5

 魔女シロトと弟子のハナが森のログハウスへと帰り着いたのは、その日の夕のことであった。

 明かりを入れ、湯を沸かし、茶の支度を始めたハナが、少し躊躇いがちに問いかけた。


「あのぅ、お師匠」

「なんだ」

「ネモさんは、どうして女の子のふりなんかしてたんですか?」


 どっかりとソファーに座り込んだ魔女が、虚空を見つめながらどうでもよさそうに答える。

「伝統のせいさ」

「伝統?」


 ジオ家は森の国の起こりから続く古い家系である。その純血を保とうとする弊害が、ある時期を境に現れ始めた。

 それが、男子の出生率の低下なのだという。


「ジオの屋敷には女の使用人ばかりがいただろう。あれは全て先代と当代当主の従妹姉妹や姪たちだ」


 ジオ家の守り人としての業は、当主の嫡男一人のみが継ぐことができる一子相伝のものだ。それにより無益な跡継ぎ争いを避け、また不必要に守り人の業が流出することのないようにというのが表向きの伝統なのだが、実際のところは望むと望まざるとに関わらず一子相伝とというのが正しい。


「十五の時に閨事の手ほどきを受けるというのも、とにかく男子あたりが出るまで子を作れということなんだろう」

「キモいガチャですねぇ」


 そうは言っても表向きの伝統にも意味はあり、それによってジオの業と血統は正しく受け継がれてきた。だが、何事にも例外というものはあるのであって、だからこそジオ家の裏の伝統にはこうあるのだ。

 もしも同じ代に二人目の男子が生まれたときは、忌み子として処分せよ、と。


「ひええ」

「まあ、ダントも今どきそんな黴の生えた伝統に従うつもりもなかったんだろう。だが、だからといって正面から破ることもできなかった。苦肉の策が、アレだ」


 二人目の男子――ネモを女子として育て、隠蔽する。


「いずれ程の良い機会を狙って外に出すつもりだったそうだ。坊主にでもしたか、よその村落で守り人の跡継ぎに困っていればそこへ輿させたか。長男ダリオにどう説明する気だったかは知らんがな。だが、今回は歪みが生まれるのが先だったわけだ」

「それが、青い花?」

「うむ。まあネモが見たものが何であったかは問題ではない。いずれの夢魔か何かが見せた幻影であろうよ。ユニコーンが処女に目がないように、精が通じる前の男子にしか興味がない好き者というのがいるのだ」

「わあ、拗らせてますねえ」


「男であれ女であれ純潔というのは呪術的に大きな意味を持つものだ。ましてやネモは、男であることすら秘された純粋な培養品。逆説的だが、女っ気のなさという点では彼らにとって極上の餌だったろう。隣にいたダリオなど見向きもされるはずがない。本来ならばとるに足らない下級の妖魔だが、今回は餌にしたものが大きかった。通常の薬が効かなくとも仕方ない」

「それがなんでベロチュウ一発で治ったんです?」

「呪いと加護はその本質において同じものだ。ユニコーンが男の気を嫌うように、女の気を流し込むだけで効果はなくなる。彼らからすれば、私の唾液なんぞ穢れでしかないだろうよ」


 そこまで説明した魔女は、そういえば、と思い出したようにカップを置いてハナにジト目を向けた。


「ハナ。私は昨日のダントとの問答に違和感を覚えたからこそ、ジオ家の資料を調べ上げ、それでも確信が持てずに本人にいくつか試験をして、最後はダントにカマをかけてようやく答えを引き出したんだぞ。それをお前、どうして見ただけでネモが男だと分かったんだ?」


 きょとん、とハナが首を傾げる。


「え、見れば分かりません?」

「私は分からなかった」

「何となく、あれー、って思ってよく見てみたら、口元も産毛の剃り跡化粧で隠してましたし、襟元詰めて喉仏も隠してましたし」

「…………覚えておこう」

「あ。いま分かりました。『男を受け入れたことはない』って、そういう意味ですか」

「そうだな。ダントも律儀な男だ。嘘は吐いていない」

「あはは。あ、それよりお師匠。ぶっちゃけどうでした?」

「何がだ」

「女装美少年の、唇のお・あ・じ」


 にやりと邪な笑みを浮かべるハナに、魔女が呆れたような顔をする。


「あのなあ、ハナ。考えても見ろ。どんな美男美女だろうと、丸三日以上一度も口を濯がなかった人間の口内だぞ」

「うげ」

「正直、えずきを堪えるのに精一杯だった」

「うわー。聞かなきゃよかったー」


 大げさに顔を顰めて見せたハナに、魔女の唇がふっと綻ぶ。

 それを見たハナも相好を崩し、二人の女はしばしの間くすくすと忍び笑いを交わし合った。

 そして――。


「ところで、ハナ」

「はい」

「お前、ウチに来てどのくらいになる?」

「はい? ええっと、半年くらいですかね。日本とカレンダーの数え方が同じで助かります」

「まあ、期間はどうでもいいんだがな。魔女には弟子入りしたものが初めて四月を迎えるとき、必ず一つの通過儀礼を受けさせる伝統がある」

「え。聞いてないです」

「当然だ。今言った」

「えええ。なんですか。怖いやつですか? やめましょうよ。伝統なんて碌なもんじゃないって話をしたばっかりじゃないですか」

「そんな話はしていない」

 

 露骨に怯えるハナを尻目に、魔女はゆったりと立ち上がると、手ずから二人分のカップに茶を注ぎ直し、棚の箱から紐で括られた鶏卵の容器を取り出した。


「あれ? それって昨日の……」

「そうだ。陽光を遮断し一日半。そろそろ頃合いだろう」


 それは、昨日気の遠くなるほどの時間をかけて抽出作業を行った、奇怪な果実のエキスであった。


「あの。それ、ドリの実でしたっけ? 結局なんなんです? 全然教えてくれなかったじゃないですか」

「今にわかる」

 そう言って、魔女は懐から細い針を一本取り出すと、蓋を開けた容器に差し込み、抽出されたエキスに先端を浸した。

 そして、ほんの僅かに濡れた針先を、先ほど茶を注いだカップの縁で叩く。

 雫、とも言えない程微細な飛沫が、茶の中に落ちて消えた。


「飲め」

「え。嫌です」

「嫌じゃない。飲め」

「やだやだやだ。怖いですって。せめて説明してください。先に説明!」

「面倒な奴だな。つべこべ言わずにさっさと飲め。師匠命令だ」

「横暴! パワハラ!」


 しばらくぎゃーぎゃーと抵抗していたハナだったが、やがて諦めたのか恨めしそうな目で魔女を睨みつつ、カップに手をつけた。

 緩やかに立つ湯気の香りを嗅いでみても、特段変わったところはない。

 茶の色にも変化はない。

 それでも、確かにこの中にが混じっているのだ。


「ひ、一息にいった方がいいですかね。こう、ググっと……」

「経験からアドバイスしてやるが、絶対にやめておけ。後悔するぞ。だが、ここで飲まなければ後でもっと後悔することになる」

「ううう……」


 この期に及んで更にわけの分からないことを言う師匠に、ハナはついに思考を放棄した。目をきつく瞑り、息を止め、ぷるぷると震えながら、ナメクジの歩むような速度で唇をカップにつけ、僅かに傾けた。

 ゆっくり、ゆっくりと茶の水面がカップの縁を滑り、やがて、ハナの小さな唇へと辿り着く。

 その瞬間、ハナの目が大きく見開かれた。

 そして――。


「あんまぁぁぁぁああああああい!!!!」


 大音声で、叫んだ。


「あまっ。あっっっっま。え? え? なんですかこれ? 蜂蜜? シロップ? それより全然甘い! なのに全然くどくない! 後味が全然引かない! 口の中で甘さが爆発してすっと消えた! おいっっっしぃいいい!! お師匠! お師匠! なんですかコレ!?」

「甘味料だ」

「はあ!?!?」

「針の先からの飛沫一つで茶の一杯をこの世のどんな糖や蜜より甘い極上の飲み物に変える。それがドリの実のエキスの効果だ。どうだ。一息に飲み干さなくて正解だっただろう」


 そう言って、魔女は自分の分のカップの縁も同じように針で叩き、満足そうにそれを飲んだ。


「明日か明後日には商人が来てこの容器を買っていく。巷ではかなりの高額で取引されているそうだ。私たちには関わりないことだがな」

「ええええもったいない! もっと量産しましょうよう」

「それが無理なことはお前自身がよく知っているだろう。採取に半年。熟成に半月。抽出に半日。それでこの量が限界なんだぞ」

「うう」

「それに、一度にこれ以上の量を摂取すると向こう一か月は味覚がなくなる。ある意味劇薬だよ」

「えええ。そっかー。それにしても、これ、一体どんな効能があるんですか? 私でも魔法が使えるようになるとか?」

「魔女と魔術師を混同するな。魔法なんぞ私も使えない。それに、効能なんてものはない」

「ええ?」

「言っただろう。ただの甘味料だ、これは」


 わけが分からない様子で首を傾げるハナに、魔女は紫色の唇を持ち上げ、微笑んだ。


「魔女とは知識の集積地。だが、こんなものでもなければ生きていることの間が持たん。年に一度のお楽しみというやつだな。つまりこれは、弟子に対するだ」

「へ?」



「ようこそ、魔女シロトの薬屋へ」



 第一話 了

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