第13話 剣聖令嬢と重力メイドと眠り姫
私、エフィネル・オルストロンは今日もブランノア・シュバルツさんの部屋を尋ねます。ノックをすると中から返事は来るのですが、それは彼女――ブランさんの声ではありません。
「失礼します」
「おはようございます、エフィネルお嬢様」
「おはよう、リンネ。ブランさんは変わらずですか?」
「はい、とても気持ちよさそうに眠っています」
「そうですか……今日で五日目ですね」
ブランさんが目を覚まさなくなって今日で五日目。あの日、模擬戦をした後にブランさんは倒れ、私の膝で一度目を覚ましました。そうして自室に戻り休むと告げた彼女でしたが、そのままずっと眠り続けています。
初めに気付いたのはリンネでした。ブランさんのお世話を実質的に任されている彼女が一番最初に部屋に入ります。ブランさんはいつもお寝坊さんで、どうせ今日も好き放題寝て、昼過ぎになってから起きてくるに違いない。これがいつも彼女を起こす役目を担うリンネの予想でした。ですが、その予想は裏切られてしまいます。
何度部屋を訪れても、ブランさんが起きる気配はなく、そのままお昼を過ぎ……ついには夜になり、目を覚ますことなく翌朝を迎えました。
一日を通して一度も目を覚ました姿を見ていない。そんな異常な状態がもう五日も続いているのです。
「ブランさん、いつまで寝ているつもりですか?」
大きな声を出しても、柔らかい頬に指を沈めても、ピクリともしません。ただ、ただ、規則的に胸を上下させて、幸せそうに眠り続けているんです。
「ブランさんは寝すぎで困ってしまいますが……リンネ、あなたはちゃんと寝れていますか? クマ……酷いですよ」
「私は大丈夫です」
ブランさんの異常に気付いてからリンネはほとんど休むことなく付きっきりで看病をしています。
看病といってもする事はほとんどないみたいですが、ブランさんがいつ目覚めても大丈夫なように傍で見守ってくれています。
リンネがそこまでするのは……ブランさんとの最後の会話で投げ掛けた言葉を気にしているからでしょう。
「リンネ。許せませんか?」
「……はい。心にも無い事を言った……自分が許せません」
「ブランさんは私の膝で五年も寝ようとするお方です。それに比べたらまだたったの五日です。またいつものように満足いくまで寝て、呆れた時間に起き上がってくる……そう思いませんか?」
「……そうであってほしいです」
そう、これはちょっと長いお寝坊さんです。永眠なんてするはずありません。
だから、リンネもそこまで身を削る必要は無いでしょう。罪悪感を紛らわそうとするためなのは分かりますが、このままではリンネまで倒れてしまいそうです。
「リンネ。ブランさんの経過観察は私が変わります。あなたは少し休みなさい」
「いえ、大丈夫です。私にやらせてください」
「いいえ、これは命令です。あなたはブランさんが目を覚ました時、そんな酷く窶れた顔で迎えるつもりですか?」
「そ、それは……」
今のリンネの顔はブランさんに見せられたものではありません。とにかく、休ませなければいけない……そう判断した私は間違っていないでしょう。
それに、私が命令と言えば彼女は従わざるを得ない。あまりこのような態度は取りたくありませんが、こうでもしなければリンネは休んでくれないでしょうから仕方ありません。
「……すみません、少し寝てきます。ブラン様をよろしくお願いします」
「はい、任されました」
リンネは納得のいっていないような表情で立ち上がり、肩を落としてとぼとぼとブランさんの部屋を出ていきました。何だか悪いことをした気持ちになりますが、これでいいんです。
◆
リンネが部屋を去り、ブランノアと二人きりになったエフィネルは、彼女が眠るベッドの傍に椅子を寄せて腰掛けた。
ブランノアの様子は相変わらずで、あどけない寝顔を保ったまま、規則的な呼吸音を奏でている。
「リンネがいる手前あんな事を言いましたが、さすがにお寝坊さんがすぎますよ、ブランさん」
エフィネルはブランノアの手を握り、小さく呟いた。絡めた指に伝わる確かな温もりが、ブランノアが生きているという確かな証拠を示してくれる。それだけで安堵の息が漏れてしまいそうなエフィネルだったが、それでも目を覚まさないのは何故なのかと不安に駆られて胸がキュッと締め付けられた。
「痛いです。こんなにも痛むのは……あなたがこんなにも心の奥にいるから、なんですね」
エフィネルがブランノアを保護して、まだそれほど長い時間は経っていない。だが、ブランノアの存在は確かにエフィネルの中に刻まれていた。
まるで長い年月を共にしてきた親友のように、スっと心に入り込んでいったブランノア。気付かぬ間に随分と絆されてしまったとエフィネルは薄く笑う。
「私も、リンネも……寂しいので早く起きてください」
懇願するように、震えた声でブランノアに語りかけるも、エフィネルの願いは届かない。今すぐにでも手を握り返し、瞼を開けてもおかしくないはずなのに、未だ動く気配はない。
当然、返事もない。
エフィネルのひとりごとが誰に聞かれるでもなく溶けて消えていく。
「確か……御伽噺では眠り姫の呪いを解くのはキス……なんでしたっけ?」
エフィネルは唇に人差し指を当てて少し考える素振りを見せる。
そして意を決したように、ブランノアの顔に自身の顔を近付ける。
(これに深い意味はありません。ものの試しです。ですが……唇にするのはまだ早いですね)
緊張で高鳴る鼓動を鎮めようとエフィネルは自らに言い聞かせる。
そして――ブランノアの頬に、そっと口付けを落とした。
「起きませんか……。やはり迷信だったようですね」
それでも、ブランノアの様子に変化は見られない。
御伽噺の出来事は所詮迷信であると、エフィネルは残念そうにため息を吐き、未だ眠り続ける眠り姫の頭を一撫でする。
できることは他になく、こうして見守っている事しかできない。
エフィネルはブランノアをじっと見つめて、ただただ願いが届くことを祈るばかりだった。
◆
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