第5話 ご主人様は家出少女
「着きましたよ。ここが私の家です」
映像の中にしか存在しないような豪邸を目の前にして、俺は「ほぉ」と力の抜けた声を発する。
悲しいことに、俺は極々普通のサラリーマン家庭だった故に、こういった絢爛な家とはまるで縁がなかった。
管理諸々を考えると、人を雇わねばならないだろう大きさを誇る屋敷を前に、俺はふと、疑問を口にする。
「はて?真琴様の自宅ではないので?」
「その、家出中なの。
今は睦月さんに面倒見てもらってる」
「気まずいから帰らないだけでは?」
「ちょっと、余計なこと言わないでよ…!」
中途半端な反抗期みたいな理由の家出だ。
…いや。確かに、真琴ちゃんの立場を考えると、気まずくなるのも頷けるが。
それほどに厳しい家柄なのだろうか、と思いつつ、俺は二人の後に続いた。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「ここが私の部屋です」
絢爛な屋敷の中を歩くこと数分。
そう言った睦月さんが扉を開くと共に、古びた紙の独特な香りが鼻腔を突き抜けた。
扉の奥を見やると、そこには「とっ散らかった書斎」としか表現できない空間が広がっていた。
足の踏み場はあるものの、積み上がったノートや紙が壁となり、人が通るには少しばかり無理のある隙間しかない。
睦月さんは慣れた足取りで部屋の奥へと進むと、古めかしい椅子に腰掛けた。
「どうぞ、遠慮なく入ってください」
「あんまり崩さないでよ。片付け面倒なんだから」
心底面倒だと言わんばかりの表情を浮かべる真琴ちゃんに、俺も眉間に皺を寄せる。
人に近い体躯とはいえ、威圧を感じさせるほどにはガタイがいいし、身長はおそらく二メートルは超えている。
更にはゆったりとした着物を着ている時点で、この紙を崩さずに移動するというのは無理な話だろう。
電気系の能力で固定とかできたっけな、と思いつつ、俺はえっちらおっちらと進む真琴ちゃんの背を見つめた。
「ちょっと、入ってきなさいよ」
「わたくしめの体躯では無理かと」
「多少なら崩しても構いませんよ。
配置は覚えてるので」
「左様ですか。なら、お言葉に甘えて」
鵺の王という称号からは考えもつかないほどに、ひょこ、ひょこ、とおぼつかない足取りで資料の海を荒らさないように進む。
流石に多少は乱れてしまったものの、俺はなんとか睦月さんの元へと辿り着いた。
「では、改めまして。
ようこそ、私の研究室へ。
歓迎しますよ、研究サンプルさん」
「わたくし、これから腹でも掻っ捌かれるのですかな?」
そういう思惑は隠して欲しいものである。
俺が問うと、睦月さんは鼻で笑った。
「ンなことしませんよ。
妖の死体は消えますし、科学的アプローチはほぼ意味を為さないんですから。
妖研究は基本的に、この目で見て、情報を纏めるしかないんです。
古い文献も、一部を除いて眉唾物が横行してますし」
「ははぁ」
機械を用いた検査ができない上に、死体が残らない以上、ろくに調べられないわけか。
その上、頼みの綱である古い文献も、ほとんどが出鱈目だらけ。
学者泣かせにも程があるな、と思いつつ、俺はふと、浮かんだ疑問を口にする。
「使い魔を調べればいいのでは?」
「もうやってますよ。それでも全然サンプルが足りないんです。
今時、使い魔を連れてる退魔師なんてそうそういませんし」
「それまた、どうして?」
「使い魔がバカみたいに弱いからよ」
キッパリと言い切った真琴ちゃんに、俺はなんとも言えない表情を向ける。
自分の使い魔を前にして言うことか、と思っていると、真琴ちゃんは「アンタは別よ」とため息を吐いた。
「使い魔の契約は、基本的に格下の妖を脅しに脅しまくって結ぶモンだからね。
昔は頭でっかちな連中が殆どだったから、盛んだったらしいけど…。
今は『退魔師同士でチームを組んだ方が早い』って誰もが思ってるから、わざわざ手間暇かけてメリットの少ない契約なんかしないわけ。
一応は講習で学ぶらしいけど…、私も睦月さん以外に使い魔がいる人を見たことないわ」
チームを組むくらいには、退魔師同士でのイザコザは少ないらしい。
イメージとしては、横のつながりを良しとしてしていない、古風なコミュニティを想像していたのだが。
と。ここで俺は、新たに浮上した疑問に、首を傾げた。
「はて?退魔師ではない睦月様にも使い魔がいらっしゃるのですかな?」
「ええ。この部屋に居ますよ」
睦月さんの言葉に、俺は首を傾げた。
先程の蜘蛛のような気配は一切感じない。
それほどまでに弱い妖なのだろうか、と思っていると、それを見透かしたかのように睦月さんが、くっ、くっ、と喉を鳴らした。
「意図的に気配を隠しているんです。
シャイな子なので」
「机の下よ。いつもそこにいるわ」
「ふむ…。なるほど」
睦月さんが座る机の下に意識を向けると、微かに妖の気配がする。
気配の隠し方を教えてもらおうかな、と思いつつ、俺は机の下を覗き込む。
と。そこから漏れ出た小さな悲鳴が、俺の鼓膜を揺らした。
「ひっ…!?」
そこに居たのは、少しばかり大きめのシャツに身を包んだ、まだ小学校低学年ほどの背丈の女児だった。
見た目こそは人間そのものだが、気配は妖のものに近い。
しかし、先程の蜘蛛とは明らかに違う。これが使い魔の気配というやつなのか。
睦月さんがその女児の頬を突き、小馬鹿にしたような表情を浮かべる。
「ほら、サクラ。自己紹介なさい」
「嫌だよ…。そいつ、鵺の王じゃないか…」
「ゲームカセット全部叩き壊しますよ」
「わかった、わかったから…」
完膚なきまでに現代っ子である。
睦月さんの子供ギャン泣き不可避な脅し文句に屈した女児は、机の下から顔を出した。
「君とは知己の仲のはずだが…、まあいいや。
もう一度自己紹介をしておくとしよう。
ボクはサクラ。名前のまんま、桜から生まれた妖だ」
サクラと名乗った彼女は、シャイと紹介された割には、随分とお喋りな印象を受ける。
封印される前の俺とは知り合いらしいから、人見知りなのだろうか。
床まで伸びた、桜のような鮮やかな色の髪を引きずり、彼女は資料の山に腰掛けた。
「…生憎ですが、その頃の記憶は綺麗さっぱり消えております。
わたくし自身のことに関しては、今の名が『ムクロ』ということしかわからないのです。
…ところで、桜から生まれた…とは?」
「そんなことまで忘れたのかい?」
「お恥ずかしながら…」
忘れたというよりは、知らないという感覚なのだが。
サクラちゃんは深いため息を吐くと、授業でもするかのように語り始めた。
「妖は条件が整えば、何処からでも生まれるものさ。人がそこに『いる』と思ったり、人の負の感情が集まったり…。
死した生物が妖として復活する…なんてのも珍しくはないよ」
サクラちゃんの話が本当だとすると、この世界は世辞にも、平和とは言えないようだ。
俺が戦慄するのをよそに、サクラちゃんは肩をすくめる。
「ボクの場合、主人の悲運を悲しんで自分から朽ちたくせして復活だからね。
情けないことこの上ない。
松や梅は体があるから、まだ妖にはなっていないけどさ」
「主人…?睦月様はご健在のようですが…」
「ああ、そっちじゃない。
ボクが言ってるのは菅原道真公だよ」
前世でも聞いたことのある名前だ。
確か、日本三大怨霊であると同時に、学問の神様として祀られている偉人だっけか。
…しかし、飛梅伝説は有名だが、桜の伝説はあっただろうか。
俺がそんなことを考えていた、その時。
「はぁああああっ!?!?」
真琴ちゃんが素っ頓狂な声をあげてすっ転び、崩れた資料の海へと沈んでいった。
睦月さんが「あーあ」とため息を吐く横で、俺は本や紙に埋もれた真琴ちゃんを引っ張り出す。
「大丈夫ですかな?」
「だ、大丈夫…。大丈夫だけど…。
サクラって菅原道真の関係者なの!?」
「……あれ?ボク、真琴ちゃんには言ってなかったっけ?」
「言ってませんよ。サクラという名前だけしか紹介しなかったじゃないですか」
「そっか…。じゃあ、改めて自己紹介しておこうかな」
瞬間。トンネルで出会った蜘蛛とは比べ物にならないほどの威圧が、俺たちを襲った。
俺はなんともないが、妖の気配にやられてか、真琴ちゃんの顔色が急激に悪化していく。
そんな中、濃密な妖の気配を纏うサクラちゃんが、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「ボクは『菅原道真公の寵愛を受け、彼の不幸を嘆き、朽ちた桜』そのものだ。
真琴ちゃんも聞いたことはあるだろう?
『梅は飛び 桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん』ってね」
可愛らしい表情ではあるはずなのだ。
しかし、その笑みは、人外のものとしか思えなかった。
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