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「お師匠、また新しい女の子拾ってきたんですか?」

「私を人攫いみたいに言うんじゃない」


 ぱちぱちと、暖炉の火が燃えている。

 もうしばらく使っていなかったカップにお茶を淹れて、私とお師匠は向き合って座っていた。

 お師匠が背負って運んできた女の子は、眠ったままだった。

 見た目には十歳かそこらだろうか。今もログハウスの奥の部屋のベッドの上で、すやすやと眠りこけている。


「なんにも言わずに出て行って、なんの連絡もしないで私を放ったらかして、突然帰ってきたと思ったら知らない女の子連れ込んで」

「うるさい奴だな。お前がまだここにいるとは思っていなかったんだ。ノウェの所にでも転がり込めばよかっただろう」

「お師匠の馬鹿」

「…………悪かった」


 むすっとした顔で小さく謝るお師匠に、私も毒気を抜かれてしまった。

 少し気まずそうにしながらカップに口を付けるお師匠は、それを置いて吐息を漏らすと、部屋の奥に視線をやった。


「あの子はマレビトだよ」

「へえ?」


 驚いた。けど、薄々そうなんじゃないかという予感はあった。

 まさか、本当に見つけてくるなんて。

 しかし、ということはやはり、マレビトとは森の奥の秘密と関わりがあるんだろうか。


「ふむ。そうだな、何から説明すべきか。では、不肖の弟子よ。森の主と呼ばれる妖異は、今現在何柱確認されているか分かるか?」

「なんですか急に。講義ですか?」

「いいから答えろ」


 ふむ。

 森の主とは、魔の森の各所に存在し、周辺一帯の妖異を治めたり、統率したり、しなかったりしている、とにかく強力なの王だ。

 基本的に人の生活域とは重なることのない存在だけど、それでも文献として、その存在は僅かながらに記されている。

 特に十代前の魔女は、その手の研究に熱心だった。その資料を思い起こし、私は指を折って数えた。


「ええっと、『湖の妖姫ウナ』、『怠惰の鬼神ホホロ』、『碧闇シス』、『無貌のジョン・ドゥ』。それから……」

「『幽世のモナド』、だ」

「今言おうと思ったんですぅ」


 咄嗟に出てこなかったのは、その名前だけが、極端に記録が少ないからだ。

 そもそも普通の生活を送る人たちにとっては、先に挙げた四つの名前だって知る由もないだろう。守り人と呼ばれる人と森との調停役の人たちですら、『ウナ』と『シス』くらいの記録が残っていればいいほうだ。

 森の主とは、つまりところ森の禁忌そのものなのだ。


 森の奥の奥に何があるのか、誰も知らない。

 それを知った人間は、帰って来れないのだから。

 唯一、魔女と呼ばれる女たちを除いては。


 けど、もう何代目になるのかさえ正確には分からない魔女の歴史の中においてさえ、『モナド』と呼ばれる森の主の記録だけはほとんど残っていない。

 曰く、窓を持たぬもの。

 曰く、拡がりを持たぬもの。

 曰く、あらずにありつづけるもの。


「ふむ。それだけ出てくれば上出来だ。流石だな」

「なんですか、急に」

「『幽世』の二つ名が示す通り、モナドはこの世に存在していない。つまり、この世ならざるものだ。それはつまり――」

「……異世界の住人――マレビト。じゃあ、モナドはマレビトだってことですか?」

「広義にはそうと言ってもいいかもしれないが、そう単純な話でもあるまい。そもそも、マレビトと呼ばれる人間たちが、同一の世界から界渡りをしたのかどうかも分からん」

「どういうことです?」

「森の国の外には雪の国もあれば波の国もある。その海を越えた先には鋼の国もある。同じように、この世界とは別の世界などというものがあるならば、それが一つだけとは限るまい」


 そう語るお師匠の顔色が、心なしか悪いような気がした。

 顔がやつれているのは疲労のせいもあるだろう。けど、それとは別に、肌や唇に血の気が少ないように見えた。

 自分のそんな状態に気づいているのかいないのか、お師匠は私のよく知る喋り方で、よく分からない講義を続けた。


「つまりだな。モナドとは複数の異界を行き来する渡航者なのだ。かつてこの世界に現れたとき、やつは同じく異界の住人たるマレビトを依り代として顕現した。そして暴虐の限りを尽くし、森を焼き、人を焼き、獣を焼き、妖物を焼いた。魔女の歴史を漁ったのなら、不自然な空白の期間がなかったか? それが、モナドに関する記述が極端に少ない理由だ」

「あ~。そういう……。でも、そうなると……ええっと、お師匠。なんか嫌な予感するんですけど。ひょっとしてヤバい話しようとしてます?」

「察しがいいな」


 お師匠の唇が、すっと持ち上がった。


「ここ数年で、再びモナドがこちらの世界に渡ってくる予兆がある。それに応じるように、森の中に変事が起き、マレビトが現れた。モナドとは、窓を持たぬもの。つまりそれ単体ではこの世界に関わることが出来ない。マレビトとは、かの妖異がこの世界に顕現するために必要な贄なのだ。前回は、その依り代の肉体が朽ちるまで、災厄は続いた」

「あ、あのう。じゃあ、お師匠が連れ帰ってきた、あの子は……」

「モナドを信奉する妖物どもから、盗んできた」

「えええ」


 しれっと言うなぁ。

 大丈夫なのか、そんなことをして。


「安心しろ。この敷地、そしてログハウス自体には歴代の魔女たちが施した結界が張られている。そうそう――」

「アア。安心シタヨ」


 幼子の、声が。


「コノ程度デ私カラ逃レラレルト思ッテクレテ」


 お師匠の後ろから。

 虚ろな目をした、黒髪の少女の顔が現れる。


「私ハ窓ヲ持タぬモノ。オ前の言ウ結界トヤらが何カは分カラんが、私にハ意味ガナいようだナ」


 その小さな両手が、お師匠の首にかけられた。


「お師匠!」

「ぐるなっ……!」


 首を絞められ、くぐもった声を上げるお師匠が、懐から発火紙を取り出し、手袋に包まれた指で擦った。

 黄色い火花が散り、一瞬だけ眩く光る。


 その仕草を見て咄嗟に目を瞑った私が、光が弾けた後で目を空ければ、白い煙の中からお師匠が転がり出て、床に倒れ込んだ。

 そして――。


「あ゛。あ。あー。んんっ。……うん。これで良いかな」


 先ほどまでお師匠が座っていたソファーの背もたれに腰かけた黒髪の少女が、自分の喉に指を食い込ませ、ぐにぐにと揉み解していた。

 頬が持ち上がり、にんまりと不自然な笑みを形作っている。

 目は開かれていたが、眼球は黒い闇に塗り潰されて見えなかった。

 初めは不自然にひび割れていた声が、いつしか普通の女児のものになっている。


 人ではない。

 その、怪異の名前は――。


「モナド……!」

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