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「母の形見を、取り戻したいのです」


 リアと名乗ったブロンドの女性は、か細い声でそう言った。

 ログハウスの外に張られた天幕を、女傭兵・メロの手伝いでもう一枚増やし、四人が寛げる程度の広さとなった日陰の下である。


「形見?」

「コーラルの首飾りなのです」


 それを聞いたハナが、眉根を下げて躊躇いがちに問いかけた。

「あのぅ。ウチは薬屋なんですけど……」

「まあハナ殿。とりあえず話を聞いてほしい」

「はあ」

 メロに取りなされ、リアは話を続けた。


 リア・アルカは、ここより東、波の国の商人の娘なのだという。

 その名の通り海に接した波の国は諸外国に対する貿易が盛んで、アルカ家も他国の貴族やら地主やらと交流が深い。

 リアには山の国に許嫁がおり、よく文などを交わし合っていた。年に二度や三度はどちらからとなく互いの家を訪問したりして、交流を持っていた。

 その行き来の旅路に傭兵を雇うことも常のことで、メロとはその際に知り合ったのだという。


「メロさんは、傭兵の中でも一番頼りになるんです。腕はもちろんですが、お優しくて、気さくな方で……」

「アルカ家の方々には贔屓にして頂き感謝している。だが、今回はタイミングが悪くてね。往きはご一緒出来なかったんだ」


 それは、二周間ほど前のことになる。

 いつものように許嫁の家を訪ねるため、リアは家の馬車に乗り、山の国へ向かう道中にあった。その途中で森の国を横切る必要があり、その際にはいつも通りに、通商用に整備された森の街道を通ったのだという。


 そこで、が起こった。


「あやかしごと?」

「歌が聞こえたのです」


 初めは、鳥か獣の鳴き声かと思った。

 

 りぃるるらら。

 らんららるら。

 

 微かに耳に届く、鈴を転がしたような声。

 それが徐々に、徐々に大きくなっていく。

 どうやら自分たちは、その声の主たちに近づいているらしい。

 やがてそれまでは高音に紛れて聞こえなかった、低く響く別の声が重ねて聞こえるようになった。


 りぃるるらら。

 おーどろぼぼう。

 らんららるら。

 やんぬいばぼう。


 何と言っているのか、正確には聞き取れない。

 いや、そもそも人の話す言葉ではないのかもしれない。

 それを無理に言葉として表すと、そう言っているように聞こえるだけなのかもしれない。


 りぃるるらら。

 おーどろぼぼう。

 らんららるら。

 やんぬいばぼう。


 およそ人の喉には出しえぬ高音と、それに和する低音。

 二つの声が絡み合い、一つの楽となって森の中に響いている。

 恐ろしい。

 だが、美しい。

 リアは初めて耳にするその不可思議な歌声に、しばし聞き入ってしまっていた。


 りぃるるらら。

 おーどろ――。


 それが、途絶えた。


「あら?」


 先ほど少しずつ歌が大きくなっていったのは、歌の主に自分たちが近づいていったからであろう。そのまま自分たちが歌の主を追い越したなら、また徐々に歌が小さくなり、いずれ聞こえなくなるのだろうが、今はそんな段階を踏むことなく、高い声も低い声も同時に聞こえなくなった。


 思わず馬車の窓から顔を覗かせ、外の様子を窺った、その時だった。


 目が、合った。


 森の木々の作る緑色の闇の中、茫、と点る青い光が四つ。

 暗闇に紛れて判別しにくい輪郭に目を凝らしてみれば、それは二羽の大きなヤマガラスであった。

 二羽のヤマガラスが木の枝にとまり、互いにその身がくっつきそうなほどに体を寄せ合っている……のではない。

 体が一つしかないのだ。

 あるいは、一つの体に二つの頭が生えている。


「ひっ」


 思わず息を呑んだリアは頭を引っ込め、しばし息を潜めて己の鼓動を宥めた。

 歌はもう聞こえない。

 馬の歩みと、車の軋む音だけが、一定のリズムを刻んで森の道を進んでいく。

 恐る恐るもう一度顔を出してみても、木々の合間のどこにも、先ほどの青い瞳は見えなかった。


 その日の晩――。


 リアは森の国と山の国を繋ぐ境町で宿を取っていた。

 予定通りの旅程である。

 明日の昼には許嫁の家へと辿り着けるだろう。

 与えられた一人用の部屋で、リアはベッドに横になり、昼間の不可思議な体験を思い起こしていた。


――はなんだったのかしら。


 不可思議なことに、馬車を操る御者も、並走していた護衛の傭兵も、誰一人としてあの歌声を聞いていなかったというのである。

 リアの話を聞き、みな一様に首を傾げ、微睡みながら夢でも見たのではないかと、そんなことを言われてしまった。


――夢、だったのだろうか。


 歌が聞こえていたのは、時間にすればほんの僅かだ。確かに退屈な道中でうとうとしていたところはあったかもしれない。そう思って見れば、昼間確かに聞いたはずのあの歌声が、記憶の中でどんどんと朧げになっていく。

 あれは、寝ぼけた自分が聞いた幻聴だったのだろうか。


 では、あの二つ首のヤマガラスも?


『いいものをもってる』


 リアの思考が、闇の中に見た四つの青光に及んだとき、甲高い声が部屋の中に聞こえた。


『いいものをもってるなあ』


 続いて、低く響く二つ目の声が。


『いいなあ』

『ちょうどいいなあ』


 不審者?

 リアは思わずベッドから跳ね起きようとした。

 しかし。


(動けない……)


 体が動かせない。

 意識ははっきりとしているのに、ベッドに深く沈み込んだ体が、何かに縛り付けられたように動かせないのである。


(助けを……)


 誰かを呼ぼうと息を吸い込んでも、それを吐き出した息が声にならない。

 ぱくぱくと、唇が虚しく虚空を食んだ。


『このままじゃたりない』

『いのりがたりない』

『まにあわない』

『まにあわないなあ』


 その間にも、二つの声はぼそぼそと囁くような声で会話を続けている。


『ほしいなあ』

『ほしい』

『もらおうか』

『もらおう』

『でもただもらうのはいけない』

『それはいけないなあ』

『かわりをおいておこう』

『かわりをあげよう』

『それでいいよなあ』

『いいよなあ』


 二つの声は、くぐもっていて聞き取りにくい。それでもその言葉の意味はかろうじて判別できた。

 しかし、一体なんのことを言っているのか――。


『ではいぬるとしよう』

『いぬるとしよう』


 その言葉と共に、ざわりと、なにか大きなものが扇がれ、風を起こすような音が聞こえた。

 それと同時に、リアの瞼を黒い闇が覆い――。


(あ……)


 リアは、そのまま意識を失ってしまったのである。


 翌朝。

 目を覚ましたリアの枕元に、艶々と輝く黒曜石のぎょくが落ちており、その代わり、リアが肌身離さず身に着けていたコーラルの首飾りが、失われていたのだという。

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