5

「あのう、お師匠」

「なんだ」

「結局ノウェさんは、悪い人なんですか?」


 翌日。

 昨晩ノウェの家に一泊した魔女とハナが、帰り着いた森のログハウスで、お土産に持たされた焼き菓子を摘まみながらお茶を飲んでいた。

 テーブルを挟み、それぞれソファーに腰かけた二人の間に、柔らかな湯気と茶の香りが立っている。


「そうだ」


 短く答えた魔女は、何かを思い出すように、しばし虚空に目をやり、言葉を続けた。

「あの人は昔からなんだ。自分のやりたいことをやるだけやって、後の面倒事は私が片付ければいいと思っている。今回だって、騒ぎが大きくなればいずれ魔女に頼りが行くとでも考えたんだろうさ」

「ええっと、いえ、そうではなく」

「……ふむ。そうだな。で言うなら、答えるのはとても難しい」


 ハナの脳裏に、昨日夕餉を振舞ってくれた、少し茶目っ気のある女性の声が思い浮かんだ。


『え? 呪術師そんな風には見えない? そりゃそうでしょ。今は仕事中でもないし。やあよ、普段からあんな可愛くない恰好するの』


『私からしたら、シロトが年がら年中そんな恰好してることのほうが信じらんないわよ。私と違って顔もスタイルもいいんだから、外出るときくらいお洒落すればいいのに。ああ、そうだ。折角来たんだから、今日はこのまま泊まってったら?』


『ごめん、ごめん。金払いも渋いくせに偉そうな態度で人の話全然聞かない客でさ。私もムカっときて、説明書マニュアルだけ売って放り投げちゃったのよ。半年くらい前だったかな。なんにせよ、あんたが片付けてくれたんでしょ。ありがと』


 それを贖っていったのは、昨年、森の国の傭兵たちに壊滅させられた盗賊団と癒着していた、波の国の貴族なのだという。

 悪事を暴かれ、故国を放逐され、森の国に流れ着いた彼らは、その元凶となった傭兵ギルドに復讐を企み、呪術師ノウェの元に辿り着いた。

 そして彼女の機嫌を損ね、失敗することが分かりきった呪術を授けられたのだ。


「ええっと、つまりは、悪い人がまた悪事を働こうとして、ノウェさんはそれを防ごうとした……わけじゃないんですよね。結果としてそうなっただけで。放っておいたらギルドの人たちも死んじゃってたかもしれなくて、でもノウェさんはお師匠がそれを解決するところまで見越してて……。ううん、こんがらかってきました」


 カップに口をつけながら顔を顰めるハナに、魔女は紫色の唇でほんの少しだけ笑みを作り、言った。


「ハナ。長い魔女の歴史の中で、私の知る限り、正義だとか道徳だとかの研究をした魔女はいない。何故だと思う?」

「……分かりません」

「答えが出せないことが分かっているからだ。実際、この世に誰がどう見ても悪人と断じれる人間なんぞ、そうそういるもんじゃない。例えばお前が夏に追い払った傭兵崩れのゴロツキだって、その業を以て人の一人や二人救ったことくらいはあるかもしれない」

「そうですかねえ」

「今回ノウェから呪いを贖った男だって、やむにやまれぬ事情があって盗賊団と縁を持っていたのかもしれない。親の世代から勝手に押し付けられたことだってあるだろう。あるいは誰かに濡れ衣を着せられたのやもしれない。それを赤の他人が善だの悪だのと判じるのは、あまり意味のあることじゃない」

「う〜ん」

「ノウェにしたってそうさ。魔女に魔女の役目があるように、呪術師には呪術師の役目がある。私にできないようなことを欲する人にとっては、彼女は必要な存在なんだ」


 その言葉に、ハナがきょとんと首を傾げる。


「お師匠にできないこと?」

「つまり、薬なり術なりを使って人を殺すようなことさ」


 ハナはそれを聞き、目をぱちくりと瞬かせた。

 飲みかけのお茶をテーブルに置き、そそくさとテーブル回って、魔女の腰かけるソファーに体を押し込んだ。


「おい。なんだ」

「お師匠。私、お師匠の弟子で良かったです」


 そう言って、肩に頭を預けた弟子から、魔女は顔を逸らした。


「…………そういえば、『ブブの祈念』も私には作れないな」

「そんなに難しいんですか?」

「難易度自体は低いさ。そうだな。例えば、昨日ノウェが振舞ったスープには、鹿肉が使われていたな。仮に、あれに手をつけず三日四日放置するとどうなる?」

「え、そりゃダメになっちゃいますよ」

「ダメになるとは?」

「その、腐って……虫が湧きます」

「そうだ。しっかり蓋をしたつもりでも、虫というのはいつの間にか湧きだす。では、虫の湧いたスープを、蓋をしたまま火にかけたらどうなる?」

「虫が死にます……え、え? まさか食べないですよね? ねえ?」

「当たり前だ。では、その煮えたスープを冷まし、また放置したら?」

「……また虫が湧きます」

「そうだ。それをまた煮る。それを放置し、虫が湧いたらさらに煮る。それを延々と繰り返したら、どうなると思う?」

「考えたくないです」

「もともとは鹿肉だったものが、徐々に徐々に虫の肉になっていくんだ。やがて比率は反転し、いずれは全て虫の死骸で構成された液体が出来上がる。そしてそのうち、湧き出す虫の中に、金色の蛆が現れる。それが、『ブブの祈念』の核となるハエの正体だ」

「…………お師匠」

「なんだ」

「照れ隠しにグロい話するのやめてください」

「…………ふん」


 目を逸らし続ける魔女をジト目で睨みつけるハナが、そういえば、と何か思い出したように問いかけた。


「ノウェさん、帰り際、お師匠になにか言ってませんでした? なんか私のほう見て」

「そうか?」

「えええ。なんでとぼけるんですか。ねえ、おし、しょう……」


 その瞼が、不自然に下がって行った。


「あれ? あの、なんか、ねむ……」

「すまんな、ハナ」

「え」


 ハナの瞳から光が失われ、首が傾いた。

 自分にもたれかかる形で意識を失ったハナの体を、魔女はゆっくりとどかし、そのままソファーに横たえた。



『それで、シロト。あの子のことどうする気?』

『なんのことだ』

『もうじき七年でしょ。あんた、まさか馬鹿なこと考えてないでしょうね』


 今朝、ノウェと交わした会話を思い出す。


「考えているさ。ずっとな」


 ぽつりと溢れたその言葉を、聞くものはいなかった。



 第三話 了

 

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