第四話 雇用
「私を雇っていただきたい」
ここで一年以上奴隷をしていれば、主人についても分かってくる。彼は無駄が嫌いだ。
だからラインは、簡潔に要求を述べた。
その言葉に返ってきた反応は困惑。そして疑問。
「それはあれか? 情報を渡す代わりに雇えと。そういうことか?」
アンガス――都市の役人から聞いたこの都市一番の大商会と王国の商人との争い。それに関しての裏情報を匂わせ、この場を無理やり取り付けたのだ。彼がそう考えるのも無理はない。
しかし――
「違います」
きっぱりと言う。
そして次の発言。これを出せば彼の不興を買うことは確実だ。だがここまで来たのだ。言うしかない。
「そして、申し訳ありませんが、私は貴方を満足させられる情報は持っておりません」
この発言によってラインの足が断ち切られる可能性すらあるが、それはもう彼を信じるしかなかった。一時の怒りによって、せっかく育てた商品を無駄にする人ではないと。
「そうか、なら話はない。おい、こいつを連れてけ!」
主人の判断は早かった。
すぐに用心棒を呼び、連れ出すよう命令する。
だがここで終わる訳にはいかない。
「もう少し話を聞いていただきたい。そちらも王国商人の締め出しで人手が足りなくなってきているはずだ」
用心棒に肩を引っ張られ後ろに倒れるが、態勢を立て直して膝をついた状態で何とか抵抗する。
「算学はできる!」
「チッ、かてえ。おい! ちょっと来てくれ!」
「帳簿も、会計書も、知識ならある! どうか一度考えて――」
用心棒の数が二人に増え、とうとう抵抗は破られた。
「黙って来い!」
引きずられていく中、ラインは最後にと声を張り上げた。
「ヤナイ商の決算書、数字のずれがあった! わかりにくいが、よくある誤魔化しの仕方だ! 気を――」
「黙れと言ってるだろ!」
用心棒の一人に腹を蹴られる。無防備な状態で足を受けたため一瞬息が出来なくなる。
しかし、言いたいことはすべて言えた。後は彼がどう判断するかだ。
ラインは抵抗を辞め、されるがままに引きずられていった。
翌日。
「う……」
ラインは全身の痛みとともに目を覚ます。
こんな朝は久しぶりだ。
昨夜に受けた手厚い罰がかなり響く。
「飯だ! 飯!」
今日も響く声。
奴隷らが入っている格子の扉が次々に開かれていくが、ラインのところだけ飛ばされる。
罰はまだ続いている。
今日は飯も労働も何もなく、ここで一日天井を見上げて過ごすのだ。
少し焦り過ぎたか。
ラインは思う。
いや、それでも賭ける価値はあった。成功すれば最短六年で奴隷を脱することができる。元の計画が十数年だったものと比べればかなり下がった。まあ、それも成功すればの話だが。
ラインは少しだけ憂鬱な気分になりながら、天井を見上げていた。
ガゴン。
昼が近づいてきたころ。その音が響く。
そして近づいてくるチャラチャラという音。
来た。
ラインは賭けに勝ったことを確信し、心の中で拳を上げた。
「来い」
不愛想な声。
用心棒はとても嫌そうな顔をしていた。
「また昨日のようなことがあれば、今度は首を切り落とす」
用心棒からの脅迫を受けるが、そんなもの賭けに勝った喜びに浸っているラインには通じない。
いや、正確にはまだ勝ちが確定したわけではないのだが、ここまでくればもう勝ったようなものだ。
「なに笑ってやがる。気持ちわりい……さっさと行くぞ」
そう言って連れてこられたのは昨日と同じ主人の部屋。用心棒は出て行き、二人きりの状況だ。
「昨日お前が言っていたヤナイ商の件だが、不正があった。よく見つけたな」
「はい。仕事から戻ってきた際に、少しだけ見えてしまい。よくある手口だったので」
「お前は確か、商会の一人息子か何かだったか?」
「はい。今はもう無き商会ですが」
主人には潰れた商会の元跡取りという設定で通っている。元貴族などと馬鹿正直に言っていれば、今頃家を乗っ取った奴に売られて首がなくなっていた。
貴族時代、領地の経営に必要である財務書や帳簿の見方、書き方まで嫌というほどやってきた。そこらの商人とも引けを取らないレベルにはいるはずだ。下手をしなければ、嘘がばれることはないだろう。
「一つ聞かせてくれ。なぜ今さら雇ってくれなどと言いだした?」
もっともな疑問だ。
「焦ったからですよ。私がここに来てからもう一年半です。このまま売れなければ、私は自身を買い戻すチャンスすら掴めないので」
法律には奴隷にも賃金を支払わなければならないと書かれているが、奴隷商には適応されない。つまりいくら働いても、奴隷商で商品として扱われている場合は賃金が発生しないのだ。それでは自分を買い戻すわずかなチャンスすらない。。
今回、ラインが雇用を希望しているのは奴隷商ではなく、奴隷商や他の
一部の奴隷所有者が何かと理由をつけて法をかいくぐり、奴隷に自身を買い戻させないようにするといった例もあるが、表で商売をしているこの商会であればそんなことはないはずだ。奴隷商がそれを行っているとばれれば市民、国からの信用は失い、奴隷商だけでなくこの商会自体が崩る。たった一人の奴隷に、そこまでの危険を冒すとは思えない。
「なるほど……確かに王国商人の締め出しで、雇っていた見習いがいなくなり、人手が不足しているのは確かだ」
この都市はラベン湖からもたらされる豊富な水資源により発達した都市であり、王国との国境でもある。商業的、経済的に大きく発達したこの都市に、王国商人の見習いがこの国の商売特性を学ぶために来ることも少なくない。そして、彼らを雇っている商会もまた少なくない。
この商会は数カ月前から特に多くの見習いを雇用していた。商会内ですれ違う五人に一人は王国人顔だったくらいには。
その労働力が締め出しによって減ったのだ。人手が不足するのも必定。
「ならば――」
「しかし」
主人の声が大きくなる。
「信用がない。実績がない。ヤナイ商の不正を見つけたのはお手柄であったが、言ってしまえばそれだけだ。それに、今は一時的に人手不足であるが、その分の補充人員にはあてがある。わざわざ
それは確かにそうだ。
主人は奴隷を、枷というものを使い恐怖で縛っているに過ぎない。信頼ではなく恐怖で成された関係がどれだけ脆いものか、彼も知っているのだろう。
「他に何かないのか?」
彼は本当に交渉がうまい。相手のぎりぎりを引き出すのが。
「ないのなら――」
「一つ!」
渋々だ。本当に渋々、ラインは最後のカードを切る。
「私が貴方に、貴方たちに提供できるものがあります」
「それは?」
「不正の方法です」
「詳しく」
主人が前のめりになる。
「私のいた地域ではあらゆる不正が蔓延っていました。それらの手口を知っているということはつまり、ばれない方法も知っているということです」
「絶対にばれないと?」
「はい。ヤナイ商のあれは、私のいたところではよくあるものでした。それがばれないくらいであれば、私の知っている方法でばれることはないでしょう。なんらなら少し面倒ですが、法に抵触することなくごまかす方法もあります」
自身の持つ商品を売り込むようにラインは言う。
「それは信用できるのか?」
「その判断はそちらでしてください。ですが、それを話すのは雇っていただけたらの話です。雇っていただけないのでしたら、足を切られても口は割りません」
はったりだ。不正の方法と足ならば、当たり前に足を取る。しかし、そうまで言わねば、圧倒的格上である主人との交渉などできるはずもない。
「……考えなかったのか? その不正を知るお前を逃すわけないと」
主人は告げた。もしこの商会が教えられた方法で不正をするとして、それを知っているお前に自身を買い戻すチャンスなど与えないと。
「だから私が教えるのはあくまで方法です。それをどこにどう使おうが私の知るところではありません」
ラインは告げた。方法は教えるが、それには一切関わるつもりはないと。
数秒間の沈黙があり、主人の口が開いた。
「明日から上の部屋を使え」
勝ち切った。
最後のカードは惜しかったが、それでも勝ちは勝ち。ラインはもう一度心の中で拳を突き上げた。
「契約成立だ。ようこそアバノ商会へ」
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