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「あらまあ。大変ですね」

「そうなのです。あれは、一昨年に他界した母から譲り受けたもので……」


 波の国の特産品でもあるコーラルは、その品質とサイズによって天と地ほども価値の違いが生まれる。リアが失ったコーラルは、かなりの上級品であったのだという。

 浮沈の激しい世の中のこと、万が一の時にはしかるべき場所にこれを売ってお金に換えなさいとの、母からの贈り物だった。


「シロト殿。どうだろうか。これが野盗やスリに奪われたというのであれば我ら傭兵や騎士の手を借りて取り戻すことも考えよう。だが、森の妖に奪われたものを探し出すのは容易ではない。私の知る限り森の怪異に最も詳しいのはあなただ。どうか、お知恵を借りられないだろうか」

「ふむ……」


 しばし沈思黙考していた魔女だったが、ある程度考えが纏まったのか、紫色の瞳を燻らせて問いかけた。

「代わりに押し付けられたというぎょくは?」

「こちらだ」

 リアの代わりにメロが答え、雑嚢の中からそれを取り出した。

 それは、親指と人差し指で輪を作ればすっぽりと収まりそうなサイズで、日陰の中でも艶々と妖しい輝きを放っていた。


「得体の知れないものを持っているのは怖いが、かと言って手掛かりとなる以上は捨てることもできないというのでな。私が一時預かっていた」

「ふむ。まあ、見たところこれ自体はただの石だ。怖れることもあるまい」

「これを売っちゃえばいいのでは?」

「ハナ」


 魔女が人差し指を立てて弟子の横槍を咎め、ハナが目線を逸らして唇を尖らせる。

 そのやり取りに緊張を削がれたか、メロがふっと笑みを漏らした。


「ハナ殿。黒曜石オプシディアンは宝石としては最も手頃な部類なんだ。上級の珊瑚石コーラルにはとても代えられない」

「えええ。それじゃ詐欺取引じゃないですか。クーリングオフしましょう」

「ハナ殿? くーりんぐおふとは……?」

「メロ。私の弟子が耳慣れない単語を口にしたときは聞き流してくれ」

「は、はあ」

「いいか、ハナ。妖物と人間とではものの価値観が全く違う。黒曜石は魔力の伝導率が高い素材で、魔術や呪術の触媒としては重宝するんだ。彼らからすれば立派な財宝だよ」

「ああ、いや、シロト殿。ハナ殿。ちょっと待ってほしい。自分から言い出しておいてなんだが、そもそもリア殿が取り返してほしいのはコーラルそれ自体ではない。御母堂の形見なのだ。それは、例え市場でどのような価値があろうと、他には代えられないだろう」


 メロの言葉を聞いた魔女と弟子は、一瞬虚を突かれたように固まった。

 メロの横で気まずそうに眼を伏せるリアを見て、「あ。ああ、そうですよね。すみません」と、ハナの方が頭を下げる。


「いえ。その……。自分でも、無茶なお願いだとは思っているんです。こちらで手掛かりが得られないようなら、その時には諦めようと思っています」

「念のため確認するが、今体調に異常は出ているか」

「いいえ。そういったことは、なにも」

「同道していた家のものや傭兵たちには?」

「さあ、どうでしょう。そういった話は聞いていませんが」

「件の首飾りの出自は?」

「母も、私の祖母から譲り受けたそうです。祖母の出身は山の国ですので、恐らく波の国に嫁いでから得たものかと思われます。それ以上のことは……」

「貴女はそれを常に身に着けていた?」

「はい」

「それはどれくらいの期間だろうか」

「母が流行り病を得てからですので、そろそろ二年は経とうかと思います」


 傍から聞く分にはどういう意味があるのか分からない問答が繰り返され、それが一区切りしたのか魔女が再び沈黙したところで、痺れを切らしたようにメロが問いかけた。


「どうだろうか。シロト殿。なにか手掛かりは得られるだろうか」

「まあ、モノを見つけるところまではなんとかなるだろう」

「本当ですか!?」


 身を乗り出したリアを、魔女は下から覗き込むようにして見つめた。


「だが、そこから先のことは保証できん。確実に取り戻せるとは言えないし、貴女には少々危ない目にあってもらわなければならない。御母堂は、万が一の際には形見を金品に換えてよいと仰ったのだろう。貴女は今回、運悪く森の怪異に魅入られた。身の安全を金の代わりに首飾りで支払ったと考えてはどうだ?」


 そこまでの話になれば流石に口を挟む筋はないと思ったか、メロは口を噤んで押し黙った。

 リアは迷わなかった。

 両手で服の布を握りしめ、真っ直ぐに紫色の瞳を見つめた。


「魔女様。どうかお力添えをお願いいたします」

「いいだろう」


 深々と下げられた長いブロンドの髪に、魔女はため息を一つ零し、短く答えた。

 

 そこから半刻ほどの時間が過ぎ、天幕の下に置かれた切り株のテーブルの上に、怪しげな道具が並べられていた。

 何かの動物の皮から作られたらしい紙に、毒々しい色のインクで紋様と文字が描かれ、その上には木の実の殻の器や、貝の皿がいくつか並べられている。


「今回は『スプリガンの舌』を使う」


 そう言いながら、魔女は用意した乳鉢にくすんだ色の粉末や液体を乗せていく。

 そして、きれいな布でぬぐった乳棒をリアに差し出した。

「これで舌の裏側を擦ってくれ」

 言われるがままに、それでも恐る恐る口の中にそれを含んだリアが、少し苦しそうにしながら舌を動かし、唾液に濡れた乳棒を魔女に返した。受け取った魔女が、今度は小刀を渡す。

「それと、髪を一房」

 今度は少し逡巡し、リアは豊かな髪をかき上げ、うなじの辺りに刃を当て、引いた。はらり、と音もなくブロンドの髪が波打つと、リアの手に切り落とされた一房が握られていた。


「ハナ。それを三つ編みに纏めておいてくれ」

「え。あ、はい」

 自分が呼ばれると思っていなかったハナが恐縮しながらそれを受け取る。

「ええっと、どうしよう。あ、メロさん。根元持っててもらっていいですか」

「う、うむ」

 ハナとメロがおっかなびっくり切り取られた髪を編んでいる間に、魔女は乳鉢の中身を擦り、時に中の様子を見ながら材料を追加し、黙々と調合を続けた。


 やがて出来上がった、桑の実を潰したような、黒紫色のどろりとした粘液を、魔女は手袋に包まれた指先で掬い、革の紙に描かれた紋様のいくつかの箇所に塗りつけた。


「古来より、己の財貨に対する執着心においてスプリガンの右に出るものはないという」


 既に出来上がっていたブロンドの三つ編みを受け取った魔女は、その束に紙を巻き付けていった。

 紙の両端と中央を麻紐で括り、動かぬように固定する。


「これを首から提げたまえ」


 不安の色を濃くした顔でそれを受け取ったリアが、首飾りのようにそれを身に着けた。


「さあ。貴女の失くしたモノを思い浮かべるんだ」

「は、はい」

「取り戻したいと、強く願え」

「はい」

「己の財貨を奪う者は許せない。必ず見つけ出し、取り戻してくれる」

「ん……」


 目を瞑ったリアの口が引き締められ、眉間に皺が寄った、その時だった。


 ぼう。


 リアの髪でできた首飾りが、紫色の光を灯し、宙に浮かび上がった。

 そして、その輪が縦に伸び、特定の方角を指示した。


 それを、魔女以外の三人が驚愕して見つめ、ついで、その指し示された方向を見た。


 黒々とした闇が覗く、木々の隙間。

 すなわち、森の奥地へ続く道。

 紫色の魔女が、ゆっくりと立ち上がった。


「では、往くとしようか」

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