第10話 人類の歴史が好きです
「──居たっ!」
「
「承知しました!」
推理はドンピシャで命中した。
「キャーッ!? まだあたし、何もしてないってば!」
「何かしてからじゃ遅いんだよ! 大人しくお縄につけ!」
「何よ、警察でもないのに生意気!」
「静かにしろ! うるさいと近隣に影響が出るだろ! うおりゃー!」
直弘はあっという間に都姫に追いついてその手を掴んだ。
「嫌っ、離して! この変態!」
「人聞きの悪い嘘を捏造するな! 悪目立ちするだろうが!」
「はいはい、そこまでそこまで」
「よろしい、よくやった直弘。とっとと脱出するぞ」
「はいっ」
「嫌だっ!」
「黙れカス女」
こうして理玖たちはまたしても、現代の事務所の控え室にトリップした。
「うっ……うっ……」
都姫は体を震わせた。
「うわああん! せっかく頑張ってパワーを溜めていたのに! 努力が水の泡だよぉ! このっ、人でなしの極悪リペアラーどもが!」
「都姫……。何の罪もない女児を死なせようとしていたのを棚に上げて、他人のことをとやかく言うな」
「理玖、あんただって何の罪もない人を地震や空襲で死なせてるじゃないの!」
「……。私は」
「おい。言葉は慎重に選べよ、逆井都姫」
直弘が低い声で言ったので、都姫はびくっとしてそちらを見たし、理玖もやや驚いて直弘を見上げた。
直弘は怒っているようだった。
「良いか。理玖さんは、現代の人々を、現代の世界を、正しい歴史を守ったんだ。チェンジャーのお前が責めるのは間違ってる。そもそもお前が余計なことをしなければ、理玖さんは過去に行かずに済んだ。過去の人を生かすとか見殺しにするとか、そんな下らん選択肢を理玖さんに与えたのはお前なんだ。理玖さんに罪など無いッ!! 全部全部お前のせいなんだから、お前がギャーギャー騒ぐのはお門違いだ。責任転嫁だ。恥を知れ!」
「……直弘」
「うっ、うう〜、うううー!!」
都姫は年甲斐も無く目に涙を溜めた。
「直弘くんの意地悪! そんな風に立て続けに罵らなくたって良いじゃない!」
「俺は事実を言っただけだ」
「意地悪〜っ!! 私、こんなに頑張ってるのに! もおぉ〜!」
理玖はふっと肩の力を抜いた。
直弘の言葉で、幾らか救われたような気がする。落ち込みかけた気持ちも、調子を取り戻した。
理玖はようやく、都姫に憎まれ口を叩こうという気になっていた。
「頑張るも何も、お前は他人様の配偶者に横恋慕しているだけだ。何から何まで傍迷惑なんだよ。……さ、出て行きな」
「わあーん! バカバカ! 理玖のバーカ! 直弘のバカー!」
都姫は滂沱の涙を流しながら、いつも通り控え室から退散した。
理玖と直弘は顔を見合わせた。
「……さて、直弘。
「はいっ」
「あと、助かったよ。ありがとう」
「? 何がです?」
「……何でもない。行くぞ」
今回は、報告を直弘にやらせることにした。理玖は横から少し助け舟を出したが、直弘は分かりやすく簡潔にいきさつを説明することができた。彼のリペアラーとしての成長は著しい。
昌史さんはうんうんと頷きながら、ゼロ・ノートとサブ・ノートを見比べている。
「問題は無さそうだね。上書き保存をするよ」
「お願いします」
こうして、ゼロ・ノートの警告の光も消え、一件落着である。ちょっくら休もうかと、理玖と直弘は支部長室を出ようとしたが、理玖だけ呼び止められた。
「何ですか、昌史さん」
「何、大した話じゃないよ。直弘くんは先に休憩をしておいで」
「分かりました。失礼します!」
理玖と昌史は、直弘が出ていくのを見守った。それから理玖は口火を切った。
「どうせ大した話なんでしょう」
「どうだろうね」
「手短に願います。私も休みたいので」
「うん。……理玖さん、仕事で無理をしてはいけないよ」
理玖はぴくっと眉を動かした。
「無理? してないですよ、そんなもの」
「君の仕事ぶりを甘く見ている訳ではないよ。ただ、リペアラーのメンタルケアも、支部長の仕事の内だからね」
「今の所、特にメンタルに問題はありませんが」
「ふふ。さっき言った時は、突っぱねられてしまったけどね。やはり君はリペアラーには向かない性格をしているよ」
「……」
「ああ、そう怒らないで」
昌史は困ったように笑った。
「ただ、理玖さんは毎回、過去の人々を史実通りに犠牲にしてしまうことを気に病んで、罪の意識を感じてさえいるようだから。そうでしょ?」
理玖は逡巡したが、渋々頷いた。
「まあ、そういう面があることは、否定しません」
「それは理玖さんの持つ純粋な優しさだよ。その優しさを、理玖さんは理性で押さえ込んでしまっている。必要なことだからと自分に言い聞かせて、進んで傷つきに行ってしまっている。君は強いし正義感もあるから、そういう芸当も出来るんだろうね。でも、我慢を重ねては心身に良くない」
「……」
「その点、意外と直弘くんの方がリペアラーに向いている。直弘くんは前回も今回も、頭の切り替えが早くて、物事の捉え方もあっさりしている。そうすべきと分かったらすぐに、犠牲者を切り捨てることが出来る。何か嫌なことがあっても、気に留めずに次に進んで行ける」
「私にはそれが出来ていないと?」
「いや、いや。出来ているよ。ただそのために、君は色んなことを我慢してしまっているだろう。それで心身に不調が出ないか心配なんだ」
「……」
「理玖さんは、今回のリペアでも、かなり消耗しているように見えるよ。……真に優しい心を持つ人間には、リペアラーの仕事は負担になり得る。だったら無理にやらなくても良い。何、責任を感じる必要は無いよ。人事も私の役目だから。それより理玖さんは、もっと自分を大切にして欲しい。仕事だけが人生じゃないのだからね」
理玖は束の間俯いたが、すぐに真っ直ぐ昌史を見つめた。
「家柄だとか、責任感だとか、そういうものだけで私がここにいるとお思いですか。それは違いますよ。私は私なりに、この仕事に意義を見つけているんです」
「……それは、何かな」
「……」
理玖はリペアラーになる前から、両親の手解きで、歴史の勉強に打ち込んできた。こんな勉強漬けの毎日を送っていたら、歴史が嫌いになるんじゃないかとすら思っていたが、その心配とは裏腹に、理玖は歴史が大好きになっていった。
人類の歩んできた道が如何に愚かでも、その流れの先に自分たちが居る。
壊したくない。壊してはならない。たとえそれが愚昧で非情な歴史でも。人間は皆、数多の屍の上に生きている。それを受け入れた上で、前を向いて生きるのが宿命だ。
そのための手伝いができるなら、この仕事も悪くない──。
「私は人類の歴史が好きです。良い面も悪い面も……どっちも合わせ飲むのが、人間の本来の姿だと思います。そして、数多の屍の上に成立している、現在のことも好きです。これらの神聖な事実を捻じ曲げるのは不誠実で傲慢だと思います。ですから、現代人が過去に戻って好き勝手やるのは看過できません。そんな人物を野放しにしてのうのうと生きることは私にはできない──。私がまだ動ける内は、リペアラーとしてお役に立ちたい。そう思えば、多少つらくてもやっていけます」
「……そうか」
昌史は悲しそうに笑った。
「理玖さんなりの理由があるのなら、強く止めたりはしないよ。ただ、繰り返し言うが、無理はしないこと。私ももっと人材を確保できるように頑張るから、必要とあらば他人に頼りなさい」
「はい。ありがとうございます」
理玖は、本が山積みの大きな机の向こうに座る昌史に向かって、生真面目な顔で頷いた。
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