4

 魔女シロトと弟子のハナがジオ邸を訪ったのは、正午をいくらか過ぎてのことであった。


「……ハナ。なんでお前までついてきたんだ」

「だって、私一人で店番してたって何もできないですもん」


 レンガと木を組み合わせて建てられた屋敷は、森の国の富裕層の一般的な造りだった。敷地は大きいが、装飾は華美ではなく、当主の人柄を表してか武骨な印象を与えた。

 二人は出迎えた使用人の女に応接室を案内され、主のダントを待っているところである。


「まあいいが、あまり口を挟むなよ」

「お薬、効果なかったんですかねえ」

「そのようだな」

「まあ、早熟な子だっていますよね。ダントさんはショックでしょうけど」

「それだけなら話は簡単だがな」

「え?」

「来たようだ」


 ほどなくして、憔悴した様子のダントと、その後ろに侍る青年――長男ダリオが現れ、揃って頭を下げた。

「魔女殿。ご足労頂き感謝する」

「娘の様子を見させてもらおう」

「あ、ああ」


 有無を言わさぬ魔女の物言いにやや気圧されながらも、父子は二人を案内し、屋敷の奥の一室へと通した。

 そこは、屋敷全体の雰囲気とは随分様子の違う部屋であった。

 色とりどりのクッションとぬいぐるみ。木彫りの人形。棚に詰め込まれた大小様々の本。大きな衣装箪笥。僅かに香の匂い。

 清らかなシーツの敷かれたベッドの上で、父や兄と同じ白銀の髪をした少女が、眠っていた。


「娘の、ネモです」


 その表情に苦しそうな様子はない。だが、色白な肌は青みを帯びてやつれ、息は今にも消えそうなほど細い。


「魔女様! どうか、どうか妹をお救いください!」

 ダリオが、深々と頭を下げた。

「私が愚かだったのです。私が、妹から目を離さなければ。いや、そもそも森になど連れて行かなければ……」

「ダリオ。よさぬか」

「私にとってはたった一人の兄妹なのです。体が弱く、一緒に過ごした時間は少ない。それでも、大事な妹なのです」


 途中から涙混じりの声となったダリオを、魔女は横目に一瞥し、すぐに目を逸らした。


「見てみよう」

 そう言ってベッドに近づいた魔女の後ろから、ハナもちょこんと顔を出す。

 ネモは顔立ちの整った少女だった。ただ、やつれた顔を隠すためか薄く化粧を施されており、それが却って彼女の雰囲気を儚げなものにしていた。

 魔女がネモの体に触れたり、何かのまじない道具のような木製の輪をネモの頭上で操ったり、手の甲に試薬を垂らして反応を見たりしている傍らで、ハナが「ん?」と不思議そうな声を出した。

 ずい、と身を乗り出し、ベッドに横たわるネモの顔をまじまじと見つめる。

 そして――。


「ねえ、お師匠。この子――」

「ハナ」


 弟子の言葉を遮り、魔女は手袋に包まれた人差し指を立て、紫色の唇の前に置いた。

 目を丸くしたハナがその視線を泳がせ、自分の口の前でバツ印を作り、つつつ、とベッドから遠ざかる。

 それを不審気に見たダントとダリオに、魔女が振り返った。


「ダント殿」

「は、はい」

「私は薬の効果がなければ鈴を鳴らせと言ったが、貴殿、どうやら薬を使わなかったようだな」

「え!?」


 驚いたのはダリオである。


「どういうことですか、父上!?」

 それを見て、魔女がその目を細める。

「なるほど。では息子はなにも知らないわけだ」

 もとより憔悴した様子のダントの顔に、珠の汗が浮き始めた。

「わ、私に何か隠し事があるのですか……?」

「い、いや――」

「父上!」


 今にも父親に食って掛かりそうなダリオへ、魔女はため息を一つ零した後で問いかけた。

「ダリオとやら。一応聞くが、君は青色の花を見ていないんだな」

「は、はい」

「ではもう一つ聞こう。君は女を抱いたことがあるか」

「な!?」

「あるんだな」

「な、なぜそのような……」


 瞠目するダリオに魔女は退屈そうな目を向け、「お師匠~。それは流石にセクハラですよ~」と遠くから声をかけるハナをギロリと睨んだ。


「魔女殿。ジオ家の男子は十五の誕生日に閨時の手ほどきを受ける伝統がある。ダリオは先々月に済ませた」

 顔を真っ赤にして固まったダリオの代わりに、ダントがそう答えた。それを、魔女はやはり退屈そうに聞き、ふむ、と吐息を漏らした。


「安心したまえ。君の妹は助かる」

「ほ、本当ですか……!?」

「ああ。だが、君がこの場にいるべきか否かは判断がつかんな。ダント殿?」

「お心遣い、痛み入る。ダリオ、出ていきなさい」

「そんな。父上! 一体なにがどうなっているのですか。説明をしてください!」

「ダリオ。頼む」


 すっかり混乱させられたダリオは、しかし父親の命には逆らえぬようで、しぶしぶと退出していった。


「魔女殿。あなたに嘘を吐いたことは謝る。お怒りはごもっともだ。だが、私は――」

「ダント殿。何か勘違いしているようだ」

「は?」

「いいかね。魔女は怒ったりしない。私たちは知識の集積地であり、それ自身が一つの巨大な本棚だ。人間はそこから必要な知識を抜き取り、時にそこに本を加えていく。必要なのは使い方なんだよ。貴殿はそれを間違えた」

「……」

「ジオ家のことは少し調べさせてもらった。五代前の魔女が古い伝統の類の研究に熱心でね。そちらの事情は凡そ把握している。この目で見るまでは、いや実際に見ても確証はなかったが」

「このことは、我が家の秘事なのです」

「分かっている。だがね、ダント殿。これは二律背反だよ。伝統を守るか、ネモを守るか」

「……」

「聞き方を変えよう。貴殿が救いたいのは、娘か? それともネモか?」


 その問いに、ダントの頭が下がった。


「どうか、ネモの命をお救いください」

「よかろう」


 この日初めて、ほんの僅かに、魔女の紫色の唇が持ち上がった。


「方法がございますか」

「簡単だ。『魔女の口づけ』だよ」

「魔女の……? それは一体、どのような秘薬で――」

「見ればわかる。……ハナ。おどき」


 魔女とダントのやりとりがヒートアップしている隙にもう一度ベッドに近づき、まじまじとネモの全身を観察していたハナが、弾かれたように元の立ち位置に戻った。


「どの道、あの兄には消えてもらって正解だったな」


 緩慢な歩みの魔女の足がネモの頭の近くで止まり、その顔を覗き込んだ。

「あ――」

 そして、ダントがどのような反応をする間もなく、滾々と眠り続けるネモの唇に吸いついた。

 ひゃあ、とハナが黄色い声を上げ、ダントは声もなく固まっているうちに、魔女の口元がもぞもぞと動きだした。

 ただ唇を重ねているだけではないらしいことがありありとわかる動きだった。


 そして――。


 びくん。

 びくん。


 それまで微動だにしなかったネモの体が、痙攣した。

 その反応を確かめた魔女はゆっくりと顔を上げ、ちろりと唇の端を舐めた。


「な、なにを……」

「言っただろう。『魔女の口づけ』だと」

「そ、そん……」


 その時だった。

 う、と。

 小さな呻き声が。


 ゆっくりと、白銀の髪が持ち上がり。


「あ、あら? わたくし、いつの間に……」


 薄い唇に、べったりと紫色のルージュをつけられたネモが、目を覚ました。

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