スプリガンの舌とティップの爪先

1

 雲一つない青空であった。

 深い森の中、ぽっかりと楕円形に空いた緑色の天井から、目に痛いほどの青空が陽光を振りまいているのである。

 森の国は年中を通して温暖な気候だが、それでも四季の移ろいはある。

 森に棲まう虫や鳥の鳴き声が大きくなり、真上から熱された木々が噎せ返るような匂いを立ちこませ、日一日と、命の色が濃くなっていく。

 夏の盛りであった。


「暑いですねぇ」

「そうだな」


 長い木の柱を立て、古ぼけたログハウスとの間に布を張って作った大きな日陰の中で、魔女シロトと弟子のハナが寛いでいた。

 切り株を均して作っただけのテーブルには、魔女の秘薬によって冷やされた果実水。

 あともう少しでなくなりそうなグラスに、テーブルの下でとぐろを巻いていたヘビが頭をもたげ、ピッチャーを咥えておかわりを注いだ。


「お師匠、全然暑そうじゃないですけど」

「そうでもないさ」

「そのローブに何か秘密があるんですか。こっそり冷えピタとか貼ってます? ねえ、お師匠」

「やめろ。ひっつくな。私だって暑いんだ」

「ぶう。ねえ、君は暑くないの?」


 そう言って足元に差し出されたハナの人差し指を、再び頭をもたげたヘビがちろりと舐め、手の甲に頭を触れさせた。


「あ、ひんやり」

「ヘビには人間と違って保温機能がない。日陰にいればそれで充分さ」

「ねえ君、首に巻いてていい?」

「私の使い魔を虐待するんじゃない」


 二人の会話を理解しているのかいないのか、足元のヘビは身をくねらせ、するすると草むらの中に消えて行った。


「お師匠。なんでヘビって足がないんですかね」

「必要ないからだろう」

「そうですか? あったほうが便利じゃないです?」

「九代前の魔女が動物の形態学に詳しい。彼女によると、生物というものは全て必要があってその姿形をしているんだそうだ。ヘビに関して言うのであれば、彼らは昔水中で暮らしていたという説と、土中で暮らしていたという説がある。魚もミミズも手足はあるまい? そういった環境であれば手足なんぞは却って邪魔になる。それが地上で暮らすようになった後も、まあなかったらなかったでなんとかなってると、そういうことなんだろう」

「はあ。そんなもんですか」


「手足がないおかげでどこにでも入っていけるし、昇っていける。体はほとんど筋肉でできているから力も強い。獲物に襲い掛かるにも音が立たず、丸呑みするから抑えておく必要もない。彼らに苦手があるとすれば低温だが、そんなものは寒い地域に行かなければいいだけのことだ」

「ふうん」


「実際、風の国波の国山の国、どこにでも彼らはいるが、雪の国にだけはほとんど見られない。かの国に棲む生物といえば、ほとんどが毛を持つ生き物たちだ。それも、他国に生息する同種の動物よりもサイズが大きい傾向にある」

「へえ」


「これは彼女の弟子である八代前の魔女の研究だが、生物のサイズにおける表面積と体積の比率が関係しているそうだ。一般に、毛を持つ動物は北部に行くほどサイズが大きくなり、鱗を持つ生物は南部に行くほどサイズが大きくなる傾向にある」

「ほう」


「一見奇異に見える生物の外見的特徴というのも、全ては自然の中で育まれ、磨かれてきた彼らの財産というわけだな」

「なるほど。ではお師匠」

「なんだ」

「私とお師匠で胸の脂肪の付き方がこれほどまでに違うのは、一体どういった生物学的合理性があってのことなのでしょうか」


 魔女は座ったまま、顎を引いて自分の下方向の視界を塞ぐローブの盛り上がりを見、ついでハナの白いワンピースのなだらかな平面を見た。


「ハナ」

「はい」

「師匠の講義を論破するんじゃない」

「されないでくださいよ!」


 きゃいきゃいと騒ぐ女二人の元に、どこからともなく一匹のトンボが飛来した。

 それに気づいた魔女が紫色の手袋に包まれた指を立てると、トンボはその指に止まり、きょろりと首を傾げ、再び音もなく飛び去って行った。


「お師匠?」

「客のようだ」


 ほどなくして、深い森の小径の暗闇から、二人連れの女性が現れた。

 一人は、革鎧を身に着け、槍で武装した赤髪の女性。

 日陰で涼む魔女とハナの姿を認め、その精悍な顔つきを綻ばせた。


「やあ、シロト殿。ハナ殿。お元気そうでなによりだ。最近はすっかりご無沙汰してしまった」

「メロさん。いらっしゃい。お仕事忙しかったんですか?」

「ああ。春から夏にかけては傭兵もかきいれ時でね。前回買った傷薬もすっかり使い果たしてしまったよ」


 ハナよりも頭一つ分は高い身長の彼女は、その武骨な出で立ちとは裏腹に、人懐っこい表情で快活に笑った。

 釣られて破顔したハナが、「じゃあきっちり補充しないとですね」とログハウスの中に入ろうとしたところで、それが引き留められる。


「いや。もちろんそのつもりだが、今日は先にこちらの方の要件を聞いて頂きたいのだ」


 そう言って、彼女の背に隠れるように立っていた後ろの女性を紹介した。

 ここに来るまでの道のりを歩くために服装こそ整えていたが、綺麗に手入れされた眩いブロンドと上品な幅広のハットは、あまり森の景色には似つかわしくない。

 躊躇いがちに伏せられたブルーの瞳は、憂いを湛えて揺れていた。


「彼女は私のお得意先のお嬢様でね。此度どうにも困ったことになってしまったんだが、話を聞くところ、どうやらシロト殿の世話になるのが一番よさそうだと、私が勝手に連れてきてしまったんだ」

「リア・アルカと申します」


 その、一目で上流階級のものだと分かる挨拶の仕草を受けて、ハナはワンピースの裾を軽やかに翻し、その名の通りに花の咲くような笑顔を浮かべた。


「ようこそ。魔女シロトの薬屋へ!」

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