第38話 雪辱ハネムーン


 俺が両親に「役者になりたい」と言ったとき、母親は真面目に向き合ってくれた。大学の演劇サークルに入るのか、バイトはするのか。そんな感じで。

 現実的な話ばかりで億劫おっくうだったけど、今思えばそれが一番だったのかも。

 父親は放任気味だったから何も聞かれなかった。でも母親が亡くなってから仕送りの量が増えたのは覚えてる。

 反対されなかったことは幸運だったのだろうか。結果論なら、反対してほしかったかも。役者の夢は徒労に終わったんだ。その時間を別の事に使いたかった。


 ならミャーピカはどうだ。俺は現代の人間として反対すべきか?「お前みたいな原始人は外の世界ではやっていけない。大人しく村で暮らせ」と。

 このままリスクを承知で村を出ることを手伝って、俺の二の舞にならないだろうか。


 ミャーピカとちゃんと話し合いたい。

 ミャーピカはどこにいる。それ以前に俺はどこにいる。体の接地面積が多いな。寝てないかこれ。


 さっき俺は村長にクリティカルをもらって気絶した。だから目を覚ました。


「ふがっ」


 見知らぬ天井とは言うまい。言うほど天井でもないし、知らない場所でもないしな。

 ここはミャーピカの住居テントだ。村まで運んできてくれたのか。


 首を起こすと目の前に村長がいた。ほんの少し吊り上がった頬が不気味で目が笑っていない。

 俺は思わず体を震わせ、唾を飲み込む。

 

「お、俺はいったい何日こうして……?」

「半日も経っとらん」

「あ、そっすか」


 確かに体のダルさはない。昼寝した後って感じだ。


 それと、起きた時から腕に違和感がある。床に張り付けられていて可動域が少ないような。


「で、この……これ、何です?」


 両手首で複雑に結ばれた縄がテントの端の方に伸びていた。俺は手を上げたYの字で仰向けになっており、両側へと張り詰められた縄のせいで立つことができない。

 見るからに縛られている。しかも下着姿で。獣油のストーブが炊かれた暖かいテントの中で、これからどうなっちゃうんだか。


「お前さんは……人質だな」


 村長はおごそかな口調でアゴ髭をなでた。


「縄はミャーピカの無謀を止めるためでもあり、予定を早めるためでもある」

「予定……?」

「本来は婚礼の儀の最後に行うものだ。それを今から行う。安心しろ、危険はない。我が娘ならそれで静かになる」


 村長は腰を上げる。


「まぐわえ」


 村長がその短い言葉を残して出ていくと、入れ替わりでミャーピカが入ってきた。


 あー、なるほど。そのままの意味ね。まぐわえってそういうね。俺の体に教え込もうってワケね。この変態!なんでミャーピカもちょっと赤面してるんだ!


 ミャーピカは無言のまま、防寒着である毛皮のコートとズボンを脱ぎ、一糸まとわぬ姿になる。文化的に下着がないのだろう。そりゃもう見事な筋肉と白よりも白い肌がそこにある。


「ミャーピカ……お前マジで……!」


 助けてください。18禁指定されてしまう!

 縄を外そうと腕を右往左往させる。その間にミャーピカは俺にまたがり、顔を近づけ……


「なわけねぇだろ」


 俺の額を叩いた。


「いてっ」

「何期待してんだバカ」


 いつもの口の悪さだ。

 急激な落差で理解が追いつかない。


「え……どゆこと?」

「ここは私のテントだ、色々あんだよ。テメーの言う『他の武器』もな」


 ミャーピカは体を伸ばし、俺の頭上を覆うようにテントの奥のほうを漁る。コイツめっちゃ胸あるな。

 戻ってくると、彼女の手には文庫本に似た物が握られていた。紫色のカバーがかかったボロい一冊だ。


「本……?」

「母さんの日記だ。確かこん中に魔法のことが…………」


 ミャーピカは「あった」と日記をめくる指を止めた。しかし難しい顔をしているばかりで。


「チッ、やっぱ読めねぇな……おい、これ何て書いてあんだ?」


 ミャーピカが日記の一文を指差して見せてきた。考えてみれば当然か、雪人族ミアドは読み書きを教えていないらしい。

 やれやれ、仕方あるまい。ここは漢字検定2級持ちの俺が読んでやろう。


「えー、『リアナは森林魔法ツリードから魔法難度の高い高位有用植物式とオストロムの自立定理を除き、螺旋封殺というツルのための強化魔法式を加えた短縮型の森林魔法……である』」


 はァ?


「はァ?」


 それしか言えない。魔法が思っていたより理論的で、なぜか負けた気持ちになった。


「オメーでも読めねぇかぁ」

「いや読めるけどわかんねーんだよ」


 こういうのはルナに聞くしかない。その前に、記憶の中のルナを呼び出そう。


「いいか?魔法ってのは全身で魔力を制御するもんだ。蓄積、安定化、性質変換っていう3つの過程を経て、初めて魔法と呼ばれる現象になる。と、ルナが申しておりました」


 ほとんど聞き流していたが、こんな感じのことを言っていた。受け売りでも役には立つだろう。


 ミャーピカは真っ直ぐな瞳で俺を見つめる。


「なるほど……大体わかった」

「嘘でしょ?」

「さっさといくぜ」


 早くない?


「リア ──

「ミャーピカ」


 ふと思いつき、俺はミャーピカの詠唱を遮る。


「……んだよ」

「俺の手を握れ」

「はぁ?テメーこんな時に……!」

「ちげーよ!変な意味じゃない。魔力を渡す」


 こればかりは必要なことだ。手ぶらで魔法を使うのは普通のやり方ではない。


「わーったよ」


 ミャーピカは左手を伸ばし、俺の不自由な手をとった。冷たい手のひら同士が絡む。


「魔力は腐るほどあっから、あとはお前次第だ」

「うっせ」


 ミャーピカは俺の手首を縛る縄に手をかざし、一呼吸置いてから涼しげな声色で唱えた。


「リアナ」


 日記にあったリアナの別名は蔓草魔法つるくさまほう

 ツルを伸ばして絞め殺す魔法なのは想像がつくが、ミャーピカはそれを体感だけで実現させなければならない。


 道具なしで魔法を使うには条件が2つある。その条件はルナ曰く、『魔石使用時の約16倍の魔力消費』と『国に保護されるレベルの才能』。前者は俺がなんとかできるとして、後者はミャーピカ任せ。

 その難易度は設計図を見ずにトンカチ一本で家を作り上げるようなもの。

 特に素人のミャーピカにとっては地獄の難題だ。もしこの場にルナがいたら無理だと言いすぎて舌を噛んで死ぬだろう。


 詠唱は続いた。10回で兆候は見えてきて、30回言ってから、ミャーピカは暴れるように頭を抱えた。


「あー!ぜんっぜんダメだ!希望が見えねぇー!!」


 一切何も起こらなかった。正否がわからないのだ、妥当ではある。しかしそれでは困る。

 俺は何の気なしに「諦めんな頑張れ!」と励ましてみるも、彼女は険しいままに立ち上がった。


「もー魔法は後回しだ!ただえさえ素っ裸で恥ずいってのに!もう私は知らねーぞクソがァ!」


 ミャーピカは脱いだコートの下から細長い何かを取り出した。銀色の刃に金と碧の装飾が付いた聖剣みたいな、既視感のある剣だ。

 そうだ思い出した。遺跡での戦闘時にミャーピカが盗んでいた。


「あっ!お前それシャイオンの!」

「動くんじゃねぇ!!腕吹っ飛んでも治せねぇぞ!!」

「ちょっ!待っ、落ち着けミャーピカ!やめて!やめてください!!」


 縄を斬って外す気だ。もっと冷静になって手首から遠い位置で斬ればいいのに、そんなギリギリを狙わなくても。


「歯ァ食い縛れェーーッ!!!」

「うわぁあああああああああ!!!」


 かつて左手を斬り飛ばされた経験のせいか、俺は過去最高に慌てていた。


「死ねやァァァァアーーーッ!!!」

「あ、とれた」


 縄が根元から抜けた直後、手の真横に剣が振り下ろされた。刃の魔法回路が発光し、剣先から火花とともに風が吹く。

 それも普通の風じゃない。ヘリコプターの吹き下ろす風ダウンウォッシュのような竜巻級の下降気流だ。


 テントが空高くに飛び上がる。留め具ごと消え去った結果、俺たちは外に放り出された。


「だぁぁーっ!全部ブッ壊れたわクソが!!もう後戻りできねーぞ!」


 ミャーピカは壊れた自宅を前に絶叫した。

 俺としてはこの、自律神経が爆死しそうな寒暖差について絶叫したい。


「ささささ寒すぎる!服はどこだバカヤロー!!」


 極北の地で裸はクレイジーすぎるぞ。ひっくり返ったテントの下から互いの衣服を探す。指先が既に言うことを聞かない中、ひーひー震えながら全力で服を着る。


「はぁー!死ぬかと思ったぜ……」

「テメーは呑気でいいよなァ」


 ミャーピカは縮こまっている。


「お前、脱ぐ必要なかったろ」

「……ね、念の為だよ」

「何の?」

「いーんだよ今ァそんなこと!」


 メインは精霊か。寄り道もここまでくると楽しいもんだ。

 武器は揃っている。俺のマモルに木の棒にシャイオンの剣。何か忘れている気もするが、忘れたということは大切じゃないんだろう。


「そうだな。日が暮れる前に終わらせよう」


 太陽が傾いている。首を横に動かした時、ちょうど目の高さで顔が反射した。

 俺たちは大量の槍に囲まれていた。村人たちとの騒音トラブルが発生したというワケだ。


「動くな!武器を置け!!」

「村長のめいだ、勝手は許されんぞ!」


 四方八方から槍先と怒号が集まる。ここまで密集されると俺のマモルを抜くにも注意がいる。それにミャーピカのほうも心配だ。


「チッ……」


 うつむいて舌打ちしていた。我慢できてないな。


「ミャーピカ!お前には雪人族ミアドの女としての自覚が無い!大事な住居をこんなにしおって!」


 村人のその一言がキッカケか、ミャーピカの表情は確実にいかりに変わった。


「何回も何回も同じ事言いやがってよォ」


 今までの素行不良とは違う、本心からの熱を感じる。目を細め、体を弛緩しかんさせた、開き直りの境地にいる。

 村人たちはその反抗心に噛みつき、「何だその態度は!」と非難した。それでもミャーピカは前を向く。


「そんなに私の料理が食いてぇか、そんなに私の作った服が着てぇか。ママにでも頼んどけよ……」

「それ以上の悪態は村長の娘と言えども!」

「私は魔法学校に行く!」


 その宣言が響き、一瞬にして静まり返る。


「かけた分の迷惑は魔法で返してやっからよォ!!雪でも舐めて待ってな!!」


 あまりにハッキリとした挑発で、その場の村人全員がドン引きしていたのを俺は見た。

 魔法は雪人族ミアドの忌避の対象。その重さをミャーピカが知らないはずはない。


「自ら魔法で身を汚すか!この恥知らずがぁっ!!」


 中年の村人が槍を突き出した。熊を思わせる巨体が迫るもミャーピカは木の棒で彼の顎先をはたき、なんなく沈めてしまう。

 この反射速度にパワー、やはりミャーピカは戦闘向きだ。家事をさせるには惜しい。


 村人全員が唖然とする中、ミャーピカは俺にアイコンタクトをしてから包囲に空いた隙間へ向かう。


「ど、どこへ行く!!」


 村人が道を塞いだため、俺は剣を抜こうとした。するとミャーピカが俺の前に手を出し、一人でゆったりと進んでいく。

 その形相はまさに『刃』。触れれば切り裂かれる、冷えた凶器のようなストレスの結晶。


「ただの新婚旅行だ、気にすんな」


 彼女の顔が槍先に触れそうになる度に村人は退き、あっという間に道が開ける。


 なんという迫力。平均身長2メートルの大人たちが手も足も出ないなんて。

 ミャーピカとしても自宅が壊れ、村人にも忌み嫌われた。ためらうことは何もないのだろう。こんな覚悟は俺も初見だが、恐ろしく近づきがたい。


「はやく来いよ」


 再び目が合った時、ミャーピカは不良少女に戻っていた。

 さっきまでの怒りはどこへやら。笑えるな。


 村人たちが開けた道を直進する。そこをが横切るまで。


「なっ……!!」


 電車でも通過したのかと思ったが、この白く乾いた怪物はそれよりも脅威だ。

 雪人族ミアドすら見下ろせるワームが、雪を巻き上げて俺とミャーピカの間を突っ切ったのだ。


「ナイスタイミング」


 ミャーピカの高ぶった声がうっすら聞こえた。


 精霊、すなわち巨大ワーム。精霊という呼び名はどこからきたのか、チワワでありワームである雪国のモンスター。

 村人たちは逃げ惑い、もう大慌てだ。


「せ、精霊が出たぞぉーっ!!精霊だぁぁーっ!」

「火を消せーっ!精霊だぁーっ!」

「子供は逃げろ!!未婚連中は集まれ!!」


 若い男が槍を持ち、若い女が観戦する。こんな時までプロポーズ狙いだ。

 あんな奴らに先を越されてはならない。


「私らも追うぞ!」

「おう!」


 ミャーピカの後につき、村を駆け回るワームを追いかける。そんな矢先、後ろのほうからミャーピカを止める声がした。


「ミャーピカ!待ってくれミャーピカ!!」


 村長に俺たちの足は止められた。あの低い声に汗がまとったような必死さはさすがに無視できない。


「よすんだ!儀式を待てば安全に村を出ていける!危険を冒す必要はない!」


 村長は周りの村人に押さえられながらもがいていた。

 村長の言っていることは正しい。村を出ていくことに精霊に構うことはない。

 そう、つまりミャーピカには他の目的がないと思い込んでいる村長は、反抗期の娘に嫌われる父親と一緒だ。


 別に村長は悪者じゃない。結婚を強要したり娘を避けたりはしなかった。一人用の住居を与え、門出を喜んでいた。ごくごく普通の父親だ。


 だからミャーピカは口端を指で引っ張り、


「いーッ!だ」


 お別れをした。彼女らしいおふざけだ。


 ワームのもとへ走りつつ、俺はミャーピカの口を結んだ得意顔を見た。


「ミャーピカ」

「ん?」

「いや……まったくホントに有望なやつだよお前は」

「へへっ、何様だテメーは」


 初めてミャーピカが純粋に笑った。この笑顔を引き出せただけでも役得だな。もう邪魔が入らないことを祈ろう。


 村の被害は甚大だ。あの巨大生物を誰も止められないのか!?

 いいえ、ここにいますとも。グレた村娘が一人。

 ワームは俺たちの姿を捉えるなり、ぬうっと鎌首をもたげる。


 この近距離だと体表に生えた短い毛や牙のない口がよく見える。その一方で、これまでの精霊ワームとは一味違うこともわかる。

 通常個体を凌ぐ大きさ、大量の古傷、そして頭部にある二対の龍のひげ。親玉、女王、そういう風格だ。


「見とけよ田舎モン共、今度は私の番だ!」


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