りませんが、また付き合ってくれるのでしょう?」


「……もうお腹いっぱいなのでほどほどにして頂けると嬉しいのですが……ブラン様とお嬢様ですから無理な相談ですか」


「そういうことです。では、また一緒にお茶しましょう」


「はいはい、お幸せに」


 リンネにはまだまだ話したい事がいっぱいあるし、これからどんどん増えていくだろう。いつの日か言われたようにたくさん惚気話をしてあげるので、リンネにもまだまだ付き合ってもらおうと思う。

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