幕引
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暖炉の火が、赤く燃えていた。
窓の外には、黒々とした森の緑と、白い雲の張った空とのコントラスト。
テーブルの上では、リンゴのタルトと炙られた腸詰め肉が皿に盛られ、二人分のマグカップが柔らかな湯気を立たせている。
香りの中にも渋味を予感させるほど濃く淹れられたお茶を啜り、黒髪の少女――ハナは頬を唇を尖らせていた。
「お師匠〜。絶対なにか隠してるでしょ」
その対面に座る紫色の魔女は、いつにも増して気怠げな様子で、ちびちびと食事を口に運んでいた。
「私、昨日の朝から記憶がないんですよ? 気づいたらまた朝になってて、庭に出たらなんか色んなところが焦げてるし。絶対なにか隠してますよね。ねえ」
「……ふう。そうだな。私はお前に隠し事をしている」
「なんですか。弟子は知る必要がないってことですか」
むくれた顔のハナに、魔女は面倒くさそうな顔を隠しもせずに言った。
「ハナ。魔女に『知る必要がないこと』なんてものはない。単に私が教えたくないだけだ。お前も魔女の弟子なら、師匠の隠し事くらい自分で暴いてみせろ」
「むう。意地悪」
「私なんか優しいほうだぞ。六代前の魔女なんかは
「ふうん。あ。そうだ、そういえばお師匠」
そこで、膨れっ面を解いたハナが、魔女の話を遮って問いかけた。
「前から聞きたかったことがあるんですけど」
「なんだ」
「お師匠、よく○○代前の魔女は何々が専門で〜とかって言うじゃないですか。要は、魔女っていうのは何かしらを専門に研究する学者さんみたいなものなんですよね」
「そうだな」
「じゃあ、お師匠はなにを研究してるんですか?」
その問いに、魔女はぱちくりと目を瞬かせた。
「いや、いつも言っているだろう」
「ええ? 聞いたことないですよぅ。いっつも昔の魔女の話しかしないじゃないですか」
「だから、それだよ」
「はい?」
「私の専門は、『魔女史の編纂』だ」
「えええ?」
タルトの最後の一かけを口に放り、魔女が薄く笑った。
「魔女というやつはみな自分勝手な連中ばかりでな。自分の専門以外のことにはからきしだったし、自分の研究をするだけして、それを後世に残すことには拘りがなかった。あるいは、単純に記録を残すのが下手だった。私はそれを体系的にまとめ、必要な知識を必要な時に抜き出せるよう、
「ええ~、それってアリなんですか?」
「まあ、私の師匠にも“変わり者”とは言われたがな」
その言葉に、ほんの少しだけ、いつもと違う声色を聞き取ったハナが、ためらいがちに問いかけた。
「お師匠のお師匠って、どんな人だったんですか?」
「そうだな。厳しい人だったよ。私と違っていつもキビキビしていた。そのくせ人助けが趣味みたいなところがあって……」
「いい人だったんですね」
「ああ」
しばらく静かな時間が流れ、その間に自分の分のタルトを平らげたハナが、ふうと息を漏らした。
「私は何を研究しようかなぁ」
「お前はまず製薬の成功率を上げろ。オレンの実の抽出なんて昔の私でも失敗しなかったぞ」
「ぶう。だって難しいんですもん」
「まあ、自分の専門なんぞそう簡単に決めなくていい。別にこれはダメあれにしろなんて決まりもないしな」
「あ。じゃあエクササイズなんてどうですか。体を動かして健康維持。引きこもりがちな魔女にはぴったりじゃないですか。お師匠にも教えてあげますよ。ワンツー・ワンツー」
「師匠命令だ。別のにしろ」
「ひ・ど・い」
その時。
ヂュウ。
と、窓の外からくぐもった鳴き声が聞こえた。
「え? 今のなんです?」
「昨日契約した新しい使い魔だ。どうやら、客が来たようだな」
「あの、今度はなんの動物ですか?」
「ネズミだ。ヘビには辛い季節になってきたしな」
「えええ。ねえ、お師匠。もうちょっと可愛いのにしましょうよ。ネコちゃんとか」
「ネコ? なんでまたあんな動物を」
「ええ? だって可愛いじゃないですか」
「なにを言ってるんだ、お前は。あれは夜の森の樹上で生活する獣だぞ。私だって実物なんぞ見たこともない。大体、群性のない獣は家畜には向かないし、半端に知能が高いから契約も面倒だ。それに、あんなもの部屋に入れたら抜け毛と糞尿の始末が手に負えないぞ」
「異世界の価値観!」
そんなやりとりをしているうちに。
コン、コンとドアがノックされる。
「はーい」
その一瞬で表情を切り替えたハナが、返事をした。
恐る恐るといった風にドアが開けられ、顔を覗かせた人物に、その名の通り、花の咲くような笑みを浮かべる。
「ようこそ。魔女シロトの薬屋へ!」
魔女シロトのお薬手帳 第一幕 了
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