第五話 値万金

「おい、ライン! ちょっと来てくれ!」

「はい!」


 あの日――契約が成立した日から半年が経った。


「ライン! その後でいいからこれの確認も頼む!」

「わかりました! そこに置いておいてください」


 最初はとても嫌な顔をされたが、最近は受け入れ始めている。彼らは商人。感情ではなく理性で動く者たちだ。実力があれば受け入れられるのは容易い。

 それでも一定数からは忌避されているが、成果を出せば彼らは黙る。その分、妬み嫉みも持たれるが、そんなもの気にしていられない。所詮は奴隷。ただでさえいつ切られるかわからないのだ。少しでも成果を上げなければ。

 今、この都市はどこの商会も恒常的な人手不足だが、一年、早ければ半年後には王国商人らも戻ってくるだろう。その時に、この商会で使える者だと思われていなければ真っ先に切られる。

 ラインは、貴族時代に学んだすべての知識を活かして書類を次から次に処理し、他者の仕事を奪う勢いで仕事をこなしていた。


「ライン、それ終わったら言え。外いくぞ」

「はい」


 髪の毛先が曲を描いているもじゃもじゃ頭の男の言葉に、ラインは手持ちの仕事を急いで終わらせる。


「お待たせしました」

「ああ、早く着替えろ。少し急ぐ」


 ラインは枷を隠すための裾が平がった形のズボンに履き替え、寒さしのぎの外套を羽織ると、男に付いて街へ繰り出す。

 石畳で整備された道を男は迷いなく進んで行く。昼時であるからか、冷たい風が吹いているというのに大通りには人が多い。

 他の都市から来た商人だろうか、それともこの都市を出ていく者か。人一人と同じ大きさの脚を四つ持つ巨躯のモンスター。その背や引かれている荷台には、荷物と人の姿がある。冬に都市間の移動などしたくはないだろうが、逆に冬だからこそ売れる物もある。それを売る者たちだろうか。

 大通りを抜け、小道に入り、また大通りへと出る。歩幅の大きい男に置いて行かれぬよう、ラインも早足で歩く。


「本日は何を?」


 男の歩幅が緩み会話の余裕が出たころ、ラインは聞く。

 その質問に、男は意味ありげな間を開け答えた。


「……納品物の確認だ」


 男はラインの働く部門の長である。その男直々に声を掛けられるのは、この半年間に片手ほどしかない。この男と外に出ることに至っては初だ。

 それがただの納品物の確認なわけがない。まず納品物の確認など部門長のやる仕事ではない。それだけ重要な物ということか。それとも他に理由があるのか。疑問はいろいろと残るが、着けばどうせわかるのだ。ラインは口を噤み、ただ歩いた。




 そこそこの距離を歩いたような気がする。かなり街の中心部にまで来た。

 中心部と言っても店が並ぶ賑やかな通りではない。組合などの建物が並ぶ閑静な通りだ。人もちらほら見かけるくらいしかいない。


「着いたぞ」


 目の前にあるのは暗めの木で造られた巨大な建物。黒っぽい石でできた塔にも繋がっており、小さな城のような印象を受ける。


「魔術組合ですか」


 入口に書かれている黄金の文字を読み取る。


 魔術。

 遺跡から見つかった数々の魔術書。その研究によって確立した理論――魔導学を実用化したもので、物質に魔術回路を刻み込むことで使用できる。足に着けている枷にも内側には回路が埋め込まれている。

 勉強の中で唯一好きであった学問ということもあり、少し興奮するラインだったが、頑張ってそれを抑え男について建物に入る。


 中は流石魔術組合といった感じだ。

 支えもないのに宙に浮くランタンや逆さに流れる小さな滝など、ここだけで何十の魔術があった。

 遺跡で見つかった魔術書には大量の魔術が載っているが、その中で実際に今理論が確立し、実用化されているのは一部だけだ。その内のいくつがここにあるのだろうか。

 ラインは興奮を抑えられず、辺りをきょろきょろと見渡していたが、紳士然とした恰好の老人が近づいてきたことで首を固定する。


「本日はどのようなご用件で?」

「アバノ商会のロウです。品の確認を」

「ロウ様、伺っております。そちらは?」

「うちの奴隷です」


 ラインは黙って裾をめくり、隷具れいぐを見せる。


「あまりお気になさらず」

「さようですか。ではこちらへ」


 案内された部屋には腰ほどの机とその上に置かれた箱があった。今は鍵が付けられておらず開いた状態でいる。

 ロウはその箱に手を入れると、一冊の本を取り出した。いくつもの傷や汚れが付いた――触れば崩れてしまいそうな本だ。

 この商会は魔術書にまで手を出していたのか。ラインは驚く。


「こちらです」


 部門長――ロウはそれらの本を一冊一冊手に取って確認する。

 そして最後の本を確認し終わると、静かに置いた。


「確かに」

「では、お取引完了ということで、こちらにサインを」


 ロウが手早く紙に名前を書く。


「回収は別日に。それまでの保管をよろしくお願いします」

「かしこまりました」


 ロウは全てが終わったとばかりに踵を返し、組合を後にする。

 そして少し進んだあたりで閉じていた口を開いた。


「魔術書だ」


 そんなことくらいラインは知っている。しかしロウは奴隷だから知らないだろうと説明を始めた。


「遺跡で見つかった魔術書は、基本的に国が回収して研究機関に預けられるが、大量に見つかったりその内容を完全に研究し終えたりした一部のものは一般の商会に払い下げられる。今のはその一部だ」


 聞きたいのはそれではない。


「なぜそれを奴隷の私に?」


 納品物の確認は誤魔化しや横領が起こらぬよう、基本的に二人一組で行わなければならない。だが、それはラインである必要はなかったはずだ。万の金にも匹敵する魔術書を前に、奴隷が変な気を起こすとは考えなかったのだろうか。


「逆だ。お前が奴隷だからだ」

「それは一体どういった……?」

「今は都合が悪い。このことに関してはまた今度だ」


 結局その真意を聞けぬまま、ラインはロウと共に商会へと帰着した。


 そして数日後、突然ロウに呼び出される。場所は部門長室。部屋には二人しかいない。


「何の御用でしょう?」

「まあ、座れよ。茶ぐらい出してやる」


 ラインは座り心地のよい長椅子に腰を掛け、出された茶を受け取る。

 ロウも自身の茶と共に、机を挟んで体面に座った。

 ここまで丁寧な扱いを受けるのは奴隷になって初めてだ。ただの親切として素直に受け取れない。少し勘ぐってしまう。


「まあまあ、そう身構えんなって。これは別にお前にとっても悪い話じゃない」


 その言葉が逆にラインの身を固くするが、ラインは努めて冷静な声で答えた。


「そうですか。それは良かった。それで、その話には私が関係しているようですが、一体何なのでしょう?」

「この前、魔術組合に行ったのは覚えているか?」

「はい」

「その時に、お前はなぜ自分を連れてきたのかと聞いたな」

「ええ、聞きました」

「その答えを教えてやる」


 ラインが前のめりになり、ロウもまた前のめりになる。


「その前に、取引しよう」

「取引、ですか」

「ああ、お前がここを出るのを手伝ってやる。代わりに俺に協力しろ」


 何を手伝ってくれるのか、何に協力すればよいのか。その内容が分からぬ状態で、首を縦に振ることなどできない。奴隷の身分であるが、馬鹿になったわけでも、全ての命令に屈するようになったわけでもない。

 ラインは強気に聞き返す。


「内容が先です。何に協力すればよいのか。それと魔術組合に何の関係があるのか」


 ロウは少し間を開けて、答えた。


「……魔術書の横抜きに協力しろ」


 ラインは咄嗟に扉の方を見た。これを誰かに聞かれて、まだ何もしていないのに協力者と誤解されては困る。


「大丈夫だ。近くに人はいねえよ」


 流石にそこまでの馬鹿ではなかったか。

 魔術書の横抜き。万の値に匹敵するそれを抜くなど、ばれれば解雇では済まない。だが、逆言えば成功すれば得られる金も莫大だ。

 それがどう自分に関係してくるのか。ラインは察した。


「……それで、私がここを出るのを手伝うと?」

「ああ、得た金の一部を臨時報酬としてお前にやる。そうすれば、お前も自分を買い戻す金をすぐに貯めれるだろ?」

「臨時報酬?」

「部門内で起こった問題を解決した報酬、って名目でだ。俺は部門長。問題なんていくらでも用意できる」


 その計画について詳しく聞かないと何とも言えないのだが、もし成功すれば自身を買い戻す金を貯めるまでの時間は大きく減らすことができる。

 しかし、この取引を呑むにはまだまだ疑問が残る。


「一つ聞かせてください。私が、主人にこのことを報告するとは思わなかったのですか?」

「ああ、思わない。お前がどういう経緯でここで働くことになったのかは知ってる。わざわざ主人に直談判するくらいだ。さっさと奴隷を辞めたいんだろう?」

「それはそうですが、あなたの計画に乗って危険を冒さずとも、このまま働いていればいつかはお金が貯まります。何なら密告を忠誠の証として高く評価してくれるかもしれませんよ」


 そう言うとロウは声を上げて笑った。


「何かおかしいですか?」

「お前、本当に自分を買い戻せると思っているのか?」

「え?」


 ロウの問いに心臓が一つ打たれる。その前提条件が間違っていたら、今までの全てが崩れ去る。

 そんなわけはない。自身の計画は大丈夫なはずだと言い聞かせる。


「……商品として売られていたころの私は安かったですから、たかが千といくらか。今の、奴隷の賃金は安いですが、それでも生活を切り詰めて、六、七年も働けばそのお金は貯めることができる」

「はあ、ここまで使える奴をたった六年で逃がすわけないだろ? 主人も最初は構わないとでも思っていたのかもしれないが、お前は少し頑張り過ぎたな」

「それでも契約は交わしています。書面にもある。彼は私に金を払う必要があるはずだ」


 金さえ支払われれば、自身を買い戻すチャンスはあるはずだ。


「もしその金が千といくらかでなければ?」

「は?」

「お前の値が万だったとすれば?」

「いや、確かに俺は千で売られたはずだ!」


 ラインは感情をむき出しにして叫ぶ。


「お前は確実に自分を買い戻すため、確実に賃金が支払われる――法に従わなければいけない場所に雇われるため、奴隷商を内部に持つこの商会を選んだんだろうが、裏目に出たな。売値、買値を誤魔化すなんて簡単だ」

「それは法に反して……」


 そこでラインは気づく。元々奴らに法を守るつもりなど無かったのだと。


「内々での不正は簡単で、安全なんだよ。法では、法では。そんなもの通用しない。お前はこの商会がどこまで腐っているか知らないのさ」


 今更訴えたところで、奴隷の言葉などだれも信用しない。契約書面にも値についてのことは書かれていなかった。あるのは労働契約と、自身を買い戻すことに関するものだけ。それも、売値の十二割との記載だけで具体的な金額が教えられたのは口頭でのみだ。

 詰めが甘かった。

 ラインは後悔と怒りを抱く。


「だが俺の計画に乗れば万の金なんてすぐに稼げる」


 ロウの具体的な計画はわからない。危険はある。それでも、このまま何十年も働き続けるよりかはいいのかもしれない。

 いや、いいはずだ。俺は俺の人生を生きると決めた。この一瞬一瞬が惜しい。


 ラインは数秒考えこんだ後、手を差し出す。

 そして言った。あの日、主人に言われた言葉を。

 二人の声が重なる。


「契約成立です」

「契約成立だな」

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