3

 話を聞き終えたハナがいたわし気に眉を下げた。


「それは大変ですねえ。お師匠。なんとかしてあげなきゃ」

「ダント殿。娘が目を覚まさなくなって何日経つ?」

「今日が三日目です」


 その間、当然のなんの食事も採れていない。

 果実水などを含ませた布を口に入れ、ほんの僅かに水分と栄養補給をさせているのだが、それだけでいつまでも生きていけるはずもない。実際、ネモの顔色は徐々に悪くなり、やつれてきているのだという。


「魔女殿。こちらには大陸中の古今東西の知識が集められていると聞き及びました。どうかお力を貸して頂きたい」

「ふむ。娘の歳は十三といったな」

「はい」

「持病は?」

「これと言っては……。ただ、体が弱くなにかにつけ体調を崩しやすいのです。しかし、今まではこんな――」

「では、常用している薬もない?」

「ありません」

「貴殿が試した薬の処方は?」

「カゴの実の粉末とハシバソウの花粉を混ぜたものを一包。ヤガの角の煙を半刻」

「ふむ。妥当なところだろうな。今、娘に熱は?」

「ありません」

「外傷もない?」

「久しぶりに距離を歩いたからでしょうが、靴擦れ程度しか」

「娘が見たという青い花を、息子の方は見ていないんだな?」

「そう、申しておりました」

「娘の生まれた暦は?」

「五月二十日です」

「娘は処女か?」

「は??」


 そこまでぽんぽんと続けられていた問答が、止まった。


「……失礼。今なんと?」

「娘は処女かと聞いたんだ」

「娘はまだ十三ですぞ!」

「歳はもう聞いた。処女なのか、そうじゃないのか、どっちなんだ」

「なぜそんなことをお聞きになるのです!?」

「ちょ、ちょっと、落ち着いて」


 顔を赤くして立ち上がったダントに、ハナがあわあわと狼狽える一方で、魔女は冷ややかな視線でそれを仰ぎ見た。


「ダント殿。貴殿も守り人なら知っているだろうが、人が眠ったまま目を覚まさないだなんてことは、この森ではにあるんだ。ありすぎて原因の特定に困るほどにな」

「む。むぅ……」

「虫なり植物なりいずれの毒にでも触れたか、どこぞの妖物に呪いでももらったか。しかし何にせよ貴殿の処方で目を覚まさぬとなれば、それなりのモノが相手だ。見極めは慎重に行わなければならない」

「ぐ。う、うむ」

「で? 娘は処女か?」


 ダントは顔を赤くしたまま歯を食いしばり、椅子が悲鳴を上げそうな勢いで腰を下ろした。しばし目を泳がせた後、それを隠すようにきつく瞼を閉じ、深々と息を吐き、そして、絞り出すように言葉を発した。


「お、男を、受け入れたことはないはずだ」

「なるほど」

「魔女殿。娘は助かるだろうか」

「さて。思うところはいくつかあるが、まあ待て。ハナ」

「はい」

「私は材料を持ってくる。お前は薬研とフラスコを用意しておいてくれ」

「了解です」


 そう言って、見ているものがもどかしくなるほどの緩慢な動きで立ち上がった魔女が部屋の奥へと消え、代わりにカウンターの中に入ったハナが、てきぱきと薬の調合の準備を始めた。

 気まずそうに眼を伏せるダントへ、ハナが笑顔を向ける。


「大丈夫ですよ。お師匠がなんとかしてくれます」

「そ、そうか。しかし……」

「ああ。お師匠の態度なら気にしないでください。別に怒ったりしたわけじゃないですから」

「……先ほどは、声を荒げてしまって済まなかった」

「いえいえ」


 会話をしながらも、ハナは薬液を染みこませた布で薬研を拭いたり、アルコールランプとフラスコ台の組みつけを行っていく。


「娘さんのこと、大事にされてるんですね」

「あ、ああ……。だが、やはり娘には疎まれてしまったようだ。このようなことになってしまい……。正直、最初はダリオに怒りを覚えた。だが、奴は奴なりに妹のことを思ってしたことだ。責があるのは、やはり私なのだろう」

「ああ~。分かります。私の父もちょっと過保護なところありましたから。確かに鬱陶しかったですけど、今ならちゃんと分かります。私のこと、大事にしてくれてたんだ、って」


 その言葉に、ダントは項垂れていた顔を上げ、躊躇いがちに問いかけた。


「君は、その……。聞いたところによると、マレビトだとか」


 マレビト――つまり稀人であり、ここではこの世界の外から来た人という意味である。その名の通り稀有な例ではあるが、そのような名称が存在する程度には、過去にも前例のあることであった。


「ええ。そうみたいです。ある日突然、目が覚めたら森の中にいて」

「それは……苦労をしたようだな」

「まあ、それなりには。でも大丈夫ですよ。運よく拾って貰えましたし。こうして生活もできてますし」

「そうか……」



 ぽつぽつとそんな会話を続けているうちに、両手にいくつかのボトルと小箱を抱えた魔女がのっそりと現れ、薬の調合が始められた。

 木の根のようなもの。種のようなもの。動物の毛のようなもの。粉末。粘液。なにやらよくわからないもの。様々なものが刻まれ、潰され、擦られ、焦がされ、煮られ、混ぜられていく。


「魔女殿。後学のために聞きたいんだが――」

「後学のためなら聞かないほうがいい。守り人の領分では手に入らないものもある」


 やがて人差し指ほどの大きさのアンプルに薄い水色の液体が集められ、封がされた。


「これを染みこませた布で娘の顔上半分を覆え。半刻以上、一刻未満だ」

「それで、娘は目を覚ますだろうか」

「青い花の正体が分からん以上確かとは言えん。ただ、森の浅部で出会うモノで、貴殿の処方した薬が効かぬのであれば、まずはこれが一番効果的だろう。だが、使い方にはくれぐれも気をつけろ。これは男の身には猛毒となる。詮を開けるのは誰か使用人の女か細君にでもやらせるんだな」

「…………」

「どうした?」


 アンプルを受け取ったダントの手が、唇が、小さく震えていた。


「い、いえ。妻は、ネモを生んだ翌年に、亡くなっておりまして」

「そうか。だが女の使用人がいないわけではあるまい?」

「え、ええ。そうですな。しかし……」

「西の森なら、今から帰れば日暮れ前には着くだろう。だが、そうだな。もしもそれが効かなかった場合は、この鈴を十度鳴らせ。私が直接出向いてやろう」


 そう言って手渡された、紫と白のまだらの紐で結わえられた小さな鈴を、ダントはしばし掌の中で見つめ、懐にしまった。

 それでも、何か心残りがあるようにしばらくその場から動こうとしなかったが、やがて決心がついたようで、魔女とハナに向け深々と頭を下げ、去っていった。


 ソファーに座り込んだ魔女の横で、ハナが調合器具の片づけをしながら問いかけた。


「ネモさん。目を覚ますといいですねえ」

「うむ」

「あの鈴って、あれですよね。壁に掛かってる鈴と連動してるんですよね」

「そうだ。鳴らぬことを願おう」

「やっぱり、ネモさんが見た青い花ってのが原因だと思いますか?」

「分からん。だが、先ほど奴に渡したのは『ユニコーンの雫』と言ってな。かなり強力な加護の力を持っている。女の身に少しでも男の気があれば効果はなく、男には劇毒となるが、まあ相手が処女なら大概の毒も呪いも跳ね返してくれる」

「処女厨って厄介ですけど、こういうときには役に立つんですね」

「んん? まあ、それなりの家格の家の箱入り娘で十三だ。効き目はあるだろう」

「そうですねえ。やってる子はやっちゃってるでしょうけどねえ」

「そう……そ、そうなのか?」

「私の周りにもいましたよ。中学生のウチから恋愛ごっこしてる人たち。部活の先輩の先輩に手ぇ出されちゃって」

「……」

「お師匠?」

「ハナ」

「はい」

「お茶を淹れてくれ」

「は~い」



 壁に掛けられた対の鈴が鳴らされたのは、翌日の朝のことであった。

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