第6話 俺はアスリート体型が好みである。
「いやはや。配慮が足りませんでしたな…」
その日の夜。「乙女の寝室に居座る気?」と凄まじい圧を放つご主人様に負け、俺は豪邸を軽く散策していた。
全くもって反論しようのない正論である。
俺のような度を超えたスケベを寝室に置く気だったら、正気を疑う。
加えて、ここ数時間で脳がパンクしそうなほどの情報が押し寄せてきたのだ。
整理する時間も必要だろう。
今はご主人様のことよりも、目下の問題である「退屈」をどう過ごすかを考えよう。
この体には「睡眠」という習慣がない。
封印された空間の中で暇を潰そうと、何度も目を瞑ってみたが、ついぞ一睡もできなかった。
「さて、何をして過ごしましょうな。
願わくば、この性衝動を解消できるような物が欲しいのですが…」
先日までは暇を潰すものなどなかったが、今は違う。
豪邸を探せば、漫画やゲームなど、暇を潰す物が見つかるだろう。
願わくば、使ってもいいパソコンとか譲って欲しい。数万年ぶりにエロサイトが見たい。お金は使用人さんとかにタカろう。
…まあ、見れたとして、股にモノがないから意味ないのだが。
「へぇ。ボクの見ない間に、随分とスケベになったね。モノもないくせに」
ぴと、と、俺の喉元に細指が当たる。
俺が視線を下に向けると、してやったりと言わんばかりに誇らしげな顔のサクラちゃんが、こちらを見上げていた。
この指の刺突ですら、肉を抉り、骨を砕く威力を誇るのであろう。
そう錯覚させるくらいには、俺の喉に当てられた指が深く、羽毛と肉に沈んでいた。
「かかっ。どうしたことか、わたくしには人としての人生の記憶と共に、『性衝動』というものが宿ってしまいましてな」
俺のカミングアウトに、サクラちゃんの瞳が少しばかり揺らぐ。
が。数秒もしないうちに、その顔には老獪さを感じさせる笑みが浮かんだ。
「羨ましいことだね。
ボクは人の真似事は出来ても、人を理解することは出来ないからさ」
「わたくしとしては、見てくれだけでも真似したいのですがな。
これでは女性を抱けないではありませんか」
「隣の芝生は青いとはよく言ったものだ。
人間の慣用句だと思っていたけど、存外、妖にも適用されるみたいだね」
睦月さんが言っていた「シャイ」という設定はどこに消えたのだろうか。
そんなことを思っていると、サクラちゃんが喉元から指を離した。
「…ねぇ、ムクロ。キミはどうして真琴ちゃんを選んだんだい?」
「好みの女性でしたので」
「スケベらしい答えだね」
「スケベもスケベ、ドスケベですので」
顔もいいし、体型も好み。
ちょっとキツめの性格がネックだが、気丈に振る舞わなければならない家庭環境を想像すると、それすらも可愛らしく思えてくる。
俺の気色悪い思考を見透かすように、サクラちゃんは俺に半目を向けた。
「鼻の下を伸ばすな、気持ち悪い。
真琴ちゃんがそんなに好きなのか?」
「ええ、一目惚れですとも。
その美貌はさることながら、鍛え上げられ、引き締まった肢体がなんとも情欲を唆られるではありませんか」
真琴ちゃんは、自分のことを「ボウフラにも負けるクソザコ」と自虐したが、とてもそうとは思えない体つきをしていた。
例えるなら、長年軍隊に勤めている兵士のような、無駄なく鍛え上げられた体。あれに近いような気がする。
腕や足にある筋もくっきりと浮かんでいるし、腹筋も六つに割れている。
とはいえ、筋肉で膨らんでムキムキかと言われるとそうではなく、漫画で見るような女性らしいシルエットを残した細マッチョと言えるだろう。
あれほどの上玉、そうはいない。
…そんなことをサクラちゃんに熱弁すれば、ドン引きされるのだろうが。
と。ここでふと、俺は一つの疑問にたどり着いた。
「…そういえば、ご主人様は何故、退魔師の才が無いとされているのですかな?
体つきを見れば、とてもそうとは思えないのですが」
運動神経も確かなものなのだろう。
俺の封印を解いた時も、軽い負傷こそあったものの、骨が折れたなどの重傷は見られなかった。
あの場には、彼女が死を覚悟せねばならない妖が多数いたと言うのに。
確実に、真琴ちゃんが実力不足だとされている理由は、根本的な才能にある。
俺の確信を伴った問いに、サクラちゃんは半目を向け、ため息を吐いた。
「妖力と霊力のことまで忘れてるわけか。
両方使えるボクに聞いて良かったね」
サクラちゃんは言うと、俺にVサインを向ける。
と。人差し指には怪しげな色合いの光が、中指には暖かな雰囲気の光が灯る。
「この光は見えるだろ?
人差し指のはボクたち妖が使う力…『妖力』が、中指には人間や精霊、神なんかが使う『霊力』が灯っている。
どちらも妖や神と言った『概念的存在』に干渉するための力だ。
この違いについては省くよ。カラスの頭で理解できるような情報量じゃないからね。
『そう言う力があるんだ』と思ってくれたらいい」
言って、サクラちゃんは二つの光を消した。
俺が雷を放つのも、妖力によるものなのだろうか。
そんなことを思う傍らで、俺は真琴ちゃんが実力不足だと思い悩んでいた理由に辿り着く。
「……ははあ、なるほど。読めました。
我が主人には、その『霊力』がない」
「その通り。真琴ちゃんの霊力は、一般人の100分の1にも満たない。
それを補う長所もあったのに、退魔師界隈は霊力至上主義だから落とされちゃった…というわけさ」
「人間は変なところで前時代的だねぇ」と付け足すサクラちゃん。
その口ぶりからして、退魔師になるのに霊力の有無はあまり関係ないのではないか。
俺の内心を見透かすように、サクラちゃんは話を続けた。
「霊力は多いに越したことはないけど、無くても強い退魔師はいるよ。
ただ、どれも武器に纏わせるくらいの霊力は持ってるけど」
「ふむ…」
ウチのご主人様には、武器に纏わせる霊力すら無いというわけか。
可哀想な話だが、真琴ちゃんは本当に退魔師に向いていないのだろう。
本人にもその自覚はあるはず。
なのに、俺が封印されていた地区に入ってまで退魔師として成り上がろうとした訳は何なのだろうか。
単なる憧れにしては度が過ぎる。
なにか、大きな動機があるとしか思えない。
「答えてくれるとは思わないが、後で聞いてみようか」などと思っていると。
サクラちゃんが俺の嘴に、デコピンをかました。
「…何をなさる」
「妖力の使い方すら忘れた馬鹿者に折檻しただけだよ。
いつまで垂れ流してるんだい?」
「気配のことですかな?」
「それ以外に何があるんだ、阿呆め。
おかげでボクに慣れてる使用人たちも萎縮して相手してくれないんだよ。
新しい即死コンボ試したいのに」
言って、これみよがしに最新ゲーム機を取り出すサクラちゃん。
その画面には、相手を場外に吹っ飛ばすことに生涯を捧げた魔物が蠢く魔窟と化したゲームタイトルがデカデカと映っていた。
それでいいのか、菅原道真公の寵愛を受けた桜。慈しむ情緒もへったくれもないぞ、そのゲーム。
「というわけで、夜は暇だろ?
ボクが気配の隠し方を教え直してあげるよ」
ありがたい申し出である。
素直に喜びたいところだが、贅沢を言えば、もう少し背を伸ばして、筋肉の筋がくっきり浮き出た女性に手取り足取り教えてもらいたいものだ。
「…サクラ様の色香のない肢体では目の保養にもなりませんし、やる気が出ませんな」
「くたばれボケッ!!」
「うぐっ」
殴られた。今のは俺が悪い。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「あの『鵺の王』が私の使い魔…かぁ」
昨日の自分に言っても信じないだろうな、と思いつつ、私は布団を被る。
鵺の王が途轍もないドスケベだったとか、「好みのタイプだった」などと宣い、私を主人に選んだとか、ふざけているにも程がある。
でも、そんなふざけた理由で、私は退魔師として成り上がるチャンスを得た。
「…これで、退魔師になれる」
10年もの間、死ぬ思いで鍛えてきた体も、無駄になった。
試験に落とされた今、私に霊力が宿った神器や、妖力が宿った呪物が回ってくる可能性はないに等しい。
封印地区に入ったのだって、ほとんどヤケのようなものだった。
「捨てる神あれば拾う神あり」とは、よく言ったものである。
私を拾ったのは神ではなく、妖だが。
「望んだ形とは違うけど…。
ようやくスタートラインに立てた」
「使い魔の強さだけが取り柄の退魔師」と言われても構わない。
どんな手を使ってでも、退魔師として名をあげてやる。
私は髪紐を強く握り、体を丸めた。
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