第八話 逃亡
「おい! 起きろ!」
「……カハッ」
怒号と水による息苦しさ、冷たさで目を覚ます。
ここはどこだ。
明かりはたった一つのランプ。目の前には体の分厚い男が立っていて、その後ろには鉄格子が見える。手足を動かそうとするが、動かない。代わりにジャラジャラと鉄の音がした。
意識が段々とはっきりしてくるにつれて状況が飲み込めてくる。
しくじったか。
「目、覚めたか」
男はロウの頬を、バンバンと叩く。
「それで、魔術書はどこだよ」
「……だから、何のことだか分からないと言っただろ。お前たち、こんなことをしていいと思っているのか?」
ロウは部門長である。彼らの主人――商会長までとはいかないものの、この商会ではそこそこの地位にいる。これをこのような扱い。冤罪だった場合どう責任を取るというのか。
「主人からの命だからな」
「何の根拠があって……」
「言い訳はどうでもいいですから。早くどこか言ってください。抵抗すれば、その分痛い目見るのはあなたですよ?」
眼鏡を掛けた男が、格子の向こう側から言ってくる。
「だから何の話だと言っているだろ」
「はあ、分かっているんですよ。あなたこの前魔術組合で魔術書を回収し、その一部を取りましたね?」
「何のことだ。魔術書を回収したことは合っている。だがそれを取っただと?」
「ええ」
「何か知らないが魔術書が無くなったのか?」
「はい」
「なぜ俺が取ったと言い切れる? 魔術書は誰の手を渡った? 馬車の御者かもしれねえし、あの奴隷かもしれねえ。奴隷なら金を欲しがって当然だ。奴隷だから信用できると思ったんだが、それが裏目にでたかもな」
このときのための仲間、このときのための奴隷だ。もし実行犯がラインだと向こうが認識しても、罰は避けられない。しかし、実行犯と思われるか思われないかでは天地の差だ。
彼らも部門長と奴隷ではどちらを信じるべきかくらい分かるだろう。
ロウは盗んだのはあの奴隷であると必死に主張するが、それは大きな笑い声によって遮られた。
「面白いな」
顎を擦りながら現れたのは商会長であった。
そして衝撃の一言を告げらえる。
「お前はその奴隷に裏切られたのだよ」
「え?」
絶句した。
「な、なにを……」
「すべて聞いたよ。ラインからな」
商会長は格子の向こうで用意された椅子に座る。
「諦めろ。こちらも内々で処理したいのだ。すぐに言うのであれば奴隷にはしないでやる」
「……その言葉を信じるとでも? そう言って何人奴隷にしてきました?」
ロウは脳をフル回転させ、どうにかこの場を切り抜けないか考える。
しかし――
「……まあいい。お前も無駄に痛めつけられたくはないだだろう。早く言え」
――その方法は見つからなかった。
もうだめだ。完全に詰んだ。
こうなればもう素直に吐いて許しを請うしかない。
「……書斎の本棚。その裏に取り付けている金庫です。鍵は、机の上から三段目の引き出しにある赤いペン、です」
商会長は顎で命令を出し、その場にいた一人を向かわせる。
時計も何もない部屋で正確にはわからないが、飛び出していった者が帰ってきたのは半刻ほど経ってからだった。
その間、ロウは鎖に繋がれたまま尋問を受けていた。
商会長は相変わらず格子の向こうで足を組んでこちらを見据えている。
そんな彼に戻ってきた者が耳打ちする。
「……んだと。ちゃんと探したのか?」
「はい……」
その時初めて、冷静だった商会長の顔が怒りに歪んだ。
格子を掴み、叫ぶ。
「おい! もう一冊はどこへやった!」
「……は?」
「私に無駄な時間を使わせるな! もう一冊はどこへやったと聞いている!」
ロウには状況が理解できなかった。
「な、何を言って……」
「もういい! おい! ラインを呼んで来い!」
そう叫び、また使い走りを出す。
「せっかくチャンスを与えたというのに……はあ、お前はリエール大商会を潰した後にしっかり奴隷にしてやる」
「ちょ、ちょっと待ってください。何の話を――」
「だから本のありかを言えと言っただろう! お前が言った場所には魔術書が一冊しかなかったようだが?」
「え……何を言っているんです? 私が抜いたのは一冊だけですが……」
両者困惑する。
ロウは箱から抜き取った一冊の本を思い浮かべ、商会長は二冊の本が抜かれたと主張する。一つは回収の際、増えていた一冊の本、もう一つは元々仕入れる予定であった四冊の本の内一つだと。
「まあいい、これもラインが来れば分かる話だ」
努めて声を落ち着けそう吐いた商会長は、ラインを呼びに行った者によってもたらされる報告など予想もしていなかったのだろう。
息を切らして戻ってきた者が、耳打つことも忘れて叫ぶ。
「ラインがどこにもいません! 脱走です!」
♢
「はあ、はあ」
月明りだけが照らす
よさげな服を着た男が息を切らして走っている。左腕には血のにじんだ包帯を巻き、右手には三日月形の金属塊を持った男だ。
ある者は、また騒ぎが起きることを予感して、またある者は、男の持つ財産を狙って、男を見ていた。
しばらくの間、建物の影より男の様子をうかがっていた彼らだったが、ついにその一部が出る。
整備されていない道は歩くと砂がこすれ、音を立てる。
男も気づいたようで速度を落とした。
建物の影から現れた三名と対峙する。
「今、急いでいるんですよ。通してくれませんか?」
男の言葉に笑いが起きる。
「それで通すと? まあ、大人しく身ぐるみ全部置いてくなら考えてやるが」
彼らは自身の持つ
「私もあなたたちをあまり傷つけたくはありません。足取りがばれてしまう可能性がありますからね。でも――」
男はため息を挟んで続ける。
「――気が変わった。あなたたちの身ぐるみをもらいましょうか」
「何がッ――」
叫ぼうとした男の顔面に金属塊が突き刺さる。
残り二名は金属を顔に受け後ろに倒れこむ者を無視し、男に襲い掛かる。
男は綺麗にそれを避けると、片方の腹に拳を突き刺した。
「カハッ……」
拳を受けた男は、胸を押さえ倒れた。
「息できねえだろ、それ」
そう言って、倒れた男を見下し笑う男の背に、残った一人は鉈を振るう。
だが、それも避けられた。
「ガッ……」
そして急所に蹴りを入れられ、顎を殴られて昏倒する。
「ひっ……」
最初に倒れた男は、一瞬の間に起きたその出来事に倒れたまま後ずさるが、彼は逃がしてくれないようだった。
ザリザリと砂の擦れる音を立てながら近づいてくる。
そして、近くに落ちていた金属塊を拾い、言った。
「それじゃあ、君の身ぐるみをいただこうか」
月明りだけが照らすスラムの一画。
地面に倒れ伏すのは三人の男。一人は完全に気絶し、一人は息が戻ってきたことに安心し、一人は身ぐるみをはがされ代わりによさげな服がかけられた状態で倒れている。
そんな彼らにまた足音が近づいてくる。今度は一つではない。無数の足音が。
ここはスラム。法の届かないこの場所での唯一絶対。弱い奴が悪い。敗者は全てを失うのだ。
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