第14話 失敗したんでしょうか


 都姫ときが何か企んでいるのは明白だった。彼女がそれを実行する前に、理玖りくは手を打たなければならない。


直弘なおひろ、都姫の手はそのまま捕まえていてくれ」

「はいっ」

「では、旅行時計を使うぞ」


 三人はそれぞれ決然とした表情でその時を待った。ビュンッ、と風が逆巻くような感覚がして、理玖たちは無事に、都姫がタイムトリップする寸前の時空に降り立った。


 閑静な住宅街の道のど真ん中、タイムトリップ前の都姫の背中が見える。それを確認するや否や、理玖は猛然と駆け出した。


「行き先を変えてっ!!」

 後ろから都姫の声が追いかけてくる。

「ミッドウェーの作戦は中止! 今すぐ三郎さんの所に向かうの!」


 させるか、と理玖が左手で都姫の腕を捕まえる。


「怯まないで! 行くの!」

 現在の都姫が叫ぶ。

「……! 分かった!」

 過去の都姫が表情を引き締める。

 すぐに、理玖の周りで風が逆巻く。ビュンビュンと時空が歪み出し、体が思うように動かなくなる。だが理玖は右手をジャケットに突っ込んで、旅行時計に触れた。

 針の設定はそのまま。手探りでボタンだけ押下する。


 ピタリ、と都姫の起こした時空の風が止んだ。一瞬の後、今度は理玖が発生させた時空の風が吹き荒れ始める。


「きゃあっ、嘘っ、やめてーっ!!」

 都姫は金切り声を上げた。理玖は黙って、都姫の腕をしっかりと掴んでいた。

 ──風が止む。

 都姫が、ウェーク島に行ったという事実は、これで消え去った。

 それはつまり、ミッドウェー海戦が史実通りに行われたということでもあり、世界的な歴史改変が無かったことになるということである。そして、理玖と直弘が歴史改変者チェンジャーを追ってウェーク島に行った事実も消えるし、ウェーク島から都姫を連れ戻したという事実も無くなる。

 一連の出来事がぐちゃぐちゃになるという訳だ。このタイムパラドックスに、世界はどう辻褄を合わせるのか。

 こういう不確定要素が加わってしまうから、理玖は都姫を止めるのを「乱暴な手段」と認識していたのである。

 これは賭けだ。だが勝算があるから実行した。都姫が三郎と出会った事実は、未だにゼロ・ノートに影響を与えていない。都姫による歴史改変で、世界がしっちゃかめっちゃかになることはない。だから今回も、世界は無事に回るようになるはずなのだ。多分、きっと。


 理玖は都姫の腕をがっしり抑えたまま、後方の直弘と都姫を振り返った。

 待つこと数秒、直弘が捕らえていた都姫の方は、まるでスマホの画像を削除したかのように、パッと消え去った。直弘はというと、しばらく空を掴んで固まっていたが、じきに困惑の表情を浮かべた。


「あれっ? 俺、どうしてこんなところに?」

 彼は戸惑いを隠しきれずに理玖の方を見た。

「理玖さん……あっ、逆井都姫もいる。あの、俺、何か失敗したんでしょうか」


 理玖は冷静になるためにいっとき目を瞑り、それからゆっくりと開いて、首を横に振った。


「……分からない」


 理玖は答えた。


「多分、私たちは何か仕事をした。その結果としてここに犯人を捕まえているんだろうけど……。何にせよ、過失があったとしたら責任は私にあるから、直弘が気にすることはない」

「いえ、そんな」

「何が起きたかは私にも分からない。だが今、一仕事終わったのは確かだ。他のことは恐らく、サブ・ノートには経緯が記されているはず。知りたいのなら、支部長代理に頼んで、読ませてもらうと良い」


 それで、と理玖は都姫を改めて見た。そして、いささかぎょっとした。

 彼女は、茫然自失といった表情で、ぼろぼろと涙をこぼしていたのだ。

 いつもならうるさく騒ぎ立てて理玖を攻撃する都姫なのに、一体どうしたというのだろう。

 ……ここで、心配になってしまう辺りが、自分が歴史修復師リペアラーとして未熟たるゆえんなのだろう。仕事で手を抜くつもりは微塵も無いのに、チェンジャーに断固たる態度で接することが出来ない。


「どうした、都姫」

 理玖は尋ねた。都姫は黙って泣いている。

「何故そんな風に泣くんだ。お前が失敗するのなんて、いつものことじゃないか」

「……あたし、もう……」

 都姫が声を絞り出す。

「何だ」

「あたしはもう、タイムトリップ出来なくなっちゃった。さっきが、三郎さんに会いに行ける、最後のチャンスだったのに」

「……!」


 その現象は、理玖がこれまで出会ってきたチェンジャーたちにもよく見られるものだった。生まれ持ってのタイムトリップの能力は無限ではない。力が枯渇したら二度と能力が使えなくなる例は、いくつかある。


「えっ、つまり、俺たちはもう、こいつの起こす事件の尻拭いを、しなくて済むってことですか!?」

 直弘が食い付いてきた。

「ついに勝ったんですね……リペアラーは、逆井都姫に!」

 理玖はぎこちなく笑みを作った。

「そうだな。これで、煩わしい仕事が一つ減ったよ」

 そう言いながらも、理玖はまだ都姫を見ていた。


「……都姫」

「何」

「そのー……あれだ。永田三郎のことだけど、彼のことは──」

「黙ってくれる?」


 都姫が珍しく刺々しい口調で言った。理玖はやや気圧されて口を閉じた。


「あたしの恋は成就しなかった。あの人は過去に死んでしまった。もう二度と会うことはなく、最後に一目会うことも叶わなかった。全部全部あんたたちのせい。なのに今、そのあんたが、あたしを慰めようとしたの? 馬鹿にするのも大概にしてよ」

「……す、すまない」


 理玖が小声で言った途端、直弘の張りのある声が割って入った。


「謝る必要なんて無いですよ、理玖さん!」


 理玖は瞬きをして、直弘の方を見やった。彼はずんずんとこちらに歩み寄ってきていた。


「そいつは、自分勝手で自己中心的な理由で、危険なタイムトリップを何度もしてきたじゃないですか。それを毎回きっちり阻止してきたのは凄いことです! それだけでなく、敵であるチェンジャーに対しても気遣いの心を持っていらっしゃる。立派なことじゃないですか。褒められこそすれ、貶される理由なんて一つも無いです!」


「……直弘」

 理玖は呟いた。

 こんな風に庇われた経験はあまり無かったので、少し戸惑っていた。が、同時に嬉しくもあった。

 憤慨した様子の直弘を見て、理玖は今度は、作り笑いでなく、微笑んだ。

「……ありがとう。直弘にはいつも助けられているよ」

「えっ? お、俺は、頑張ってる理玖さんが侮辱されるのが気に食わなかっただけで」

「そう思ってもらえることが、ありがたいんだ」

「え、えーっと」


 お陰様で気持ちも切り替えることができた。理玖は、滂沱の涙を流す都姫から、手を離した。


「さあ、事務所に戻ろう。支部長代理に報告だ」

「は、はい!」


 直弘は力強く頷いた。

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