第12話 接触はなるべく避けたい

 透き通った碧い海、白くて眩しい砂浜、吹き抜ける風。


「綺麗な所ですね」

「珊瑚礁だからな。人も少ないし」


 理玖りく直弘なおひろは、さくさくと砂浜を踏んで歩いていた。

 広大な太平洋にぽつんと存在する小さな島、ウェーク島。一九四二年五月十一日現在では大鳥島と呼ばれている。理玖は人目を避ける目的で、この砂浜に降り立った。


「不発弾に気を付けてくれ。この辺は大丈夫だとは思うが、ウェーク島の戦いで日米が争った後だからな」

「ひえっ……はい、気を付けます」


 じきに砂浜は終わり、高い椰子の木や羊歯シダ植物など、見慣れぬ草に覆われた野っ原が現れる。


「……暑いです」

「熱帯だからな。……私も参った」

「スカート、涼しそうですね」

「そうかも知れない」


 直弘は真面目に日本軍の軍服をきっちり着ているので、この暑さは堪えるだろう。理玖もジャケットを脱ぎたくて仕方がない。早く冷房に当たりたいものだが、残念ながらこの時代にそれは望めない。


「水が欲しいです……このままじゃ熱中症になる」

「軍から貰えると良いがな。離島では、真水は手に入りにくい貴重な物資だ」

「周りにはあんなに海水があるのに」

「飲むか? 海水。余計に喉が渇くぞ」

「遠慮します」

「ふふん。ともかく、体調が悪くなりかけたら報告すること」

「はい」


 何だってこんな僻地に基地など置くのかと文句の一つでも言いたくなるが、太平洋の真っ只中に基地があれば、広範囲において制空権と制海権が得られる。離島だからこそ軍事的な要衝なのである。ミッドウェー島でもそのような理由で戦いが起き、そこでの日本軍の敗北が太平洋戦争の転換点にまでなるのだ。


 わさわさと生い茂る草木を掻き分け、理玖と直弘は進む。くたびれ果てるまで歩いてようやく、航空基地の敷地が見えてきた。

「へえ、意外と立派ですね。滑走路も綺麗ですし」

「アメリカが作った航空基地を流用しているからな。全てが日本軍の手柄とは言えない」

「あ、そういう……」

「む?」


 理玖は飛行場の向こう側に四角い建物があるのを確認した。


「あの建物に日本軍が駐在しているのかな? どうもウェーク島は史料が少なくて、知識が浅いのだが……」

「どうするんですか? 突撃しますか?」

「しない。変装しているとは言え、人に見つかったら厄介だから、チェンジャー以外との接触はなるべく避けたい。早めの時間に来ているから、周辺を探ってチェンジャーを見つける。小さな島ではあるが基地はそれなりに広いし、今回も二手に分かれようか」

「はいっ!」


 そういう訳で理玖は、基地の向かって右側に沿って歩いて行くことにした。背の高い草を掻き分け掻き分け、足場の悪い中を慎重に、かつ迅速に歩く。時折辺りを見回して、チェンジャーの姿を探す。

 三十分も歩いた頃だろうか、理玖は前方に人影を見つけた。

 ──二人いる。

 咄嗟にしゃがみ込んで草の影に身を潜めた理玖は、息を殺してその人影を見つめた。

 体格からしてどちらも男性。軍服を着用している。きびきびと歩く。この人たちがチェンジャーである可能性は低いと思う……いや、片方がチェンジャーである可能性もありか……?

 凝視している内に、男性の一人が真っ直ぐこちらに向かって歩いて来た。居場所がばれているのだろうか。こいつがチェンジャーだったら良いが、普通に日本軍の人だったらまずい。接触は避けたいと言っておきながら早速ピンチである。史実に無いはずの出会いが生じてしまうから、バタフライ・エフェクトが気掛かりだ。それに、こういう事態に備えて事前にでっちあげておいた言い訳が通用するかどうか、改めて考えるとかなり危うい気がしてきた。

 落ち着け、と理玖は静かに深呼吸する。

 慌てていたら余計に不審がられる。堂々としていれば嘘を押し通せるかも知れない。だからこの場合──こそこそ隠れるのは逆効果だ。

 理玖は意を決して、草むらの中から立ち上がった。


「すみません!」

「む?」


 男性は立ち止まり、疑り深そうにこちらを睨んだ。


「誰だ? 何故、女がこんなところにいる?」

「あの、日本軍の方ですか?」

「そうだが」

「あちらの方も?」

「うむ」


 理玖は内心で歯噛みした。


「ああ、良かった。良ければ助けてくださいませんか? 私、陸軍に新設された女子通信隊の者でして。今朝この大鳥島に到着したんですが、軍人さん方にお会いする予定の時刻まで間があったので、少し散歩をと思っていたら、迷ってしまって……」

「……迷ってこんな奥地まで来たと言うのかね」

「ええ。お恥ずかしながら、この島の珍しい植物に見とれておりました」


 軍人は妙なものでも見るような顔をした。理玖も我ながら苦しい言い訳だと思う。


「……しかし、女子通信隊、とやらが来るという話は聞いとらんが」

「あら? そんなはずは……。私は正規に派遣されたと聞いております。何か手違いでもあったのでしょうか」


 ふん、と軍人は踵を返した。


「では我々と共に本部まで来てもらおう。貴様の言うことが本当か、そこで確かめる」

「まあ、案内してくださるの? 助かります。ありがとうございます」

「良いから早く来たまえ」

「ええ」


 理玖は冷静さを失わないよう必死で動揺を抑えながら、これからどうするべきか、脳みそをフル回転させて考えた。

 本部に着いてしまったら確実に嘘はばれる。しかも無数のバタフライ・エフェクトが発生してしまう。かなりまずい状況だ。作戦を変えなければならない。──だとしたら、あの作戦が最も簡単だろうか。かなり乱暴な手段ではあるが、何もしないよりマシだ。


 新しい作戦の成功条件の第一は、直弘が上手くチェンジャーの情報を掴むこと。第二は、理玖が殺されることなく直弘と合流することだ。これが出来れば、歴史改変を防げるかも……。

 理玖は、少しでも作戦の成功に近付くことができるよう、些細な情報も聞き込むことにした。ずんずんと前を行く軍服姿の二人の背中に声をかける。


「あの、軍人さんは、どうしてさっきの場所にいらしたんですか?」

「……巡回だ。アメリカの諜報員などが侵入していたらおおごとだからな」

「そうだったのですね。これまでに、怪しい人物が来たことはあるのですか?」

「貴様が一人目だ」

「ふふ……。巡回はいつもお二人でなさっているの?」

「決まった時間に交代制でやっている。今頃は基地の反対側にも二人派遣されている」

「まあ、大変なのですね」


 理玖は内心で歯噛みした。直弘も見つかっている可能性が極めて高い。懸念事項は増えるばかりだ。

 本当に、困った。

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