第2話 持って来ちゃいました
「直弘、大丈夫か」
「はい! ここが……終戦直後の、日本橋区……?」
「うん」
直弘は首を傾げた。
「日本橋区なんて、ありましたっけ?」
「現代で言う中央区だよ」
「あっ、名前が変わったんですか」
「今から二年後くらいにね」
「なるほど。俺の勉強不足でした。精進します」
「焦る必要は無いよ。……行こうか」
「はい」
二人は通りの方に出た。焼け焦げた家や更地の地面が目に入る。周囲にはみすぼらしい着物の人々がごった返していた。中でも特に目を引くのが、アメリカ軍人らしき人の元に、痩せ細った子どもらが集っているところだ。
「ギブミーチョコレート」
「ギブミーチョコレート」
オーケーオーケー、と軍人は気前よくチョコレートを配り歩いている。
史実の光景とさほど変わりはなさそうだな、と理玖は辺りを観察しながら考えた。過去を修正しに行くと、たまに世界がとんでもない方向に変貌していることもあるのだが、今はそうでもない。となると、今回の件の黒幕も粗方察しがついてきた。
理玖は振り返って直弘に声をかけようとした。しかし、直弘は何故か体を強張らせていた。彼は固い声で言った。
「……理玖さん、すみません」
「どうした」
「間違えて、スマホ持って来ちゃいました」
「ありゃ」
理玖は、直弘がポケットから取り出したスマホをまじまじと見た。
「んーまあ、多分大丈夫だと思うけど……。一応、落としたり
「はい。すみません」
「いいよ、別に。それより誰かに見られない内に早く仕舞って……」
パシッ、と音がして直弘の手からスマホが消えた。
鼠色のくたびれた着物を着た坊主頭の少年が、草履の足で素早く駆けていく。
「……早速掏られたな」
「うぎゃー!? ど、どうしましょう!? お、おおお追いかけます!」
「追いかけるって、君……」
止める間も無く、直弘は猛然と少年を追いかけ始めた。なかなかの身のこなしで、道行く人を器用に避けながら風のように走って行く。あっという間に少年に追いついて着物の襟を捕まえると、ひょいと持ち上げて理玖の元に戻ってきた。
「……驚いた。大学でラグビーをやっていたとは聞いていたが、想像以上の運動能力だな」
「ありがとうございます。……おいこら、坊主」
直弘は少年を地面に下ろすと、怖い顔を作って説教をした。
「盗みをやっちゃ駄目だろう。それは返してもらうぞ」
「はあ? 兄ちゃん、馬鹿か? 盗られる方が悪いんだろ。これは絶対返さな……あ」
理玖は溜息をつき、隙を見て少年からスマホを取り上げた。
「少年。これは何の価値も無いただの板に過ぎないから、どこへ持って行っても売れないぞ」
「えー」
少年は残念そうに声を上げた。
「あんたら、怪我もしてないし、清潔だし、顔色は良いし、太ってるから……絶対良い物持ってると思ったのになあ!」
「残念だったな。……ところで少年、この辺りで噂されている英雄とやらについて何か知っているか」
理玖がそう聞くと、少年は目を輝かせた。
「知ってるぞ! 話が聞きたきゃ、何か金目のもんくれよ!」
「そうだな、君の話が役に立ったら、何かあげても良い」
えっ、と直弘が声を上げたが、説明は後で説教とセットでしてやるつもりである。
「やった! あのな姉ちゃん、英雄は、ここいらに来た一番でっかい空襲を予言してくれたんだ。あらかじめ、必要な物を持って防空壕に逃げておけ、って言ってくれたらしい。俺は話を聞いただけなんだけど、お陰で命拾いしたよ!」
「……そうか。その話を聞かなければ、君は死んでいたかも知れないんだな」
「おう、そうだな! だって、空襲が始まったのは真夜中で、警報だって遅れて鳴ったんだぜ。気付きっこないもん。そんでもって、終わってみたら家がなくなっちまってたんだ」
これを聞いた理玖は、少し寂しく思って少年を見下ろした。
「……その英雄の名前は分かるか?」
「うん。みんなが
「なるほど。川口健次は……そうだな、変わった服装だったとかいう噂は聞いているか?」
「服装? ちょっと待ってて」
少年は一旦道の方に飛び出すと、通りすがりの人を捕まえてあっという間に話を聞いて戻ってきた。
「あのなあのな、変わってるって程じゃないけど、生地がすっごく上等だったって!」
「そうか。……ありがとう」
「なあなあ、俺の話、役に立った?」
「ああ、立った。お礼にこれをあげよう」
理玖は持っていた風呂敷の中からがま口財布を取り出すと、五圓、と書かれたお札を差し出した。少年は目を皿のようにした。
「こっ、こんなに!? いいの!?」
「いいよ」
「……!! やったー!! ありがとう姉ちゃん! 姉ちゃんは俺の家族の命の恩人だよ!!」
理玖は、つきんと胸が痛むのを感じたが、顔には出さなかった。
「では、元気に暮らしなさい」
「うん! ありがとう!」
少年は大事に紙幣を仕舞い込むと、浮かれた足取りで道の方へ出て行った。
直弘が心配そうに理玖を見た。
「良いんですか、理玖さん。お金を渡すことは、歴史改変になるんじゃ……」
「今回は良いんだ」
理玖は風呂敷を結び直しながら答えた。
「我々はこれから、一九四五年の三月に行って、チェンジャーを……川口健次を止めに行く。彼がやったことを無かったことにすれば、あの少年はほぼ間違いなく死ぬだろう。そうすれば、今ここ、九月三日に少年は居ないことになる。だから多少何かしたところで問題にはならない」
「あ……。なるほど」
直弘は、複雑な表情になった。今しがた喋っていた少年は仮初の存在で、本来ならば死ぬ運命にあったもの。そう思うと、心が痛むのも当然だ。だが、リペアラーをやっていれば、こんな事例は数え切れないほどある。
「そんなことより、直弘。話を聞いていて察したは思うけど、ここの子どもに『盗みをやるな』などと言うのは頓珍漢だぞ。彼らは皆、食べるものが無くて、生きるのに必死なんだから」
「はっ、はい。すみません」
「分かればよろしい。さて」
理玖は再び、旅行時計を取り出した。
「行こうか。東京大空襲の前日に」
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