第20話 天焔

三時間後、禁足地の中心であろう民家の前。

睦月さんの無茶振りになんとか答えたご主人様は、息切れこそしてないものの、非常に疲れ切った表情を浮かべていた。

それも無理はない。本当ならばしなくてもいい戦闘を繰り返せば、必然と疲労も溜まる。

ご主人様は深くため息を吐き、項垂れた。


「……なんか、どっと疲れた」

「お疲れ様です、ご主人様。お飲み物は?」

「スポドリある?」

「ええ、こちらに」

「あ、ぬるい。ありがと」


俺が袖の中にしまっていたペットボトルを渡すと、真琴ちゃんはその半分ほどを一気に流し込む。

知識はあまりないが、どこかで「冷えたドリンクは健康に悪い」と聞いたことがあったが、どうやら正解だったらしい。

ぷはっ、とペットボトルから唇を離し、ご主人様は睦月さんたちにそれを差し出した。


「これ、飲みます?」

「ヤ。そこのドスケベがすんごい顔で見てくるもん」

「同じくです」

「失敬な。流石にそこまで拗らせてはおりません」


唇がエロいとは思ったが。

半目でこちらを睨め付けるご主人様から顔を逸らすように、聳える民家を見上げる。

…やはり、「如何にも」と言わんばかりの禍々しさである。

朽ちた壁、錆びついた家具、散乱する食器の残骸。

下手に踏み入らないように、出入り口や窓に板か何かを打ちつけた痕跡も見られる。

軽く意識を集中させると、かつてないほどの悪臭が鼻腔をくすぐった。


「…ふむ。相当厄介なモノがおりますな」

「『厄介な』ってレベルで済めば苦労しないわよ」


ご主人様は言うと、朽ちた板が打ち付けられていた扉に蹴りを入れる。

ばきっ、と蝶番が砕ける音と共に扉がぶっ飛び、奥の壁にぶつかる。

廊下にはこれでもかとお札が貼られており、その上から血のようなシミが広がっていた。


「ザ・お化け屋敷って内装ね」

「…この札、文字から見て封印の霊術が組み込まれているヤツだね。

ここにいる妖に術だけ破壊されたっぽい。

物理的な干渉が無理なタイプか、それとも単にものぐさだっただけか…。

このレベルになると後者だろうけどね」

「…流石に自宅がコレだと、気が滅入りそうなものですが」

「妖のくせに、人間臭いこと言いますね」


中身は人間だからな。

そんなことを思いつつ、土足で老朽化が激しいフローリングを踏みしめる。

ぎぃ、ぎぃ、と怪物の呻き声のような音が絶えず響く。

一歩ずつ歩くたびに、気配が濃くなる。

周りを構成する全てが妖だと言われても、何も疑わないほどの不快感が、肌を駆け巡る。

俺でさえ顔を顰めるほどなのだ。

ご主人様たちからすれば、全身を毒虫に覆われているのと同等の感覚だろう。


「…にしても、あれだけ尖兵を送ってきたのに、配下の妖がいないわね」


────それは余裕があるからです、お嬢さん。


ぶわっ、とご主人様の肌から冷や汗が滲む。

俺が声の方向に電撃を放つと、女性に近いシルエットが身を翻したのが見えた。

女性に近いとは言ったものの、その風貌は妖の中でもトップクラスにグロテスクだ。

なにせ、子どもの体を継ぎ接ぎにくっ付けたかのようなスカートが、地面へと伸びているのだ。

腹部にはその顔であろうモノが佇んでおり、こぼれ落ちんばかりに目を見開き、こちらを睨めつけていた。


『ああ、ごめんなさい。まずは紹介ですね。

私はこの地の母。「お母さん」とお呼びください』

「…土地神を取り込みましたね。

神への信仰が薄れ、あなたへの畏怖のみが残された結果ですか」


俺が龍神の腕を奪った理屈とは、また違った理屈なのだろうか。

そんなことを思っていると、睦月さんに向けて、子どもの口から散弾のように妖力の弾幕が放たれる。

ただの妖力の塊ではない。この違和感から、なにかしらの呪いが宿っていることだろう。

俺が雷でそれをかき消そうとするより先に、サクラちゃんが手をかざして結界を張り、それを打ち消した。


「おい。ガキの躾がなってないんじゃないか、『お母さん』とやら」

『ああ、すみません。

なにぶん、最近「私の子」になったばかりなので』

「…ああ、そういうこと。

あの趣味の悪い妖を作ってたのはお前か」


サクラちゃんの眉間に皺が寄る。

先ほど見た、人を加工した妖。

今、腹部に鎮座しているモノも、加工されている最中なのだろう。

出産のメタファーにしてはエグすぎないか?

そんなことを思いつつ、俺はご主人様を庇うように前に立ち、構えを取る。


『さあ、我が子よ。初めてのお客様です。

おもてなしの心で、じぃっくりと殺して差し上げなければ』

『うン、わガっタぁ!』


般若のような形相だった子どもの顔が一転、にたぁ、と歯茎を剥き出しにして、不気味な笑顔を浮かべる。

瞬間。「お母さん」とやらのスカートのように伸びていた四肢が、ばき、ぼき、と音を立て、俺たちに伸びた。


「ふむ。これはどうですかな?」


人間の体を使っている以上、相手に〈解体〉は効かない。

俺は雷を壁のように展開し、『不壊の術』によって質量を持たせる。

ご主人様の刀に施されている霊術を真似てみたが、なかなかに便利だ。

術の構築も「頑丈にしたい」とか思いながら力を込めるだけでいいから、めちゃくちゃ簡単だし。

…再現に使ってる力は霊力じゃなくて妖力だから、妖術だけど。

がきぃん、と金属同士がかち合うような音と共に放たれた四肢が止まるのを確認するや否や、俺は壁を解除した。


『いダあイ!!』

『おい!こんのクソジジイ!!

「私の子」に何するんですか!?』

「子、ですか。ペットの間違いではございませんかな?」


俺は言うと、不壊の術を付与した雷を槍の形状で顕現し、幾重にも増やす。

武器生成も出来るとか、不壊の術って簡単な割にはチートスキルではなかろうか。

…まあ、かなりの妖力を消費するから、俺やサクラちゃんみたいな規格外の妖でもなきゃ使えないんだろうが。

そんなことを思いつつ、俺は雷の槍を弾幕として放つ。

上の本体には弾かれたものの、下の子どもは「かぺっ」と声とも呼べない断末魔をあげ、絶命する。

帯電したハリセンボンみたいだ。


『いやぁあ!?私の子がぁぁああああ!?

…まあ、いいでしょう。この子の出来が悪いのが悪いのです』


秒で切り替えた妖は、ベリベリと腹部から子どもを剥がし、そこらに放る。

べちゃ、と音を立てて破裂したソレに、真琴ちゃんは顔を顰めた。


『次の子は、あなたがいいですね。

素直で強い子になってくれそうです』

「お断りよ、阿婆擦れ」


しゃっ、と滑るような音と共に、妖の肌になんとも言えない色合いの線が走る。

壁にも線が走っていることから、ご主人様が居合による斬撃を放ったのだろう。

数秒遅れ、そこから吹き出す血液に、妖は目を丸くした。


『強いですね。お母さん、誇らしいです』


目の前の妖にとっては、薄皮が軽く裂けた程度の傷なのだろう。

妖は即座に傷を治癒し、軽く手を振るう。

瞬間。素早く屈んだご主人様の髪を撫ぜ、衝撃が空間を駆け抜ける。

と。その軌跡に沿うように、赤黒い空間が姿を現した。


「攻撃と同時に結界の展開…ねぇ」

「禁足地レベルです。そりゃ、こんな芸当もやりますよね」


今の攻撃は結界を張るためのものか。

ぶわっ、と吹き飛ぶように家が崩れ、床のフローリングがぶよぶよとした肉へと変わる。

それだけではない。

そこらじゅうに「おたまじゃくし」に酷似した妖が漂い、俺たちに向けてゲラゲラと笑い声を上げている。

その中心には、太陽のように丸い肉塊が佇んでおり、浮き上がった幾つもの顔が、一斉に俺たちを睨め付けた。


『さあ。この子たちのように、お母さんのお腹におかえりなさい』


瞬間。ご主人様の体が宙を舞った。

「わわ、わ…」と困惑をあらわにし、浮き上がるご主人様に、妖が向かっていく。


「ムクロ!!」

「かしこまりました」


真琴ちゃんの叫びを遮るように、俺は手早く雷を放つ。

この威力ならば消し炭にできるだろう。

雷が確実に妖を貫こうとした、その瞬間。

妖がソレを取り込み、雷のような形に変貌した。


「なっ…!?」

「へぇ。触れたものと同化するんですね」

『その通り。彼らは私の子種。彼らに触れるだけで、私はあなたたちの母になるのです』


いくらなんでもチート過ぎるだろ。

そんなことを思いつつ、ご主人様を助け出そうと足に力をこめる。

と。サクラちゃんが小さく、しかし確かに声を張り上げた。


「睦月。ここまで行くと観察どころじゃなさそうだけど?」

「もう少し観察していたかったんですけどねぇ」


睦月さんが言うと、人差し指を向ける。

刹那。赤黒い世界が一転、一寸先も見えぬほどの暗闇に塗りつぶされた。

漂っていた妖は軒並み黒に染まり、睦月さんが作り出した世界に解けていく。

そんな中、宙を飛んでいたご主人様は落下し、「あでっ」と尻餅をついて声を上げる。

一体全体、何が起きたのだろうか。

俺が訝しんでいると、睦月さんはメガネに人差し指を当てて手を開き、口元を隠した。


「『お母さん』とやら。

あなたこそ元ある場所に還りなさい」


────『天焔』。


瞬間。暗闇をかき消すような眩い火球が、妖を襲う。

声すら上げることが出来ず、炎に包まれる妖を前に、睦月さんはいたずらを自慢するクソガキのように胸を張り上げた。


「霊力で極小の太陽を顕現する術です。

結界を幾重にも張らなきゃ自分も巻き込まれるのがクッソ面倒なのが難点ですが…、私からすれば跳ねる油を我慢する程度の苦労なんで、あってないようなもんです。

…って聞こえてませんよね」

『おまえ、おまえ、おまぁえええっ!!

お母さんになにするのよぉおおっ!?!?』

「私、母親が大嫌いなんで、母親を名乗るあなたを殺したくなるんですよ」


顔を顰めた睦月さんが、再び指を向ける。

瞬間。炎の塊が幾重にも重なり、妖の体を幾度も包み込む。

断末魔すら上げる余裕がないのだろう。

数秒もすると火球は消え、同時に妖の姿も跡形も消える。

睦月さんは崩れていく結界を前に、心底つまらないと言いたげな表情を浮かべた。


「禁足地レベルだからどんなもんかと思えば、特殊性で生き抜いていただけですか。

まさか、『天焔』五発で死ぬ雑魚だとは」


…もしかして、睦月さんって最強枠?

顔を引き攣らせた俺の肩に、真琴ちゃんとサクラちゃんの手が置かれる。

俺がそちらを見ると、2人とも「わかる」と言わんばかりに深く頷いた。



───────────────

術解説


「天焔」…睦月 ひかりが扱う霊術の一つ。展開した結界の中に、霊力で再現した小型の太陽を顕現する。神代の退魔師であれば真似できるであろうが、現代の退魔師がコレをやろうとすれば、確実に脳みそがキャパオーバーを起こして死ぬくらいには複雑怪奇な術である。尚、睦月からすればコレも「技」の領域には達してない。格闘ゲームで言うなら弱攻撃なので、普通に連発できる。

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