幕間:???
第30話 えば
ある豪雨の中、
一つ限りの大きなアーチを雨が閉じ、橋の下とそれ以外を隔離している。実際、外との境界には結界が張ってあり、普通の人間は立ち入れない。
オレは苔むしたソファに座り、分厚い本をパラパラとめくる。
するとユーヴァンが隣にやってきて、ソファに身を落とす。
「辞典だなんて、珍しい」
ユーヴァンがぽつりと呟いた。
オレが読んでいたのはいわゆる国語辞典。
この世界は人種や地域に関係なく、全人類が同じ言語を使っている。そのため、気になって辞典に目を通していた。
「これは第3版だが、最新のものが売ってなかった」
「それが最新のじゃない?」
「150年前に出版されたものだぞ」
「……私の生まれたときから中身が同じだから、興味無いのよね」
大抵の物事を知りたがるユーヴァンがそう言うということは、相当に退屈なのは確かなようだ。その証拠に、この辞典には言葉の意味しか載っていない。
「やはり日本語限定か……」
「何それ?」
「この世界の言語の名前だ」
こんな言い方で伝わるか不安だが、ユーヴァンなら上手いこと噛み砕いてくれるハズ。
この世界には日本語しかない。しかし日本語という単語は存在しない。数学が一種類であるように、言語も一種類だからだ。いや、日本が無いからか?
「限定……じゃあ、あなたの世界には話し方の体系がいくつもあるの?」
「当たり前にな」
「変なの。統一したほうが便利そうだけど」
「それも一理ある。だがこの世界は日本語で固定されていて、思考が一つだ。言語ごとに『ものの見方』が違ったりするからな、多いほうが面白い」
というのがオレの世界の常識だ。そう言えるのはそれが普通だからであって、統一言語を使う世界からすれば面倒な普通かもしれない。
今のは押し付けがましいかとユーヴァンのほうに目をやると、彼女は考え込んでいるようだった。
「……確かに、面白いか。でもよくわからないわ、見方が違うって。例え話をしてよ」
突然の無茶振りに、オレは「そう言われてもな」と悩む。
辞典を閉じ、わかりやすそうな話を出してみる。
「オレの世界の話で、ある部族には『青』という言葉がなかった。だから彼らは『青』と『緑』を見分けることが難しかった……これでいいか?」
ナミビアのヒンバ族だったか。青が身近に少ないせいで、認識に影響が出たそうだ。そういった感じで、言語というのは地域や文化で変わるのが当然。
「どうした?」
オレの隣ではユーヴァンが固まっていた。
「……言語を統一した神様に怒ってるの」
ユーヴァンは呆れた表情で言った。
「そういえばユーヴァンは信心深いのか、神を疑っているのか、訊いてなかったな」
「うーん、私はあらゆるものを信じているから、疑うほうが自然かしら」
「魔王もか?」
「魔王は目立ちたがりだから神とは別よ。自らの歴史書を残したほどのね」
「魔力の発見者は魔王らしいが」
「そうなの?」
「バンキエリのやつから聞いた」
オレの言葉を聞いてユーヴァンはため息を吐いた。
「あの男……私のことは避けるくせに」
「ユーヴァンの質問責めは、オレだって避ける」
「えー。レニーは付き合ってくれたけど?」
「レニーは目を開けたまま眠れるからな」
「どういう意味よ」
ユーヴァンの目つきが鋭くなったので、オレは話を戻す。
「つまり、この世界は『必然』で生まれた世界だ。誰かが創ったか……ただの夢か」
地球は偶然で形作られた。なら異世界はどうだ。
生きやすい点だけ見ればありがたいが、あまりに都合が良すぎる。
そういう疑問点の一致で、オレとユーヴァンは意気投合した。ユーヴァンの腹積もりには見えない部分もあるが、信頼はしている。
「それで、本当に帝国に残るの?特級が集まってくるらしいけど。王国なんて明日には到着よ」
ユーヴァンがオレの肩に頭を乗せた。
オレは捜されている。逃走か、反撃か、何らかの行動を強いられている。
特級の実力は未知数だし、帝国の国土は世界一だ。そうなると反撃より逃走のほうが得策だろう。
「国境の結界が強化されてる以上はな。事を荒立てるつもりはない。それに、あいつのことも待たなきゃならない」
「ふーん、気に入ってるのね」
「嫉妬か?」
「嫉妬よ」
「オレは
そう口走ったとたん、ユーヴァンの頭が重くなった気がした。
「……あなたのふざけ方、未だにわからないわ」
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