第9話 初めての怪異は水子箱③

「…で。どうなんですか、アレ?」


ゲーム機に齧り付きながら、睦月がサクラに問いかける。

メガネの奥の視線は、真琴たちが進んでいった方角へと向いている。

サクラは横目でそれを確認すると、主人によく似た、小馬鹿にするような笑みを浮かべた。


「雑魚もいいところだね。

…結界の破り方すら知らない今のムクロなら、ちょっと苦労はするかな?」

「かの『鵺の王』が、情けない話ですね」

「まったくだ。かの龍神と渡り合った鵺の王が、たかが木端怪異が張った結界に手を焼くなんて。

あの時代の退魔師が聞いたら、咽び泣くと思うよ」


「ボクも同じ気分だけど」と付け足し、目にも止まらぬ速さでコマンドを打ち込むサクラ。

サクラが操作するキャラクターの一撃が刺さり、睦月が操作するキャラクターが見事に吹き飛ばされていく。

睦月はそれに顔を顰めると、封を開けたシガレットチョコを口に運んだ。


「マルチゲーってストレス溜まりません?

なんでやるんですか?」

「えー?ボクは面白いと思うけどなあ。

ひかりの顰めっ面見れるし」

「流石は私の使い魔。性格が悪い」

「そうだね。

あんなに弱い子を向かわせるなんて、どうかしてると思うよ」


ぴくっ、と睦月の眉が動く。

表情の変化に気づいたサクラは、凄まじい指捌きでコマンドを打ち込み、睦月の操作キャラを奈落に叩き落とした。

と。睦月はサクラの勝利を讃える画面へと映るモニターから目を離し、胡散臭い笑みを浮かべる。


「これも必要なリスクってヤツですよ」

「…悪趣味な荒療治だねぇ」

「だって、早く見たいんですもん。

本来の『鵺の王』」


♦︎♦︎♦︎♦︎


「数が多いわね…」


這々の体で木の上に逃げた私は、眼下に広がる地獄絵図に息を呑む。

さっきの胎児の形をした妖が、地表を埋め尽くさんばかりに広がっている。

全て、水子箱が生み出したものと見ていいだろう。

喃語に近い呻き声を上げ、こちらに手を伸ばす赤子たち。

と。その中の一人が、勢いよく手を振りかぶり、木に平手を叩きつける。


「うわ、わっ!?」


と。私のいた木がその衝撃で根本から折れ、地面へと倒れ始める。

私は咄嗟にその場から飛び上がり、近くの木へと逃げ込んだ。


「そりゃそうよね…って…!?」


先程の光景を見て学んだのだろう。

妖たちは生い茂る木々を手当たり次第にへし折り始めた。

悲しいことだが、私の刺突で軽く傷がつく程度の妖の攻撃とは思えない。

結界の中で強くなっていると見ていいだろう。

肝心の頼みの綱は結界に拒まれている。

どう考えても勝てる気がしない。


「迂闊に入るんじゃなかったわ…。

ムクロも入れると思ったのに…」


最初の襲撃の際、雷を撃たせたのが悪かったのだろうか。

後悔するも束の間、私が立っている木にも、妖の一撃が放たれる。

一瞬の衝撃と共に、私はその場から飛び上がり、妖の群れから距離を取った。


「…正直、距離取ったところでどうするって話なのよね…」


ちょっと傷をつけるくらいが精一杯の私では、どう足掻いても死ぬ。

ここから全力で逃げると言う手もあるが、怪異が張った結界内である以上、まず無理。

見事なまでに詰んでいる。


「あー…。浮かれたなぁ…」


強い使い魔を手に入れたからと言って、自分が強くなったわけではない。

頭ではわかっているつもりだった。

迂闊に結界に手を突っ込んだのも、ムクロが居れば安心だと思ったから。

自惚が過ぎるにも程がある。

雑魚は雑魚らしく、待っていれば良かったかな。

そんなことを思う傍ら、私は刀を強く握り、迫る妖の脳天に突きを放った。


♦︎♦︎♦︎♦︎


「…どうしたものでしょうな」


まずい。非常にまずい。

結界の破り方がこれっぽっちもわからない。

力技はあらかた試したが、どれもダメだった。

何か特殊な条件でもあるのだろうか。

もうあと一時間くらい考える時間が欲しいが、そんなことを言っていたら日が暮れる。

その間に真琴ちゃんが死にかねない。


「いやはや。力だけあっても良いものではありませんなぁ」


使い魔らしく、呼べば召喚されるとかいうようなご都合不思議パワーがあれば良かったのだが、そんなものはないみたいだし。

あれば、真琴ちゃんは即座に俺を呼んでる。

彼女は自己肯定感の低さに反して、非常に強かだ。

少しでも「死ぬ」と判断すれば、確実に今を生き残る術を探す。

俺の封印を解いたのも、絶体絶命な状況を打破するためだった。

彼女による使い魔の召喚がされていないということは、ないと判断していいだろう。

或いは、あっても真琴ちゃんの霊力では使えないとかだったりするかも知れないが。


「…考え事をしている暇はありませんな。

結界を早く破らねば、主人の肌に傷がついてしまうではありませんか」


それだけは絶対に避けたい。

しかし、取れる手段がもう無いのも事実。

何かないか、と焦りと共に結界に触れた、その時だった。


「……ん?」


何か妙なモノが頭の中に流れ込むような感覚と共に、眼前に広がる景色が一変したのは。

辺りを見渡すと、神社の残骸らしき破片がそこらに散乱している。

ぱちぱちと揺れる炎に、人らしき残骸までもが転がっているのが見えた。


『不遜な…!鵺の如き矮小な妖が、龍神の分霊たる我に牙を剥こうなどと…!!』


と。頭上から尊大な物言いの声が、叩きつけるように地表に響く。

俺がそちらを見ると、右腕を失った龍が忌々しげにある一点を睨め付けていた。

その視線に沿うように、目線をずらすと、一つのシルエットが佇んでいるのがわかった。


「あれは…、わたくしですかな?」


カラスの頭、人形の左腕、そして狐の両足。

右肩から下が存在し無いものの、その風貌は明らかに今世の俺そのものだった。

その左腕には、龍から切り落としたであろう右腕が、だらり、と力無く垂れている。


『〈解体〉』

『っ、ぬがァァァァァァアアアッ!!!』


もう一人の俺が呟くと、龍の右腕がその場から解けるように消え失せていく。

龍は一息置いて、激昂の雄叫びを上げると、口腔からレーザーのような炎を放つ。

余波で大地すら削れる一撃を前に、俺は冷や汗を流した。

今世の体でも、確実に死ぬ。

そんな一撃を前に、もう一人の俺は慌てることなく、左手を前に向け、呟いた。


『〈解体〉』


瞬間。伸びていた熱線が、一瞬にして世界へと解けていく。

龍は眉間の皺をさらに深くしながら、もう一人の俺へと怒鳴る。


『たかが鵺が、神の一撃を消すだと!?

巫山戯るのも大概にしろ!!』

『おやおや。永く生き過ぎて耄碌でもしたのではないですかな?

消したのではありません。「世界へと解体した」だけで御座います』

『なっ…、ま、まさか…!?』

『ええ。貰い物に御座います。

わたくしはそれに報いるべく、貴様を「解体」しに来たまで』


言うと、もう一人の俺は龍の右腕を構築し、ぐっ、ぱっ、と開閉する。

その光景に唖然とするのも束の間、俺を取り巻く世界が途端に元に戻った。


「先ほどのは…、この体の過去の記憶、ですかな?」


そうとしか考えられない光景だった。

何故に今、あんなものが脳裏を駆け巡ったのだろうか。

そんなことを思いつつ、俺は結界に置かれた左手を見やる。


「……試してみる価値はありそうですな」


先ほどの光景で、俺は『解体』という力を使っていた。

アレが過去の俺だと言うのなら、使えない道理はないはず。

そんな希望に縋るように、俺は力を込め、呟いた。


「〈解体〉」


瞬間。透明な壁だった結界が、ぐずぐずに溶け、世界へと解けていく。

それと共に、雪崩のように胎児の姿をした妖が、ご主人様と共に俺へと転がり込んできた。


「うぉわあああっ!?!?」

「おっと」


急に放り出されたかのように飛んできたご主人様を受け止め、俺はその場から軽く飛び上がる。

眼下に視線を向けると、結界の中には収まりきらないほどの妖が、「あぁー」だの、「うぅー」だのと呻き声をあげながら、俺たちへと手を伸ばしていた。


「ま、マジで死ぬかと思った…。

バカムクロ!私が中にいるのに、結界破りなんてすんじゃないわよ!!

おかげで空間が急に縮んで大変だったんだから!!」

「おや、申し訳ございません」

「……怒ってごめん。助かったわ。ありがと」


秒でデレるじゃん。超可愛い。

見たところ、軽い切り傷や打撲くらいで済んでいるみたいだ。

それでも、ご主人様の美しい肌に傷がついたのは見過ごせない。

俺は意識を怪異の気配へと向け、その位置を探る。


「…おや。存外、近くにあったようですな。

結界で遠く感じていただけだったと」

「残骸はきちんと回収しなさいよ。あとで供養するんだから」

「ふむ…。それなら…」


俺はご主人様を抱えたまま、怪異が居るであろう場所へと飛んでいく。

数秒と経たずたどり着いたその場所には、苔むした箱が地面に埋もれているのが見える。

俺がそれを引っこ抜くと、頭の中に赤子の泣き声を数倍邪悪したような声が響いた。

それだけでは無い。俺たちへと向かっている妖たちも、こぞって泣き声をあげ始めた。


『おぎゃァアアアアアアッ!!!!』

「ええ、ええ。さぞ無念でしょうな。

ですが、これ以上はいけません」


────〈解体〉。


瞬間。俺の持っていた箱から禍々しい雰囲気が消え失せる。

それと共に妖たちも世界へと解けていき、あたりに静寂が戻った。


「この場合、供養は必要ですかな?」

「………え、えっと、一応。

遺灰って触媒が中にある以上、霊は消えないし…」

「ああ、良かった。水子の霊ごと解体していたらと考えると、胸が痛くなりますので」


そう言うと、ドン引きしたような目を向けられた。

うん、わかる。多分、前世の俺でもドン引きしてる。

そんなことを思いつつ、俺は真琴ちゃんと水子箱を抱え、その場を後にした。

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