第5話 ひとまず休んでおいで
「んー、ややこしいから、ここまで話すつもりは無かったんだけど」
「まあ、いいか。そうだな、……もし
「あ、そうか……。それはちょっと困るかも」
「うん。何かのボタンのかけ違いで、健次が生まれなかったとしたら──『過去に遡って人命を救った健次』もまた存在しなかった、ということになる」
「……ん?」
健次は首を傾げた。隣で
理玖は話を続ける。
「健次なら、タイムパラドックス、という言葉も聞いたことがあるんじゃないかな」
「あっはい、あります。もしタイムスリップしたら、過去と現在で矛盾が生じる、っていうやつですよね。でもあれは仮定の話で……。実際はどうなるんですか?」
うん、と理玖は肝要な部分の説明に入る。
「タイムパラドックスが生じると、世界は大混乱を
「……! マジですか……」
「さあ? これは歴史修復師協会の人間が立てた有力な予測に過ぎないよ。実際にフリーズした世界を観測した者など居ないからね」
「……」
「そういう深刻な事態を防ぐのも、リペアラーの任務だ。……本当は、健次はそもそも一九四五年に行かないのがベストだった。あそこで健次が走ったことで起こした風も、我々が健次を追って起こした風も、蝶の羽ばたきになり得るからね。でもある程度は仕方が無い。リペアラーに出来ることは、物事をベターな状態に持っていく程度だよ」
「……」
「さて、この辺で話はおしまいだ。何か質問はあるかな?」
健次は渋い顔をした。
「いっぱいありますけど、まとまらないので、聞くのはやめときます」
「そうか。では、早めに帰宅して休むと良い。ここからの帰り道は分かるかな?」
「あー」
健次はスマホを取り出して、何やら操作した。恐らく地図アプリか何かを見ているのだろう。
「はい、帰れます」
「なら良し。見送りを──」
「いえ、大丈夫です」
「……ああ、そうか。では、ここから出て左手に回ると玄関があるよ」
「ありがとうございます。あの、お二人とも、お世話になりました」
健次は深くお辞儀をすると、椅子を引いて立ち上がった。何度も礼を言いながら、控え室を出て行った。
理玖はふうっと息を吐き出した。
「初任務お疲れ、直弘」
「はい。お疲れ様です、理玖さん」
「緊張したか?」
「ええ、まあ。ヘマもしちゃいましたし」
「スマホを掏られたことか? あれならヘマのうちに入らないから気にしなくて良い。それより、直弘が居たお陰で、手っ取り早く少年から情報を聞けたし、
直弘はちょっともじもじした。
「ありがとうございます……」
「さて、あとは
「はい」
理玖たちは控え室を出た。丁度その時に自分たちとすれ違うことになるのは、既に知っている。
直弘が「うわあ! 俺だ!」と言い、直弘はびくっとして自分自身を見た。まあ、慣れない内はそんなものだろう。
理玖は支部長室の扉をノックした。
「昌史さん、終わりましたよ」
「うん、入って良いよ」
「失礼します」
理玖は、椅子に座ってにこにこしている昌史に対し、手短に今回の報告をした。昌史はうんうんと話を聞きながら、ゼロ・ノートとサブ・ノートを見比べて確認していく。因みにゼロ・ノートは正しい歴史を保存する書物で、歴史改変による異常が発生した際には警告を出してくれる。サブ・ノートはチェンジャーとリペアラーによる活動を保存する書物で、どのような経緯で歴史を修復したかが分かるようになっている。
「──以上です」
「うん、大丈夫そうだ。このままゼロ・ノートを上書き保存するよ」
「お願いします」
昌史はゼロ・ノートのページに手を当てて文字列をなぞった。ノートから放たれていた赤い光がスウッと消えゆく。
理玖は、がま口財布の中身を確認した。案の定、あの少年にあげた五圓が戻って来ている。やはり彼は、空襲で死んだのだ。
「よし。──直弘くん、初仕事お疲れ様。良い活躍だったね」
「ありがとうございます」
「蝶々さんもお疲れ様。今回は短期間で修復が済んで良かったよ」
「そこは直弘の手柄ですよ。それから、蝶々さんはやめてって言ったばかりではありませんか。もう忘れたんですか? これだからお年を召した方は」
「ああ、すまないね。面白くてつい」
「洒落にならない冗談はよしてください」
「え、あの、お、お年を召した……?」
直弘が困惑して言ったので、理玖と昌史は吹き出した。理玖は笑いを堪えて解説を加える。
「直弘。昌史さんはちょっと前まで、リペアラーとして辣腕をふるっていたんだよ。ただ、あんまりよく働くものだから、過去で時間を使い過ぎてしまってね。見た目よりかなりお年寄りというわけだ。見た目そのものも、実年齢よりは老けている。昌史さん、説明しなかったんですか?」
「いいや、私は言ったとも。人間は時間旅行をした分だけ年を取るから、現代の時間軸で考えると、他人と比べて老いるのが早く、寿命も短いと。そして承諾してくれたはずだよ」
「あ、ああー!」
直弘は大きな声を出した。
「昌史さんが正にそれだったんですね。なるほど……」
「うん。そういう事情もあって、リペアラーになりたがる人は少ない。直弘くんは極めて貴重な人材だよ。改めてお礼を言おう」
「いえ、そんな。俺はただ、他人のために身を挺して働く方々を見て、自分もそうありたいと思っただけです」
「そう思えることそのものが、尊いことなんだよ。……さあ、二人とも、疲れただろう。次の仕事がいつ入るかは分からないけれど、ひとまず休んでおいで」
「はい」
理玖と直弘は声を揃えた。二人で事務室に入る。理玖が何の躊躇いもなく衣装を脱ぎ出したせいで、直弘が「ウワー!!」と叫んだ。
「理玖さん、もっと御自分を大切にして下さい!」
「ん? ああ、そうか。すまないね。えーと確かこの辺りにパーテーションが……あったあった」
理玖はタイヤの付いた簡素なパーテーションをガラガラと引っ張り出して、事務室を分断した。
「これで良し。私は奥側で着替えるよ」
「ありがとうございます」
「あとは適当に過ごしてくれ。私は一眠りする」
「はい。お疲れ様です」
「お疲れ」
理玖はTシャツとジーパンに着替え、結っていた髪を解くと、どすんとソファに横になった。
瞑られた理玖の両目から、涙が一筋、こぼれて落ちた。
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