第七話 発覚

 あの日から一週間ほどが経ち、回収の日を迎えた。

 今日も三名、魔術組合の一室に集まっていた。


「確認を」


 職員が箱を開く。覚悟を決めたようで、彼の声も手も、前とは違って震えていなかった。


「確かに。おいライン、今日は少しだけ時間をとれる。見たけりゃ見てもいいぞ」

「では、少しだけ」


 ラインは本を手に取り、パラパラと次々にページをめくっていく。

 その間、ロウと職員は手に入れた金についての話をしていた。


「――しばらくは流せない。だから金が入るのも少し先になる。その間本が一冊消えたことでお前のとこは大慌てだろうが、お前は何も知らない。ただ普通に業務をすればいい。もし、捜索の命が出されたらそれに従えばいい。下手に隠そうとするな。わかったか?」

「はい……」

「ただ、捜査の情報だけはこちらに流せ。組合は隠そうとするだろうからな」

「わかり、ました……」

「まあ、お前は何も知らないんだからそう堅くなるな。ただ一冊、この箱に紛れ込んだだけだ。そうだろ?」

「はい、その通りです……」


 ロウが職員の肩を掴んで耳元でささやく。彼は少し固まっていた。

 目の前でそんなことが繰り広げられている間も、ラインは手を止めない。


「ライン、そろそろいいだろ?」


 彼らの会話が終わるとともに、ラインも最後の本をパタンと閉じた。


「はい、行きましょうか」


 本を箱に戻し、箱の中で本が動くことを防止するための布を詰めて蓋をする。

 その箱に職員が鍵をかけ完了だ。ラインはロウに付いて箱を運び、外で待たせていた馬車の荷台に乗せる。

 箱とともに乗り込んだラインとロウは、何事もなかったかのように商会へと戻っていった。


 商会へと戻ったラインを待っていたのは仕事ではなかった。

 見たことのある男に告げられる。


「おい、主人がお待ちだ」


 その瞬間のラインの頭には、いろいろな考えが逡巡していた。



 ♢



 魔術書の回収をした日から数週間。ラインは今日も働く。


「ライン、部門長から頼まれてたこれ、持って行ってくれないか?」

「わかりました」


 ラインは受け取った書類を抱え、部門長室へ歩いて向かう。

 王国商人ら、またその見習いらが戻ってきたことによって人手不足が解消し、職場は落ち着きを取り戻しつつあった。前までなら走らなければならなかったこの廊下を歩けるくらいには。


 約半年ぶりに戻ってきた王国の商人見習いらは一名奴隷が増えていたことに驚いていたが、排除しようといった動きはなかった。

 聞くところによると王国では奴隷制度が廃れてきているらしい。そのことも奴隷に寛容であるのと関係があるのだろう。

 彼らが戻ってきてから約二週間経った今では、よき同僚として助け合っている。


 廊下で幾人かと挨拶を交わしながら部門長室へとたどり着く。

 ノックをし、許可されると中に入る。


「失礼します」


 主人の部屋までとはいかないものの、ここも相変わらず豪華だ。元々の装飾もあるのだろうが、中にはロウが持ち込んだのもあるらしい。中には数百の金に値するものもあるのだそうだ。それほど稼いでおきながら、まだ金を求めるか。

 ロウの強欲さを改めて感じながらも、見慣れた男の書斎机の前に立つ。


「ラインか。何の用だ?」

「これを持っていくよう頼まれまして」


 そう言って書類を渡す。


「ああこれか。ご苦労。もう帰って……いや、いい。少し話をしよう」


 ロウは移動し、ローテーブルをはさんだ長椅子に座る。


「お前も座れ」

「はい」


 ラインも腰を掛けた。


「それで、何か言われたりしたか?」


 やはり知っているようだ。魔術書の回収日に続き、何度か主人に呼び出されていることは。

 今朝にも呼び出されたところだ。


「魔術書については何も。今日も書類の偽装方法についていくつか話しただけですよ」

「そうか、それならよかった」


 ロウがあからさまに安心する。横領仲間が呼び出されるたび気が気でないのだろう。


「近々何か大きいことをやるみたいですね」

「何か大きいことって……随分と適当だな」

「何が起きようと私には関係ありませんから、内容も知らされてません。そういう契約ですから」

「そうかよ。なにか大きいこと、か……そろそろ仕掛けるのかもな」

「何をですか?」


 ラインは身を乗り出して尋ねる。


「今この都市で、一番の商会を引きずり下ろすんだよ」

「いったい何をするんですか?」


 その質問にロウは、「俺もあまり関わってはないから知らないが」と前置きを入れた上で話し出す。


「元々うちの商会はこの都市でも一位二位を争うほどの商会だった。だけど一年前にあった奴隷逃亡の件で地位は落ちた。お前も知っているだろ?」

「はい」


 ラインはある冒険者の姿を思い出す。

 ロウは「俺の給料が下がったのもそのせいだな」と笑っていた。

 それで納得する。ロウが魔術書の横領に手を出したのも、この商会が比較的安い賃金で雇える王国の商人見習いばかり雇っていたのもそれが原因だったのかと。


「それでリエール大商会ってところが都市でとびぬけて一番の商会になったんだが、今はそこが弱っている。かなり無理に王国商人の締め出しを行って、その反発が来たってわけだ」

「なるほど。それで今度はそこを落とすために、なにか起こすつもりですか」

「多分な」


 あくまでも可能性。そのことを念頭に置いた上で会話を続ける。


「まあそれだとしたら、俺らにとっては都合がいいわけだ。そっちで大きく動く分、俺らのことがばれにくくなるからな。そろそろ売ってもいいかもな」

「そうですね」


 はたしてそうだろうか。

 今回の事はこの商会にとって失敗できないものになる。万が一、内部で問題が起きればすべてが台無しになる。それどころか、もしそれが公になってしまえばアバノ商会は終わりだ。

 自分であれば大商会に仕掛ける前に、まず内部を洗う。

 ラインはそんなことを考えながら立ち上がった。


「それじゃあ自分はそろそろ……」

「ああ、ご苦労。次に会う頃には換金が済んでいるだろうよ」


 そう言って手をひらひらと振るロウ。

 ラインは礼をすると、静かに部屋を後にした。



 ♢



 数日後、ロウは部門の職場を訪れていた。


「部門長! 何か御用ですか?」

「ラインを探しているのだが……」


 見たところいなさそうだ。

 魔術書を換金する前に少しだけ話しておきたかったのだが、仕方がない。


「今は確か……仕入れか何かで外に行っていると思います。誰かライン見なかった?」

「ああ、あいつなら外行ってるよ。仕入れで倉庫に行っていると思う。よくやるよ、あの腕で」

「なんだ? あいつの腕がどうかしたのか?」

「ええ、はい。怪我しただとかで、左腕の肩から指の先まで包帯巻いてましたよ」

「……そうか、分かった。戻ってきたら俺が読んでいたと伝えておいてくれ。ああ、他に仕事があるならそっちを優先するようにとも」

「はい、分かりました」


 いないのであれば仕方がない。

 ロウは部屋へと戻り、仕事をこなしていく。

 誰もいない部屋、筆と判の音だけが響く部屋で作業をしていると、少しばかりの不安がよぎってきた。

 ラインが負っていたと聞いた左腕の怪我。肩から指の先までとなると、ただの仕事中の怪我とは考えにくい。もしかしたら主人に何かが漏れて罰せられていたのだとしたら。

 ついついそんなことを考えてしまう。

 それを振り払うように――考えなくていいように、ロウは仕事に打ち込んだ。


 仕事がひと段落した頃、外はすでに暗くなっていた。

 部屋の明かりはいつの間にかついている。これも魔術様様だ。

 万物に宿る魔力の道を組み替えることによって魔術回路を刻み、利用できるようになる魔術。その一端が記された魔術書は多くの人を惹きつける。貴族や商会の長にもコレクターは多い。

 魔術書は表であっても裏であっても高額で取引される。もう取引先も見つけてある。

 ロウは自身の懐に入ってくる万の金を想像しながら再び仕事に戻る。


 そしてしばらく経った後だ。

 コンコン、と扉が叩かれた。

 やっと来たか。


「入っていいぞ」


 黒髪黒目の奴隷が入ってくることを想像していたロウの予想は外れた。

 分厚い体を持つ男たちが数名、その後には見たことのある職員が続いてぞろぞろと入ってきた。

 彼らは見たことがある。商会長のいる商館で。

 ロウの心臓が激しく波打つ。

 私兵がやってきたのだ。商会長直轄の私兵が。


「き、急にきて何なんだ!」

「お分かりでないですか? 魔術書の件ですよ」


 眼鏡を掛けた細身の男が答える。

 心臓の鼓動はより加速した。

 なぜだ。どこでばれた。いや、今はそんなことどうでもいい。どう切り抜ける。

 ここはいったん追い返そう。その考えに至ったロウは、音を立てて椅子から立ち上がり、叫ぶ。


「何の事だか分からないが、お前たちは商会長のところの者たちだろう! 私が商会長に確認を入れるから一旦出て行ってくれ!」

「いえ、それはできません。こちらも事を大きくしたくないので、抵抗しないでいただけると助かります。はい、捕らえて」


 眼鏡の男が手を叩くと、体の分厚い男たちがこちらに迫ってきた。


「ちょ、ちょっと待て! こちらは状況が把握できていない! 急に何なんだ!」


 そう叫んでも男たちは止まらない。


「少しうるさいですね。黙らされもらえますか」

「はい」


 その返事と同時に、拳が迫ってきた。

 何の体術も会得していないロウに、それを避けることなどできない。

 目の前が真っ暗になり、意識が飛びそうになる。


「……別に暴力に訴えなくてもよかったのですが、まあいいでしょう。連れていきましょう」

「はい」


 それはロウが意識を手放す前に聞いた最後の会話だった。

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