第17話 満足な生涯とは
鬼右衛門の首が地面に転がる。
真琴は刀に付着した血をはらうと、その刀身を鞘へと収めた。
その表情は優れない。
人を手にかけた罪悪感と、どうしても付きまとう違和感が、真琴の中には渦巻いていた。
「……アンタ、手ェ抜いた?」
剣を握ること10年。
才に恵まれず、死に物狂いで退魔師の世界を生き抜いてきた真琴だからこそわかった。
鬼右衛門が放った一撃は、自分が放った技…「暁」よりも遥かに洗練されていた。
それこそ、「暁」の二撃目が鬼右衛門の首を裂くよりも早く、真琴の首を刎ねていたことだろう。
が、しかし。現実はそうはならなかった。
転がった首は、悍ましい形相とは裏腹に、優しい声音で否定する。
『いや、全力だった。吾輩の全てを捧げた一撃だったが…、どうしてか。
柿崎 真琴。君の顔が、昔の「私」と重なって見えたのだ』
「…ふんっ。そんなことで勝ちを譲られるなんて、屈辱だわ」
『譲ったわけではない。私は技の撃ち合いで負けた。たったそれだけだ』
鬼右衛門の体がバランスを失い、倒れる。
勝敗は明らかな上、本人が負けを認めていると言うのに、真琴は納得がいかないと言わんばかりに表情を歪める。
が、しかし。ここで真琴が駄々を捏ねても、現実は変わらない。
真琴は諦めたかのように息を吐き、その場に座り込む。
「…わかった。この勝ちは貰っとく。
アンタの首、いい手柄になったわ」
『…くくっ。そうか』
その言葉は、せめてもの手向だった。
世界へと解けていく鬼右衛門の体が、よろよろと立ち上がり、転がった刀を手に取り、鞘に収める。
先程までの威圧感などまるでない。
今にも消えてなくなりそうな腕をしならせると、その手に持った刀を真琴へと投げた。
真琴はソレを片手で受け止めると、鬼右衛門の首へと目を向ける。
『戦利品だ。受け取れ』
「…いいの?小華ちゃんに渡さなくて」
『いい。渡すべきものは渡した』
「……ん。貰っとく」
死を目前にした鬼右衛門は、満足げな表情を浮かべ、目を閉じようとする。
が。それは小華の声によって遮られた。
「おじいちゃんっ!!」
声の聞こえた方…、空を見やると、ムクロに抱えられた小華が暴れる姿が見えた。
ムクロはある程度降下すると、小華をその手から解放する。
それでもかなりの高さがあったが、小華はなんでもないように着地し、転がった鬼右衛門の首へと駆け寄った。
いざ最期の時を迎えて、小華は思いの丈をぶつけようと、口を開く。
が。何か言おうにも、言葉が出ない。
先ほどまで、あれだけ言いたいことがあったのに、口からは空気だけが漏れる。
小華は真っ白になった脳みそから、絞り出すように問いかけた。
「………あと、どれくらい?」
『…2分もないだろうな。私の体が、この世界に解けていくのを感じる。
悪くない感覚だ。…寧ろ、心地良い』
あと2分で、最愛の家族は亡骸も残さずに死んでしまう。
どうしてこうなったのだろう。
自分がその引き金を引いたにも関わらず、そんなことばかりが頭をよぎる。
考えれば考えるほど、頭の中がこんがらがっていく。
世界へと解けていく鬼右衛門を前に、小華が震える唇を動かした。
「……よかったね、おじいちゃん。
やっと、夢…、叶ったね」
『ああ。叶ったとも。
小華。お前のおかげだ』
なんと残酷な褒め言葉だろう。
鬼右衛門の首を前に、涙が落ちる。
得られたものはない。ただ、人の家族を殺したと言う罪悪感を他人に押し付け、自分の家族を殺したと言う後悔を抱えただけだ。
自分勝手が極まったような思考と、それを証明するかのような結末が、どうしようもなく嫌になる。
自己嫌悪に顔を歪ませた小華に、鬼右衛門は口を開いた。
『…己の選択に後悔がつきまとうのは、至極当然。
後悔のない人生を歩んできた…、などと宣ううつけが世には居るが、そんな人生を歩めるのは、空想の世界の住人だけだ』
小華の内心を見透かした言葉に、彼女の肩が小さく震えた。
『だから、小華。存分に悔いろ。悔いて、悔いて、打ちのめされて。
その度に、胸に希望を持て。
叶うかどうかもわからない、荒唐無稽な夢でも良い。どうしても譲れない信念でもいい。
一つ、それを持つだけで、お前の心が真に折れることはない』
それは、絶望の中で500年を過ごした51代目「役小角」が、現代の役小角に与える最後の教えだった。
小華は嗚咽を飲み込むように下唇を噛み、こくっ、こくっ、と頷く。
体が完全に消えた。
残るは、そこに転がった頭だけ。
小華は震える手でソレを持ち上げ、その胸に抱き寄せた。
もう、彼に言葉を送るのは最後になる。
何を言おうか、などと考えている時間はない。
小華は山のようにあった言葉を飲み込み、小さく呟いた。
「おじいちゃん、ありがとう。大好き」
返事はない。すでに、口すらも世界に解けていた。
今、この時。「役小角」の名を持つ人間は、たった一人となった。
♦︎♦︎♦︎♦︎
鬼右衛門を看取った小華ちゃんが、その場で嗚咽を漏らし、泣き崩れる。
俺はそれを見下ろしながら、先ほどまでその手に収まっていた鬼右衛門の顔を思い浮かべた。
彼は確かに妖だった。
しかし、その心はただの人。
望みの叶わぬ生涯に絶望し、鬼となった後もその生に絶望し続けた、ただの人間。
遺す家族に言葉を残すような、そんな人間だったのだ。
「……ご主人様、大丈夫ですかな?」
「大丈夫じゃないわよ。早く治して」
俺からの手向など要らないだろう。
そんなことを思いつつ、俺はその場に倒れ込んだご主人様に右手をかざす。
治癒の妖術でどこまで治せるかはわからないが、少なくとも骨は治るはずだ。
疲労が一気に来たのか、ご主人様は地面に伏せ、呼吸を繰り返す。
その目尻には、涙が溜まっていた。
「お顔が汚れておりますよ」
「……ありがと」
痛みによるものではないだろう涙を拭き取り、俺はその顔から目を逸らす。
ご主人様はプライドが高い。
きっと、使い魔の俺にだけは見せたくない顔をしているだろう。
と。まだ痛むだろう体に鞭を打ち、ご主人様が仰向けになる。
血と泥に濡れた服でその顔を隠しながら、口を開く。
「…私、彼に同情してた。
彼の絶望もわかるし、彼がどれだけ渇望していたかも、自分のことみたいにわかった」
「……ええ」
「でも。私はとんでもなく恵まれていて、彼はそうじゃなかった」
ご主人様は顔を歪め、目元を手で覆い隠した。
指が少しずつ濡れていくのがわかる。
彼女は震える声で続けた。
「私は奇跡的に、夢を叶える力も環境も、揃えることができた。
でも、彼は違う。
この先、どれだけ長い時を生きても、望む死に方はできない」
「……ええ。そうでしょうな」
「彼は私に縋るしかなかったんだと思う。
だから、殺した。
ただの同情で、ただの憐れみで、彼の首を、小華ちゃんの家族の首を切り落とした。
そんなクソみたいな理由で、人を殺せる自分が、殺したいくらいに大っ嫌いよ…!!」
鍛え上げた体が、酷くちっぽけに見える。
ご主人様は鬼右衛門のことを「人として殺した」と思っているのだろう。
慰めの言葉をかけようにも、何を言えばいいのかわからない。
ご主人様は激しく自己嫌悪しながら、嗚咽を漏らした。
「あなた様にとってくだらない理由でも、彼は最期に満足しておりました。
それだけで充分ではありませんか」
「………っ」
ご主人様が、鬼右衛門に託された刀を握る力を強める。
満足のいく最期ほど、幸福なものはないだろう。
それこそ、心底くだらないことて満足できずに死んだ俺が言うのだ。間違いない。
だから、鬼右衛門の幸福にケチを付けてはいけない。
それが例え、誰であろうとも。
「彼は間違いなく幸福でした。
その幸福を、彼の死を否定することは、彼の生涯を否定するということ。
ご主人様がすべきことは、『役 鬼右衛門という幸福な男がいた』と胸に刻むことです」
数秒の沈黙が流れる。
気に障ることを言ってしまったか。
そんな不安が過ぎるのも束の間、ご主人様が隠していた目元を露わにする。
ずぴっ、と鼻を啜り、こぼれた涙を乱雑に拭って、彼女は柔らかな笑みを浮かべた。
「……たまにはいいこと言うのね」
「わたくしは使い魔ですから。
あなた様に寄り添うこともまた、生き甲斐であるのです」
言って、俺は静かに啜り泣く小華ちゃんを見やる。
と。その背を、丸太のように太い腕が叩いたような気がした。
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