5

「人間カ」


 その声は、酷く不明瞭だった。

 

「ソノ光ヲ消セ」


 ぎしぎしと軋むようで、子音が聞き取りづらい。それでも耳の奥にこびりつくようにはっきりと届くせいで、辛うじて何を言っているのかは判別できた。


 森の中に、巨大な倒木があった。

 立っていれば周辺の木々のどれよりも大きいであろうその倒木は、一体いつ倒れたのか、すっかり苔むし、森の底に飲まれようとしていた。

 その根元に小さな泉が湧き、うっすらと青い光を放っている。

 その周辺に、泉の色を写し取ったような、青い炎が灯っているのである。


 ぼう、ぼう。


 揺らぎ、明滅し、呼吸をするように、いくつもの青い炎が宙に浮き、深い闇の中に明かりを齎している。

 ざわざわと蠢くもの。

 するすると這うもの。

 湿ったもの。

 尖ったもの。

 おぼろげなもの。

 とにかく、よく分からぬモノたちが、闇の中で呼吸し、四人の女たちを取り囲んでいた。


「ここで光を消して、彼らが私たちを喰らわぬというのなら」


 いつもと変わらぬ緩慢な動作で一行の前に立った魔女が、どこにともなく視線を向けて言った。


「約束シヨウ」

「ハナ」


 魔女の合図で、ハナはランタンに仕組まれていた仕切りを落とし、明かりが漏れぬようにした。

 闇が深くなり、ぼんやりと青い燐光だけがその場を支配した。

 既に、隣にいる人物の顔も見えにくくなっていた。


「何用ジャ」


 甲高い声が言葉を発すると、それに呼応するように青い炎が揺らぐ。


「森の主の一柱、シス殿とお見受けする」

「イカニモ」

「此度は十七年に一度の祝祭に人の身で立ち入ったこと、まずはお詫びしよう」

「イネ。後ホド適当ナ里カラ八人子供ヲ浚イ、報イトシテクレヨウ」


 そのセリフに、槍を構えたメロが気色ばんだ。

「何を言うか!」

「メロ。ここは私に」

「……済まない」


 魔女はメロを制すると、腰元に下げたバッグから一本のボトルを取り出した。


「これを奉じる故、ご寛恕頂きたい」

「ソレハ……」


 ずる。


 闇の中から何かが伸び、ボトルに絡みついた。

 宙に浮いたボトルが闇の中に消え、栓が開けられる音がした。

 そして――。


 げ。

 げ。げ。

 げらげらげらげら。


 耳を塞ぎたくなるような笑い声が、響いた。


「オ前、魔女カ」

「いかにも」

「随分、久シブリダナ。相変ワラズ無礼ナ女ジャ」

「貴方が言っているのは、十一代前の魔女だろう。彼女は魔導の研究に没頭し、高じては森の主と酒により契約を交わしたと聞く。その際の酒造の法が、私たちに受け継がれているのだ」

「ソウカ。デ、アノ女ハ息災カ」

「生憎、五百十三年前に没した」

「ソウデアッタカ」


 青い炎がふっつりと消えた。

 しばらく、沈黙が続いた。


「デハ、若キ魔女ヨ。友ノ誼ニヨリ此度ノ狼藉ニハ目ヲ瞑ロウ」

「ありがたく」

「デハ、イネ」

「済まないが、要件が一つあるのだ」

「述ベテミヨ」

「十三日前、貴方の眷属がこちらのものと宝物の取り換えを働いたと聞く。それを返して頂きたい」

「宝物?」

「コーラルの首飾りだ」


 魔女の言葉を受け、闇の中にざわめきが広まった。

 ばさり、ばさりと、羽音が近づき、泉の前に二つ首のヤマガラスが降り立った。

 その足に、件の首飾りが握られていた。


「あ!」

 リアが思わず声を上げ、身を乗り出したところをハナに抑えられる。


「コレノヨウジャナ」

「そのようだ。こちらの黒曜石と換えられたようだが、取り換えに際し本人の同意を得られていない。どうか、再度取り換えを」

「嫌ジャ」


 再び闇が蠢き、ヤマガラスが何かに絡めとられたように宙に浮かぶ。


 ぎゅ。ぎ。


 その喉が閉められ、声が潰れていく。


「我ハコレヲ気ニ入ッテオル。見ヨ。程ヨク祈リガ溜マッテオル。美シイ」

「しかし……」

「ドノヨウナ経緯ダロウト、ソレハコヤツト、ソコノ女ノ問題。コノ宝物ハ既ニ我ノ物ゾ。我ハ、ソノヨウナモノ欲シクナイ」


 ぎゅぶ。


 ヤマガラスの体が闇の中で潰れ、異臭を放つ黒い汁がぼたぼたと地に落ちた。

 その中に、魔女が手にしたものより二回りは大きい黒曜石の玉が、転がっていた。


「自分デ作レルノデナ」


 ひっ、っと、リアが息を呑んだ。


「我ガ求メルノハ、祈リノ力ゾ。カ弱キ人ノ子ガ願イヲ込メ、祈リヲ封ジタ玉ニ用ガアルノダ。タダ、我ガ眷属ガ無体ヲ働イタトイウノナラ、ソノ命デ贖ワセヨウ。コレデ、話ハ仕舞イジャ。ソレヲ持チテ、疾クイヌルガヨイ」

「そ、そんな……」

「おのれ、妖物め。どこまでも自分勝手な!」


 声を涙ぐませたリアと、今度こそと槍を構えたメロに、魔女がどう言葉をかけようか考えあぐねていると――。


「あのう」


 恐る恐るというように、それまで口を噤んでいたハナが手を挙げた。


「ハナ。お前の出る幕じゃ――」

「リアさん、さっきのペンダントを引き換えにしては?」

「「は??」」


 リアとメロの声が重なった。


「こ、これですか?」

 震える手でリアが金鎖を手繰り、ガーネットのペンダントを取り出す。

「祈りっていうのは、よく分からないですけど、要は誰かが誰かのことを想ってプレゼントしたもの、ってことですよね。なら、それでもいいのでは?」

 その言葉に、慌てたのはメロだった。

「待ってくれ、ハナ殿。何を言っているのだ。これはリア殿が婚約者からもらった大切な品だろう。御母堂の形見を取り戻してこれを失ったのでは、意味がないではないか」

「え。ええっと……」


 ざわり、と。青い炎が揺らめいた。


「オオ。ソレモ良イナ。欲望ト執着。良イ祈リガ込メラレテイル。デハ、取リ替エテヤロウ」

「そ、そんなこと……」

「待て。勝手に話を進めるな!」


 鎗の石突で地を叩き、リアを庇うように前へ出ようとした、その時だった。

 それを押しのけるようにしてリアが前へ踏み出した。

 婚約者から貰った手作りのペンダントを握りしめ。



「そんなことでいいんですか!? 換えます、換えます! 持って行ってください!!」



 ぶちりと金鎖を引きちぎって、実に勢いよく差し出した。



「…………………………へ???」


 メロの口がぽかんと開けられ、間の抜けた声が漏れた。

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