第27話 絶えぬ望みの終着点


 ユーヴァンの肉体から緑色のエネルギーが放たれる。オーロラのように美しいが、抽象的な魔力の波動は完全魔法の特徴。

 

 オイオイオイ死ぬわ俺。と諦めたのもつかの間、エネルギーは強風程度の力で体を押し、すぐに収まった。


 拍子抜けすぎて逆に恐ろしい。 

 俺は顔を覆っていた腕を下ろし、ルナや俺が無傷であることを確認した。感覚的な異常もない。じゃあ今のは何の魔法だ?


「なんだ今の……蘇生魔法か?」

「違う……あれは、回復の完全魔法……」


 ルナは臨戦態勢に入っている。


「回復の……?」

「肉体の損傷だけじゃなく、魔力の消費すらも回復させる。つまりあいつは今……絶好調……!」


 ルナの目の先、屋根の穴を虚ろな瞳で見上げるヤツがいる。死せる奈落のユーヴァン。名前にすら嫌悪感を感じてきた。


 ユーヴァンはHPに加え、MPも完全回復させた。死んでも蘇り、エネルギーも補給できる。永久機関だろそれは。やりすぎだ。


「アタシ、あいつは消耗してるって言ったけど、あれ撤回ね。あいつは最初から複製クローンと魔獣を創って魔力を分散させてた」

「舐めプしてたってことか?今さら言うなよ」


 俺は笑い飛ばした。全快のユーヴァンの前では、そんな間違いはどうでもいい。


「……心外ね」


 ユーヴァンはやや生気を欠いた様子のまま、こちらに顔を向ける。


「私は本気だったし、ちょっと疲れてた。だって初めて」


 彼女自身の左眼を指差した。


「だから、ここからはアンコール」


 歩いた先の、砥石車の前にあった木製スツールにユーヴァンは座った。


「戦いは飽きたでしょう、お二人共。ちょっと休憩させて」

「……は?」


 思わぬ発言に気が抜ける。こっちはユーヴァンの出方を警戒して余計な動きをとれないというのに、あいつは内股で座っている。


 さらにユーヴァンは、空中に開いた穴に手を突っ込む。

 あんな魔法は初めて見た。丁度頭一つ入りそうな大きさの、黒い穴が浮いている。ユーヴァンはそこから一口サイズのタルトのような物を取り出した。


「六角形って、ほら、勇者と紐付いてるから好きなのよ。このシュトロアのお菓子も、味は普通だけど」


 タルトにしては細長い、六角柱の菓子。それを食べながら、ユーヴァンはこちらを見てくる。


「……私、動かないつもりではないわよ」

「何が言いたい」

「私の目的は『技術の強奪』。最初から戦いなんて望んでいなかった。だから私は、私に合う計画で、事を進めていた。厄介事は多めでも、そろそろ終わりが近い、ってこと」


 ユーヴァンは食べ終わった手の汚れを払い、自らの後方に指を向ける。


「死体なら適用されるのよ、私の魔法が」


 休憩というか、休戦というか。それはユーヴァンの言う通り、実行されているのだろう。俺たちはおそらく、もう戦うことはない。

 あの光景は、交渉か脅迫。どうしても言いなりになるしかない、絶対的な理不尽。


「ボーグ……!」


 工房の溶鉱炉の上、宙にはりつけにされたボーグがいた。

 念動力魔法サイコキネシスで浮かせているのだろう。あれは人質だ。さもなければこの凍結死体を粉々にするぞ、という簡潔なメッセージだ。


 ボーグの体は奥の部屋に安置していたのに、まさか見つかるとは。

 俺たちは怒りに震えることしかできず、あのまぶたを閉じた白い体に近づけない。ボーグを蘇生させる目的が壊れてしまうから。


 一方のユーヴァンは腰を上げ、ボーグの下に陣取る。


「死者より生者のほうが重要なのは、言うまでもない。わかるでしょう、あなたたちが何を差し出すべきなのか」


 まったくもって、わかるとも。ブギーを渡せと言っているのだ。だが、渡したらブギーがどうなるのか、それはわからない。

 俺とルナが踏み出せずに黙っていると、ユーヴァンは右手の指5本を立てた。


「それじゃあ、一緒に数えましょ」


 俺たちが負けるまでのカウントダウン。

 ユーヴァンの意思の隠微によってボーグは破壊される。普通の人質よりもタチが悪い。俺やルナが動けない理由はそれだ。ここで行動できるのは、相当に直情的な人間だけ。


「5」


 ユーヴァンが小指から曲げ始める。すると、


「ちょっと待った!!」


 と食い気味な声が介入してきた。

 やはり出てきてしまったかと頭を悩ませる。俺でもルナでもない、いつの間にかいた、この勝負の中心人物。


「私は、ここにいる!!」


 ブギーが胸を張ってユーヴァンの前に立った。


「……はや」

「はやい方がいい」

「そうね」


 ユーヴァンがこっちこっちと手で招くと、ブギーは疑り深い様子で歩いていく。


「大丈夫よ、痛めつけたりはしない」


 ユーヴァンのその言葉には、よく言えたものだ、としか感想が出てこない。だが今は信じるしかない。


 ブギーはユーヴァンの前で背を向けて膝をついた。

 どうやらそれが『技術の強奪』の儀式らしく、ユーヴァンはブギーの頭に手を乗せる。


「そのままじっと」


 もう片方の手には何枚もの巻物スクロールが握られていた。


 終わりから言えば、確かに血が伴うものではなかった。

 ユーヴァンの手に引っ張られ、ブギーの頭から白い糸のような物が出ていった。煌めく糸は幻想的だったが、それが記憶や経験だと知ったとき、剣を握る力が強くなった。

 技術の強奪とはすなわち、鍛冶に関する能力を抜き取るということ。技術力や魔法能力を我が物とし、抜き取られた側はレベル1に戻る。

 約20秒後、全ての巻物スクロールを消費して、ユーヴァンはやりきった。


「……いいわね、これ」


 ユーヴァンはまばたきを繰り返し、晴れやかな笑みを浮かべた。

 何も良くない。これでブギーは世界有数の鍛冶能力を失ったのだ。別に記憶喪失になったわけじゃないが、俺は許せなかった。

 ユーヴァンの目的は完遂され、一部において俺たちは負けた。これからが問題だ。


「はやく……兄貴を離して」


 ブギーは振り返り、キッと睨みつけた。


「…………あぁ、そうそう、離さないと。あなたの殊勝しゅしょうなお兄さんを、離してあげる」


 ユーヴァンはとたんに平静になった。そして手をパーに広げてから、一気に閉じる。


 その動作に恐怖を感じ、俺は「は?」と眉をひそめた。5秒が経った、そういう意味なのか。


 ボーグが粉々に砕けたのは一瞬だった。

 全身に亀裂が入って、パリンと散る。氷にされた部分のみならず、それ以外の凍結部分まで。

 ボーグの破片が降り、ブギーの目の前に右手が落ちてきた。小指の欠けたそれを、ブギーは両手で持ち上げる。


 こんなのは望んだ光景じゃない。混乱して、脳味噌が回っている気がする。

 俺は飛び出しそうになったところをルナに抑えられた。ここをこらえれば被害は増えない。そういう希望のもと、俺とルナは耐える。


 ゴールを変更した。ブギーを守り抜く。ユーヴァンが消えれば、それで終わる。


「役目を終えた人間は、ただちに立ち去るべきよ」


 ユーヴァンはそう言って、魔法剣を取り出した。


 なんとなく予感はあった。ユーヴァンは無価値になった人間に冷たい。実力の底が見えたハリエットや、人質の意味が無くなったボーグ。彼らを始末することには躊躇ちゅうちょが無い。


 だから次は、ブギーなのではないか。


「あなたも」


 ユーヴァンは魔法剣を振り上げる。

 ブギーはただ、ボーグの右手を頬にあてていた。


 俺とルナは飛び出す。一斉に。

 直後、壁や天井を破壊し、後方から何体もの魔獣が現れた。しかし構っている暇は無く、俺は剣に魔力を込める。この剣の三つ目の魔法は『魔力放出』。俺の無制限の魔力を集約させて放つ、シンプルな魔法。

 放とうとした瞬間、横から打撃が加わり、魔力はあらぬ方向に飛んでいった。俺は転がり、必死に立ち上がったところで上から押さえつけられた。


「ぐぁっ……!!」


 魔獣の数が多すぎる。顔を上げると、ルナが剣で魔獣を斬り、杖を構えていた。


「ディスチャ ──


 放電魔法を唱えかけ、ルナは

 左右から大量の水に挟まれ、声が出せなくなっていた。そういう魔法かとも思ったが、おそらく違う。雨粒を念動力魔法サイコキネシスで運んできたのだ。

 水の塊は止めどなく回転し、空中の水中でルナを完封した。


 ユーヴァンの刃を止める者はもういない。


「やめろ……!!」


 俺は喉を震わせる。

 チャンスはどこにある?希望は?


「俺はっ……!!!」


 ブギーよ、命乞いをするんだ。何でもするから私と兄貴だけは助けてくれと、叫ぶんだ。

 ユーヴァンよ、ここに用は無いと、口に出すんだ。むやみに傷をつけずに消えるんだ。

 ルナと俺よ、絶対にそこまで行くんだ。


 皆、頼むから、俺の言う通りにしてくれ。


 奇跡は起こらない。スローにもならない。

 ただただ一瞬で、抵抗感もなく、刃が入る。

 ブギーの首と胴体を空気が隔て、終わってしまう。


「あ……あああぁっ!!」


 首が落ちたとき、俺はそれを眺めて嘆いた。


「この……クソがあああああああああ!!!」


 怒り任せに剣から魔力を放つ。

 魔力はその場で炸裂し、俺を押さえつけていた魔獣の腕を焼き払う。俺の顔面もズタボロになったが、痛みは感じない。


「ぅぐっ、あぁっ!!クソ!!!クソオオオオオオオオオオオ!!!!」


 襲いかかる魔獣を魔力放出で蹴散らし、一心不乱に突き進んだ。

 もう何も守るものはない。ゴールを再変更だ。ユーヴァンの微笑む顔を叩き潰す。

 そのために全身全霊の魔力を溜める。跳躍し、ユーヴァンを近距離に捉えた。


「あなたはまだよ」


 という言葉を置き去りにして、ユーヴァンは魔力放出の激流に消えていった。


 壊れきった工房で俺は立ち尽くし、息をしていた。

 ユーヴァンは逃げた。魔獣たちも消え、工房には見慣れた面々が残された。

 うち2名は死亡。ルナが回復魔法で繋げたりはしたが、効果は無かった。


 雨が止み、夕日が惨状を照らした。


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