第30話 劣等聖女と繋ぐ想い

 雨雲に囲まれた薄暗い空。

 その中に一筋の光を灯す少女――ブランノア・シュバルツは現在苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。


「まずい……重力の加護が切れそう」


 雨音に消されたそんな呟きは、ブランノアにとってはとても重要な事案だった。

 ブランノアが覚えている漠然とした感覚。加護を通してリンネが傍に居てくれて、力を貸してくれているような奇妙な感覚がたった今薄れつつある。


 模倣の加護が切れる。即ち今擬似的な飛行を可能にしているリンネの加護が失われようとしている。


(ちっ……アイツらが邪魔しなければもうちょい持ったはずなのに)


 結界を復活させるというブランノアの第一の目的を果たすために赴いた大聖堂。そこでブランノアは部外者、ひいては侵入者として扱われて速やかに目的を遂行できなかった。そのせいでブランノアに宿る重力の加護のリミットが迫る。ブランノアは内心で舌打ちをして、どうしたものかと考える。


「ギリギリまで落ち続けて、加護が切れたあとは慣性で……いや、さっさと降りて走った方が早いか?」


 いち早くエフィネルの元へと駆け付けたいブランノアは最善手を模索する。だが、やはり重力の加護が失われる事はブランノアの機動に大きく制限をかける事になる。


 間に合わない。遅れる。

 焦燥に駆られる。


 そんな焦りと不安で狭まっていた視界に、この暗く灰がかった空には似合わない、純白のフリルが優雅に舞った。

 青い髪が揺れて、紫色の綺麗な瞳と目が合う。

 そこで、希望が繋がったと確信したブランノアは目を輝かせた。


「リンネッ!」


「ブラン様はキラキラしていて遠目でも分かりやすくて助かりました。空に落ちるの……初めてやりましたがちょっとだけ怖いですね……」


「……どうして?」


「そろそろ加護が切れる時間だと思いました。必要ならば使ってください」


 突如として空中に舞い落ちた重力の加護を司るメイド、リンネはさかさまの状態で微笑んだ。彼女がブランノアの前に現れた理由は、加護のリロード。幾度となく重力の加護を模倣され、加護が切れる度に再度接触を催促されてきたリンネだから分かる加護の時間制限。使うたびに使用時間が伸びてはいるものの、劇的に変わるわけではない。だからこそリンネは、ブランノアの模倣の加護が自身の加護を模倣できる制限時間を比較的正確に予想できていた。


 リンネの言う通りたった今ブランノアの重力の加護が消失した。

 かかる重力の向きが正常となり落ちそうになるブランノアを受け止めたリンネ。その腕の中でブランノアは助かったと息を吐いた。


「さすができるメイドは違うねっ」


「……これであの日の後悔を少しでも清算できたでしょうか……?」


「何の話?」


「……こちらの話です。さ、こうしている時間はありません。私は戦えないので一緒にいく事はできませんが……私の加護だけでも連れて行ってください」


「……っ! ありがと、リンネ! 愛してるっ! 戻ったらいっぱいよしよしして、ぎゅーして、ちゅーしてあげるっ!」


「あっ……ちょっ……行ってしまいました。そういうのは私じゃなくてお嬢様に言ってあげれば喜ぶのに……。というかこれ、お嬢様にバレたら嫉妬で解雇されてしまいそうですね。困りました」


 ブランノアはリンネから再度加護を借り受けて飛び出していく。

 去り際に残した愛の告白のようなものにリンネは困ったように眉をひそめた。

 だが、ブランノアらしい一言に自然と口元が緩む。ほんの少し、満更でもないような表情で、リンネは熱を帯びた頬を冷ますように雨をその身に浴びて、ふよふよと空を漂っていた。


 ◇


「どうやらブランさんがやってくれたみたいですね」


 以前、厳しい防衛線を強いられる戦場の最前線にて、魔剣クラールハイトを振るっていた剣聖の加護を宿す少女、エフィネル・オルストロンは状況が少しだけ好転したことに気付いて呟いた。

 消えてしまっていた結界が復活している。それによって結界の外から新たな魔物がなだれ込んでくることがなくなり、結界内に入り込んでしまっている魔物も聖女の加護の影響を受けてやや弱体化している。


 今現在、この国――エスティローゼ王国にて聖女足りえるのはアメリア・コーライルとブランノア・シュバルツの二名。エフィネルからすればどちらが結界を修復したかなんて分かりようもないのだが、この件に関与したのはブランノアであると確信していた。


 そして、これは託された。想いを繋ぐためのものだとエフィネルは心の底から感謝した。それが思い上がりでもよかった。でも、ブランノアが希望を繋いでくれたと信じられる。ならば繋いでもらったそれを断ち切る訳にはいかないとエフィネルは満身創痍の身体に鞭を打って、クラールハイトを握る手に力を込める。


「もう魔力もほとんど残っていません。加護を維持するので精いっぱい……ですが、それでも私は剣聖なんです!」


 もうクラールハイトの力を引き出すことも叶わない。

 ギリギリの状態で立ち、エフィネルは戦い続けている。

 結界は戻った。魔物の脅威も打ち止めが見えた。もうすぐ応援がやってくるはず。だから、あともう少し。もう少しだけ耐えれば繋ぐことができる。


 そうやって虚勢を張って、何とか騙し騙しできることに全力を注いできたエフィネル、だが――。


「はぁ……はぁ……腕が、重い……。頭も、痛い」


 それでも、着々と限界は近付いている。

 雨の中での戦闘で身体も冷え込み、体力的にも厳しい極限状態であった。

 何度もふらつき、剣のキレも失われている。


「ブランさんが、いつの日か言っていましたね……。加護も、身体機能の一部だって……。こうなるんだったら、もっと、ちゃんと、加護を鍛えておけば……っ」


 追い込まれていく中過る後悔にエフィネルは歯を食いしばった。

 ブランノアが日頃から加護を使い倒していたように、自分ももっと早く剣聖の加護を鍛えていれば、もっと違った結果になったのではないか。


「……もっと早くブランさんに出会いたかったですね」


 エフィネルが剣聖の加護を前向きに使うようになったのはブランノアとの出会いがきっかけだ。それがもっと早ければ。なんてたらればに縋ってしまうほどに、エフィネルは弱り切っている。


 そんなエフィネルの前にまた魔物が群がる。

 エフィネルは鈍る身体を動かして何とか迎撃しようとするが、対処しきれずに一体の魔物の体当りをその身に受けて後方に身を投げ出した。


 手放してしまったクラールハイトがカランカランと音を立てて転がった。

 立ち上がろうとするも、上手く力が入らない。まるで、地面に縫い付けられてしまったかのように身体が重く、起き上がれない。


(ここまで、ですか)


 瞼が重たい。自然と降りてくる。

 そんなぼんやりと狭まっていく視界に――眩い光が入り込む。


「よく頑張ったね……エフィ」


 聞こえてきたのは、エフィネルが今一番聴きたかった者の声。

 優しく抱き起され、その者の顔を見たエフィネルは、不格好に涙を零しながら笑った。


「ブラン……さん。私……っ」


「お疲れ様。あとは任せてよ」


 そう言ってエフィネルの顔のついた泥を拭い、安心させるように頬を撫でたブランノアは――おもむろに唇を奪った。


「んっ……っ」


 それだけじゃない。容赦なくねじ込まれた舌が、エフィネルの口内を這い回り、蹂躙していく。

 息を、思考を、抵抗する意思さえも奪い去り、いやらしい水音を奏でる。


 舌を絡められ、貪られる。エフィネルは苦しさと同時にぞわぞわと痺れるような感覚に堕ちていく。口の中を何度もなぞられて、されるがままになり、頭が真っ白になっていく。


 しばらくして、吸われた舌がちゅぽっと音を立てて、重ねた唇が離れていく。

 熱い吐息を浴びて、糸を引く。

 すっかり蕩け切った顔をしているエフィネルに、ブランノアはもう一度軽く当てるだけのキスをして悪戯に微笑む。


「ごちそうさま。エフィ……一緒に戦うよ。だから、終わるまで休んでいて」


 ブランノアは情熱的な口づけを通して聖女の加護で癒しの力をエフィネルに流し込んだ。そして、唇で接触という条件を満たし、模倣の加護で剣聖の加護をその身に宿す。

 エフィネルの周りを覆うように結界を張って、ブランノアは立ち上がり、転がっていた魔剣クラールハイトを拾い上げる。

 剣聖はまだ終わらない。エフィネルの想いを引き継いで今ここに立っている。

 そう宣言するかのように、瞳を深く綺麗な青色に染めた剣聖聖女、ブランノア・シュバルツが、雨天を斬り裂いて聖なる輝きを放って晴れ間を覗かせた。

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