第15話 聖女と令嬢と覚める悪夢
エフィネル・オルストロンは首筋に吐息がかかる温もりを感じて目を覚ました。そして……状況が呑み込めずに硬直した。
(あれ……? 私はどうしてベッドでブランさんと寝ているのでしょう?)
目覚めないブランを見守っている際に、ウトウトし始めたところまでは覚えている。だが、このような状況を作り出した記憶は断じてない。そのためエフィネルは胸元に顔をうずめるブランノアに困惑していた。
エフィネルに抱き着くように眠るブランノア。何一つ状況がつかめないエフィネルはひとまずベッドから抜け出そうとそっと身体を動かす。
だが、ブランノアの腕が回されているため、静かに抜け出すことはできそうもない。エフィネルは薄く微笑んでブランノアの手を解きながら、起き上がった。そして――隣から聞こえてきたくぐもった声に、エフィネルは再度驚きで目を丸くした。
「んぅ……」
「……ブランさん?」
「……ぁ、エフィ、おはよ」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。だが、ブランノアが目を覚ましたという今目の前で起きた事実が、エフィネルの心を激しく揺さぶった。
この瞬間を待っていた。エフィネルはぽろぽろと涙を零しながらブランノアをギュッと抱きしめる。
「……んー、どしたのー? 怖い夢でも見たの?」
「ある意味ではそうかもしれないですね。あなたが目を覚まさないという悪夢が……やっと覚めました」
「何それ」
人の気も知らないブランノアは、いきなり泣き出したエフィネルをあやすように撫でる。だが、エフィネルからすればその例えはあながち間違いでもない。
ずっと見ていた、ブランノアが目覚めないという悪夢がようやく終わった。
とても怖い夢だったと今でも思っている。
「ブランさん……あなたが目覚めなくなって今日で五日目だったんですよ……?」
「……ま?」
「ま、です。だから、本当によかった……!」
ブランノアにそのような実感は無い。ただ、いつも通りに自堕落な生活リズムで、いつものように寝坊して、二度寝した。
そのつもりだったのに、まさかそれほどまでに眠り続けていただなんて夢にも思わなかった。
だが、そう聞かされて合点がいった。
エフィネルの言動の意味を知り、不思議と胸が温かくなった。
「私の事……起こそうとしてくれてたのは、そういう事だったんだね」
「……何の話ですか?」
「エフィがあんなに積極的に迫ってくるもんだから、夢だと思っちゃったよ」
「積極的? 迫る? 一体何の事です?」
ブランノアを目覚めぬ呪いから解き放つための熱い口付け。エフィネルから仕掛けた事だが、寝ぼけていた状態での敢行に加え、すぐさま気絶へと追い込まれたからか当の本人は覚えていない。
それが気に食わなかったブランノアはエフィネルの両頬を手で抑えるように包む。
模倣はブランノアの得意分野。つい先程された事をそっくりそのままお返しするように動作をなぞり――唇を重ねた。
「んっ? んん……っ」
当然、エフィネルは驚きで身体を仰け反らせる。だが、エフィネルがブランノアの目覚めに感極まって抱きしめて身体を密着させていた事が仇となり、するりと回された腕に頭と背中を簡単に抑え込まれてしまう。
ブランノアは満足いくまでエフィネルの唇を貪り、呼吸を求めて彼女が胸元を叩いたところで顔を離した。
潤んだ瞳を見つめて、零れた涙を舐めとるように頬にもキスを落とし、今度こそ離れる。
しばし二人の荒い息遣いだけが残る。
やがて、ブランノアが何をし、自分が何をされたのか遅れて理解したエフィネルは、みるみるうちに顔を紅潮させて、慌てて抗議を声を上げた。
「ぶ、ブランさんっ? 突然何をするんですかっ?」
「何って……分からなかった? じゃあ、もう一度する?」
「それは分かります。私が聞いているのは何を、ではなくどうして、です」
「どうして? これはエフィが私にしてくれた事だよ?」
「私が……?」
ブランノアは困惑するエフィネルの手を握り、微笑んだ。五日も目覚めない自分のために、なりふり構わずここまでしてくれた彼女への感謝の気持ちが溢れ、胸が熱くなる。
「心配かけてごめんね。あと、ありがとう」
「……まったくです。リンネからお寝坊さんと聞いてましたが、ここまでとは思いませんでした」
「私が起きない時は、またキスしてくれたら起きられるかも。よろしくね」
「それはっ……考えておきます」
すっかりブランノアに絆されてしまったエフィネルは、軽い冗談のようなものも少しの戸惑いを経て、受け入れてしまう。
そんな彼女がかわいくて愛おしい。
ブランノアは胸の高鳴りを覚え、エフィネルとの距離を埋めた。
「もう、起きる時間ですよ」
「……あと五年」
「ダメです。あと五分ですよ?」
いつの日かと同じように、ブランノアは長い時間を要求する。エフィネルは困ったように笑い、その要求を突っぱねる。だが、ブランノアに甘いエフィネルもまだこうしていたいと無意識ながら思っているのか、彼女を拒もうとはしない。
抱きしめ合い余韻に浸る。
その時間が、エフィネルの提示した五分という短い時間で、留まることはついぞなかった。
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