第9話 巻き込まれたんだわ


 永田三郎は、木造の仮設住宅の中の薄い布団の上で、兄に見守られておとなしく横になっていた。歳の頃は、十歳か十一歳のはず。兄の方は確か十七とかだったような。


「変な女の人? 来たよ」


 三郎は理玖りくの質問に答えて言った。

 そうなのか、と兄が驚いて三郎の顔を見つめる。


「うん。あいつ、自分のこと、俺の将来のお嫁さんだって言ってた!」

「あら。それは本当?」


 理玖が尋ねると、三郎は険しい顔をした。


「知るもんか、あんな奴。みんな忙しいんだから、変な人になんか構っていられないよ」

「それもそうね」

「あんたらもだからな! 用が済んだなら早く出て行けよ!」


 こら、と兄にたしなめられて、三郎は不服そうだった。理玖は微笑みを作った。


「そう仰らずに。実は私たち、もう一人会いたい子がいるの。名前を高橋キヨと言うのだけれど……どこにいるか知っているかしら?」


 三郎の表情が、さっと強張った。兄も気まずそうに目線を逸らす。


「三郎くん?」

「……言わない」

「もしかしてキヨさんは、地震で亡くなられたの?」

「教えない」

「そしたら、キヨさんのご両親がどこに身を寄せていらっしゃるかは分かる? せめてご遺族の方にご挨拶を申し上げたいわ。出来ればお焼香を」

「葬式なんかするかよ!」


 そう怒鳴った拍子に、三郎はどこか痛めたらしく、ぎゅっと目を瞑った。


「三郎くん、大丈夫?」

「……キヨは、あいつはまだ帰って来てないだけだ。迷子になってるだけだ」


 三郎はぶつぶつ言っている。見かねて、兄の方が立ち上がった。


「すみませんが、弟には休みが必要です。俺がお見送りしますので、お二人ともお引き取りを」

「……そうね、分かったわ。お邪魔をして御免なさいね」


 理玖は立ち上がった。三郎に会釈をして仮設住宅の外に出る。直弘なおひろが不安そうについてくる。ちゃんと理玖たちを外に追い払った三郎の兄は、ありがとうございましたと頭を下げてから、小声で言った。


「高橋さんがいらっしゃるのは、ここから二つ向こうの棟です」

「あら、教えちゃって良いの?」

「それは……分からないですけど、あなた方も困っているんでしょう」

「……そうね」


 大人びた子だなと理玖は思った。それでいて、困った人を放っておかない純粋さもある。彼にはこれまでに数回だけ会ったことがあるが、こんな子だったとは知らなかった。


「キヨのことは俺もよく知ってます。たまに子守を任されることがあったので。高橋さんのお家は、ようやく授かった一人娘だと言って、キヨをたいそう大事にしていましたよ」

「お気遣いありがとう。行ってみるわ」

「ありがとう、お兄さん」


 直弘も言った。

 理玖たちはその場を去り、仮設住宅の立ち並ぶ中を優雅に歩いていった。

 確かに誰もが忙しそうである。まあ、災害をもろに食らって、余裕でいられるはずも無い。


「三郎くんは、足に怪我をしていましたが……大丈夫でしょうか」


 直弘は心配そうに言う。理玖は暗い気持ちで頷いた。


「あれは良いんだ。予定通りだ」

「怪我がですか」

「三郎はあの怪我が原因で、足を引きずって歩くようになった。だからこの先、第二次世界大戦になっても、徴兵されない。彼は、どこぞの戦線に送られることも無く、東京大空襲の日に自宅で亡くなる運命なんだよ」

「ああ……なるほど」


 やがて目的の棟に着いたので、理玖と直弘は二手に分かれて聞き込みを行い、無事に高橋家の夫婦の元に辿り着いた。夫婦は悲しみに浸る時間も無く、歳を取った夫の両親を世話するために、せっせと立ち働いていた。

 理玖が「お忙しいところすみません」と声をかけ、キヨについて知りたいと伝えると、キヨの母は洗濯の手を止めて目に涙を浮かべた。


「キヨとはどういったご関係で?」

 キヨの父は不審そうに尋ねる。

「実はわたくしがこの辺りに用事があった時、道を教えてくれたのです。大変助かったので、ご立派なお嬢さんだと思っておりましたわ」

 また、理玖は出まかせの嘘をつく。

「ですから……とても残念です。地震とは本当に恐ろしい」

「……キヨはまだ見つかっていない」

 キヨの父は平坦な声で言った。

「地震は土曜日だったから、早くに学校が終わって、昼には帰って来るはずだった。そう遠くに行ったとも思えないが……」

「でも、通学路は建物が沢山倒れている上、火災も酷かったんですよ。あの子はきっと巻き込まれたんだわ」

「こら、お前、そう悲観的になるんじゃない。どこかで匿われて無事でいるかも知れんだろう」


 理玖は二人に同情を示しつつ、自分たちもキヨの捜索をすると言って、二人から情報を手に入れた。どの辺りが通学路だったのか、匿われているとしたらどこの避難所なのか、等々。粗方聞き出したところで、直弘と共に頭を下げ、キヨの無事を祈ってその場を去った。


「さて」

 ひとけの無いところまで行って身を隠した理玖は、その辺の瓦礫に腰をかけた。

逆井都姫さかいときが高橋キヨに何かしたという疑いは濃くなってきたが……予想が当たっているなら、奴は地震が起きる直前に、高橋キヨに接触しているはずだ。通学路を中心に探りを入れたら見つかるかな」

「はい。それで、逆井都姫が新聞屋に情報を持って行った件は……?」

「一連のデマは地震の後に出回ったものだ。地震直前の時点で都姫を捕らえれば、奴がデマを止めることもなくなる」

「ああ、確かに……」

「都姫のことは、また二手に分かれて探したいところだが、時間が地震発生直前となると、こちらも被災するリスクが高い。一緒に行動するよ」

「分かりました」


 理玖は束の間、目を閉じた。

 ──自分たちの作戦が上手くいけば、被災者と被害者は史実通りの人数に戻る。地震で死んだ人や、その後の人災で死んだ人々は、予定通りに死ぬことになる。彼らを見殺しにする……それが正しいことだと分かっていても、やるせなさは胸に残る。


「理玖さん?」

「ああ、すまない。では移動しようか。一九二三年九月一日の、……そうだな、朝の十一時で」

「はい!」


 理玖は旅行時計の針をくるくる回し、ボタンを押下した。

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