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「ハナさん。魔女様。本当にありがとうございました!!」


 リアはブロンドの髪を揺らして深々と頭を下げ、晴れ晴れとした笑顔で森のログハウスを去っていった。

 隣に、表情を失ったメロを伴って。


 小一時間ほど前。

 森の道を引き返しながら、呆然としたメロに、ハナはこんな説明をしていたのだ。


『やだなー、メロさん。あんなぶきっちょなハンドメイドのアクセなんて値段が付くはずないじゃないですか。それに婚約者さんにはこれから先いくらでもアクセのおねだりなんて出来るんですから。それでお宝の首飾りが戻ってくるなら安いもんですよ』

『そうですね。今度はちゃんと既製品を買ってもらいます。あ、でも取りあえず今回の贈物を失くした言い訳を考えないと』

『そうですねぇ。じゃあこういうのはどうですか――』


 なんのことはない。リアが取り戻そうとしていたのは、母親の形見などではなく、換金性の高い上級のコーラルそのものだったのだ。


 途中、でも、とか、しかし、などと言葉を挟もうとしていたメロは、二人の女のやり取りの中ですっかり意気を消沈させ、とぼとぼと先頭を歩いた。

 そこに、最後尾を歩いていたはずの魔女が追いつき、気だるげに声をかけた。


『メロ。私はね。君の持つ、一種の気高さのようなものには敬意を持っているんだ』

『シロト殿……?』

『それは私を含め余人には持ちえない、君の魂の財産だ。だがね、君がその気高さをもって守ろうとしている人々というのは、往々にして君が思うほどには弱くないものなんだよ』

『……そうか』

『むしろ、彼らは私などよりも余程強かで、賢い。だが、その事実は決して君の気高さを貶めるものではないのだ』

『シロト殿は、優しいんだな』

『そうありたいと思っているよ』


 そんなやり取りを交えながら森の深部を抜けた一行がログハウスへと帰り着いたとき、既に日は沈み始めていた。

 一泊する選択肢もあったが、今から急げば日が完全に没する前には町に帰れるだろうということで、リアとメロは一休みもそこそこに帰途についたのである。


「なんとか丸く収まって良かったですねぇ」

「そうだな」

「それにしてもお師匠。お酒なんていつの間に用意したんです?」

「リア殿の話を聞いて、シスの祝祭に向けて眷属が貢物を集めたのだろうと予想はついた。普通は取戻しに森に入ったところで、そのまま戻ってこれないんだが、あの酒があれば話くらいは聞いてくれる。まあ、交渉が上手くいくかは分からなかったが」

「お師匠、意外とレスバ弱いですもんね」

「私も彼女のペンダントを犠牲にする方法は思いついたんだがな。彼女があそこまで躊躇なく手放すとは思わなかった」

「あはは」

「なんにせよ、お前の手柄だ。よくやった、ハナ」

「うえ? え、えへへ。そうですか? あ、でもお師匠」

「なんだ」

「あのシスさんが最後に言ってたのってどういう意味ですか?」

「……」


『魔女ヨ。次ノ祝祭ニモ酒ヲ持ッテクルガヨイ』

『覚えておこう』

『ナレバ、ソノ贄ハ早々ニ手放スコトダ』

『それが出来れば苦労はない』


「お前のことだろう」

「ええ!?」

「マレビトは森にとっても異物だ。よく思わんモノもいるということだな」

「えええ、私大丈夫なんですか?」

にいる間は大丈夫だ」


 いつもと変わらず、ぶっきらぼうにかけられる言葉に、ハナがとびきりの笑顔を作る。


「じゃあ、ずっとお師匠と一緒ですね」

「ふん」


 魔女の紫色の唇の端が僅かに持ち上がり、気だるげな眼が細められる。

 そのまま二人がログハウスに戻ろうとした、その時だった。


「まってたぜぇ、このクソおんなどもが!!!」


 ログハウスの扉を開け、中からむくつけき三人の男が現れた。

 ぼろぼろの布を身に纏い、目は血走り、口元から涎を垂らしている。

 

「あ。あー。ひょっとしてこの前の……」


 呆気に取られながらも、その顔に見覚えがあったハナが気まずそうな声を出す。

 それは、一月ほどまえ、魔女に指先一つであしらわれ、追い返された男たちだった。


「てめえ、このまえはみょうなじゅつつかいやがって!」

「おかえでおれたちはもんなしよぉ!」

「こんどこそてめえらくぁるふほせふじこ……」


 呂律が回っていない。

 その手にはログハウスに貯蔵されていたのだろう酒瓶が握られ、男たちの顔は茹でたように真っ赤になっていた。


「おい。お前たち、まさかその薬酒を飲んだのか……?」

「ねえお師匠。あれ、絶対触るなって私に言ってたやつじゃないですか?」

「そうだ。酒精の強さももちろんだが、あれは著しい興奮作用と幻覚作用がある。適量はグラスに対し小さじ半分だぞ」

「うわあ」


 魔女と弟子がひそひそと言葉を交わす間にも、男たちの言葉はどんどん脈絡を失くし、ヒートアップしていく。


「仕方ない。ハナ、少し下がって――」

「てめえらふたりともひんむいてひとばんじゅうたのしんでやらあ!!!」

「くそちびのもひとばんででかくしてやるよぉ!!」

「あ゛?」

「あ――」


 一瞬。

 魔女の手が伸ばされ、それが虚空を掴む。

 先ほどまでそこにいたはずの弟子の黒髪が、風になびいていた。


 どちゅ。


 にぶい音が男たちの怒声を断ち、正面にいた巨体が頽れる。


?」


 ハナの右足が持ち上がり、左足の一本で立っている。

 男は股間を押さえて蹲り、ぶるぶると震えていた。

 ハナの足先が、正確に男の急所を貫いていたようだった。


「て、てめえげゅ」

「ま、まて。まがぼっ」


 白いワンピースが翻り、瑞々しい足を膝の上まで露出しながら、正確に男の股間を蹴り抜いていった。

 三人とも同じポーズで蹲った男に、ハナがにっこりと笑いかけた。


「女の、胸の、サイズを、いじって、いいのは、女、だけです、よ!」


 ハナのセリフのうち、読点を打ったタイミングで、ハナの拳や肘や膝や足先が男たちの人体急所を次々と穿ち、その度に男たちが悶絶し、苦悶の声を上げる。

 魔女はなにをするでもなく立ち尽くし、腕を組んで目を逸らしていた。

 いや、よく見れば、男の苦悶の声が上がる度、ほんのわずかに肩が震え、眉が顰められている。


 有体に言って、ドン引きしていた。


 やがて、顔中を血塗れにしながら、ひょこひょこと奇妙な足取りで男たちが逃走し、ハナがぱんぱんと両手を払った。


「あ、お師匠。すいません。ちょっとムカついちゃって」

「……ハナ。前にも見たが、その体術はなんだ? マレビトはみな使えるものなのか?」

「ああ、これですか? ムエタイですよ。護身用にお父さんとお兄ちゃんが教えてくれたんです。お師匠もやってみます? 前蹴りティップっていうんですけど」


 ひゅん、と寒気がするほどキレのある動きで右足が虚空を蹴り、ワンピースの裾がふわりと広がった。


「……私のローブでは無理だな。諦めよう」

「えええ、じゃあスリットいれましょうよ。ちょっとセクシーな感じで。お師匠、脚長いんだから似合いますって」

「やめろ」


 魔女は、さきほど自分がメロに言ったセリフを思い起こし、深々と溜息を吐いた。

 のろのろとログハウスの扉を潜り、その後ろにハナが続く。


 ぱたん、と扉が閉められ、明かりが点った。


 森に夕闇が降り、長い一日が終わった。



 第二話 了

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