第4話 また沢山の人が死んだ

 二時間前に遡った理玖りく直弘なおひろは、辺りをぐるりと見渡した。


「誰もいませんね」


 直弘が言ったので、理玖は人差し指を口元に持って行き、反対側の手で左の方を指差した。

 狭苦しそうな路地裏の方から、細くて可愛らしい女声が聞こえてくる。


「──だから、日付が変わる頃までにはここ一帯から脱出した方が良いよ。それとついでに、みんなに避難勧告でもしてあげれば? 真夜中に何が起こるか知っているのは、あたしとあなただけなんだから、ね」


 理玖は走り出した。すぐに川口健次かわぐちけんじの学ランの背中が見えてくる。地面に座り込んでいる彼を見下ろすのは、フリルのついたピンク色のワンピースを着ている若い女。


「あ、あなたは──」

逆井都姫さかいとき。あなたと同じ現代人……って、あーっ!!」


 都姫はこちらに気付いて声を上げた。


「またあたしを邪魔しに来た!! 新巻理玖あらまきりく!!」

「残念だったね。お痛はここまでだ」


 理玖は旅行時計を取り出しながら、ずんずんと二人に近付いていく。


「しつこい! いつもいつも本当に! あたし、まだ何もしてないよ!?」

「何かされる前に止めに来たんでな」

「折角、善良そうな子を見つけたのに! ……健次くん、逃げるよ!」


 それまでぽかんと二人のやりとりを見ていた健次は、びくっとして都姫を見た。


「逃げるって……」

「このままだと、誰も助けられないまま、現代に戻されちゃう!」


 都姫は健次の腕を取って立ち上がらせた。


「させるか」


 理玖は旅行時計の針に触れたが、ぴたっと動きを止めた。


「どうしたんです、理玖さん」

「悪い、私のミスだ。二人に距離を取られた」


 都姫はもう、健次を連れて走り出していた。これでは旅行時計の効果の範囲外である。


「追うよ。二人が何かしでかす前に」

「はいっ!」


 直弘は駆け足になると、あっという間に理玖を追い抜いて、二人のチェンジャー目掛けて突っ走った。道に出ると、先ほど少年を捕まえた時のように、二人の襟首をひっ捕えてしまった。

 おお、と理玖は感心した。やはり運動能力に優れた人物がいると助かる。遅ればせながら追いつくと、直弘はチェンジャーに何か言いたそうな顔をしていたが、我慢して黙っていた。

 お利口で宜しい、と理玖は頷いた。


「きいぃ──っ!! 離して離して離して──っ!!」

「やかましいぞ都姫。健次、説明は後だ」


 理玖は素早く旅行時計を操作した。時は現代、場所は歴史修復師協会日本支部。スイッチ押下。

 キィン、と周囲が微かに光り、次の瞬間には四人は支部の控え室に居た。


「ああ、もう!」

 都姫が悲嘆に暮れた声で叫んだ。

「またこうなった! 許せない! この極悪非道のリペアラー!!」

 都姫は手を振り上げて、理玖の頬にビンタを食らわせた。

「またあの人を救えなかった! また沢山の人が死んだ! あんた達のせいで!!」

 都姫は再び手を振り上げる。理玖は特に避けなかった。しかし、二撃目は来なかった。おや、と思って見上げると、都姫の手を直弘が止めていた。

「いい加減にしろ、逆井都姫!」

「何なの、もう! あのね、あんたがあたし達に追い付いていなければ──」

 都姫は言いかけて、まじまじと直弘を見た。

「──何か見覚えがあると思ったら、あなた福元直弘ふくもとなおひろくん」

「そうだ。四年前は世話になったな」

「へえ、そうなの。へえー。あの時は優しそうな子だと思ったから、使えるかと思って試しに連れて行ったのに……あなた、リペアラーになっちゃったの。残念」

「何とでも言え。俺は理玖さんのお陰で助けられたんだからな」

「あっそう。……もういい、あたし帰る。次またパワーが溜まったら、絶対成功させてやるんだから!」


 都姫は乱暴に扉を開けると、控え室から飛び出した。


「理玖さん、あの人ああ言ってますけど、捕まえて見張っておかなくて良いんですか」

「我々にそういった権利は無いからね。その都度、修復するしか無いよ」

「そう、ですか……」

「うん」


 さて、と理玖は、何が何やらさっぱり分からないといった表情の健次を見上げた。


「遅くなったけど、初めまして。災難だったね。気分はどうかな」

「えっ、あっ、初めまして。大丈夫です」

「良かった。さっきは緊急だったから話す暇が無かったけど、今から何が起こっていたのか説明したい。この後の予定は?」

「予定……。ああ、僕、部活から帰るところだったので、この後は特に何も」

「そうか。なら、そこの椅子に座ってもらえるか」

「はい」


 理玖と健次は、長机を挟んで向かい合って座った。直弘は理玖の隣の椅子に腰掛けた。


「私は新巻理玖、こちらは福元直弘。我々は歴史修復師、通称リペアラーと言って、改変された過去を出来る限り元に戻す仕事をしている。逆井都姫のような歴史改変者、チェンジャーを止めるのが役割だよ」

「はあ」

「日本において、第二次世界大戦末期は、特にチェンジャーの出現率が高い。ここにいる直弘も似たような経験をした」

「そうなんですね。でも……逆井さんは、間違ったことを言ってはいなかったと思うんですが。僕、目の前の人が死にそうだったら、やっぱり助けるべきかと……」

「現代なら存分にそうすればいい。しかし歴史を変えられては困る」


 よっこいしょと、理玖は椅子に座り直した。


「健次は、バタフライ・エフェクトという言葉を知っているかな」

「えーっと、はい、聞いたことがあります。『中国での蝶の羽ばたきが、アメリカにハリケーンをもたらすかも知れない』、でしたっけ」

「うん、まあ、そんなところだ。ごく小さな変化が起こす出来事を完全に予測することは困難、というような意味合いだね。我々の仕事は、過去における蝶の羽ばたき──変化を減らして、現代へのハリケーン──影響を防ぐことなんだ。良いか、死ぬ運命にある人間を救ってしまったら、現代への影響は計り知れない。居るはずの人間が生まれなくなるなんてことは簡単に起こり得る」

「……過去において目の前の人を助けるか、現代にいる人間を助けるか、ということですか。新巻さんたちは、現代を守るために、過去の人を──言わば、見殺しにしろ、と」

「うん。話が早いね」


 健次は納得が行かない様子で俯いた。


「──何か、トロッコ問題みたいですね。僕が何もしなければ過去の人が死ぬ、僕が何かしたら現代の人が死ぬ、と言いますか……」


 理玖は頷いた。健次の気持ちは分かる。


「そうかも知れないね。でも一つだけ違うところがある。君も現代の人に含まれるという点だよ」


 健次はきょとんとして顔を上げた。


「え……それは、どういう……?」


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