第8話 藤原くんと三浦さん3(終)

三浦に絵を見せた翌日、再び二階渡り廊下、テラスのベンチ。

昨日はを見せるつもりがなく持ってきていなかったので、改めて見せることにしていた。

また、藤原は三浦の絵を最初に一度見たきり、ちゃんと見たことがなかったので、見せてもらうことになっていた。

要するに見せ合いっこである。


「はいこれ」


三浦は藤原にノートを手渡す。

あの日と同じ見た目だが、同じものかはわからない。

藤原は数瞬目を閉じ、心の準備をする。


「なんだかドキドキするね」


いつも恥ずかしがらない三浦さんがそれを言うのか、と思った。

同じ趣味の仲間——同じ作る側としての仲間——は今までいなかったのかもしれない。

それだけだ。特別な意味はない。藤原は自分に言い聞かせる。

深呼吸をして目を開け、ノートも開く。


女性の裸の絵。

全裸だけじゃなく、下着をつけていたり、服をはだけていたり。

紛れもなくえっちだ。えっちだが……やはり、自分の描く絵よりも綺麗だと思った。

最初に見たときは落ち着いて見られなかったから、あのときよりもちゃんとわかる。

あのとき思わず口をついて出た「綺麗」は、必ずしもその場しのぎの嘘ではなかった。

明るくて、優しくて、いたずらっぽいところがあって、まっすぐに自分の気持ちを言える。

そんな三浦さんの性質が、絵にも顕れているような気がした。


「やっぱり綺麗だ、三浦さんは……」


慈しむような目でノートを見る藤原の横顔。その伏し目に、三浦は顔が熱くなるのを感じた。


「その絵、私じゃないよ……?」

「えっあっ、わかってるよ、絵がね、絵が綺麗ってこと」

「え〜私は綺麗じゃないんですかあ」


あわあわする藤原と、笑う三浦。

薄いノートを見終わるのに時間はかからなかった。


「じゃあ次は藤原くんの番」


藤原は紙袋をそのまま三浦に差し出す。

中身が昨日見せた分よりとても多かったのと、これから見せるとはいえ自分の手で紙袋の外に出すのがためらわれたからだ。

三浦が持ち手を掴んでも藤原が手を離さないので、三浦は藤原の顔を見る。

藤原は目を合わせずに、紙袋を見ている。


「三浦さんには見せる……んだけど、まだ他の人には、知られたくない。だから……」

「うん。わかった」


藤原が顔を上げると、三浦は微笑んでいた。優しい顔だった。

藤原はその顔を信じて、自らの手で紙袋から紙束を取り出す。

もう後戻りはできない。初めて誰かに見せる、本当の自分。

覚悟を決めて、紙束を差し出したそのとき。

突風が紙束を吹き飛ばした。

藤原のずっと隠してきた絵が、中庭に舞う。

藤原は一瞬の出来事に動けず、血の気が引いていくのを感じた。

我を取り戻し、拾いに行こうとしたとき、手を引っ張られ止められる。

三浦だった。いたずら顔ではなく、真剣な眼差しで藤原を見つめ返す。

なぜ?なぜ三浦さんは止めるんだ?と気が動転しているところに、中庭の方から声が聞こえてくる。

派手に舞い散ったたくさんの紙は、当然のごとく人の目に入ったのだった。

ここで藤原が拾いに行くと、あの絵を描いたのが自分だと自白することになる。

三浦さんはそう思って止めてくれたのだ。

しかしそれは問題を先延ばしにしただけである。いずれバレてしまう。

終わった。三浦さんにだけ見せるつもりだったのに。僕と同じ、描く側の。理解してくれるであろう三浦さんにだけ。


「まあ落ち着きなよ」


三浦は藤原の手をさらに引っ張って、元々座っていたベンチに再び座らせると、足元に残った紙、藤原の絵を拾い上げた。


「やっぱり藤原くんの絵は綺麗だね」


藤原は観念したように項垂れ、力なく声を出す。


「僕は、三浦さんの絵の方が綺麗だと思ったよ。自分で言うのもなんだけど、僕の絵は、三浦さんのに比べると、い、き、気持ち悪いって思う」


いやらしい、と言いかけて、気持ち悪いと言い直した。


「いいや、こっちの方が扇情的で、官能的で、」

「だからそこが」「そこがいい!」


藤原は三浦の言葉に被せようとして、逆に被せられた。


「と、思って描いてるんでしょ」


言い返せなかった。その通りだ。僕はそう思って描いている。だからこそ恥ずかしかったのだ。

それを認めてしまったら、僕自身の恥ずかしい心を、認めるということだから。


「藤原くんが男子だからなのかなあ。この感じ、なかなか出せないんだよね」

「自分がえっちな目で見られるかもとか思わないの?気持ち悪くないの?こんな絵を描く僕のこと」


今まで隠してきた不安が、言葉になってあふれ出す。


「思うよ」


三浦はあのいたずら顔をして、藤原は言葉を詰まらせる。


「気持ち悪いっていうのは、違うかもしれないけど。本能みたいなものが見える気がするんだ。私はそこが好き」


藤原はハッとした。

藤原はその本能を否定していた。三浦は肯定している。

同じような絵を同じようなえっちな気持ちで描いている自分と三浦の違いがわかった気がしたのだ。


「自分の絵を見るときは、自分しかいないから。描いたのも自分、見てるのも自分。誰かが気持ち悪いって言っても、私が好きって言っても、関係ないから、大丈夫。藤原くんはこの絵、どう思う?」


***


中庭に降り注いだえっちな絵は生徒にも先生にも目撃され、ちょっとした騒ぎになったが、三浦が自分の絵だと主張したことで事態は収束した。

生徒の間では三浦がえっちな絵を描くことは周知の事実だったし、三浦は先生に叱られたようだがけろっとしていた。

あれから三浦の藤原に対するアプローチは収まり、単なる目立たない男子と人気者の女子に戻った。

三浦はいつでも人に囲まれているが、誰にも藤原の秘密を明かしていないようだ。

しかし藤原は自分の趣味を他人にどう思われるかについて、以前ほどの不安はなくなっていた。

たまにいたずら顔で視線を向けてくる三浦を、素直に可愛いと思えた。

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青春画 yasuo @yasuo

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