第三話 計画

 朝が来た。

 昨夜の熱は少し、冷めた気がしていた。朝の冷静な頭が、無理だ、止めておけと忠告する。

 しかし、それを言い訳に止めたら自分は――俺は永遠にこのままだ。

 熱は冷めたが炎は消えちゃいない。ならば十分。俺の物語はなしはもう始まっている。

 何もなかった日常から突如始まる物語。突如動き出す主人公。そんな主人公が一人くらいいてもいいだろう。


「今日もしっかり働いてけよ!」


 しかし、決意したからといって突然世界が変わる、なんてことはない。いつもの日常は巡ってくる。ラインは今日も働き、不味い飯を食って、殴られる。

 その毎日は決意の日から数週間が経っても変わらなかった。だが、それでも確かに変わった。変えた。

 奴隷を脱するための計画を立て、実行のための材料を集める。すべては奴隷を脱するその日のため。あの日からの日常は大きく変化したりなどしない。しかし、一日の密度は違っていた。

 ラインは今日も働く。


「アンガスさん、最近はどうですか?」

「おい、ライン。仕事中だ。黙って働け!」


 アンガスと呼ばれた男が唾を飛ばす。

 お目付け役の役人であるアンガスは、役人たちの中でもラインが最も話す人物である。

 人の物語はなしを聞くことが唯一の楽しみだったラインは、元々役人たちとも話す方であったが、最近は特に話している。


「そう言われても、次が来るまで暇なんですよ。それに、こんな作業なら喋りながらでもできます」

「まあ、それならいいけどよ。さぼんじゃねえぞ?」

「それは勿論」


 最初はお目付け役の態度を示したアンガスだったが、ラインが言い訳をするとすぐに許した。お目付け役としてただ立っているのも暇で、彼も話し相手が欲しいのだろう。

 それに、今ラインが行っているのは、リレー形式で運ばれてきた石を荷台に乗せていくだけの作業。少し話したところで仕事に支障はない。


「それで、最近は?」


 同じ質問を繰り返す。


「いや~、最近うちの妻がよ――」


 ラインが欲しかったのはこの都市の情報、特に経済状況に関する情報であったのだが、始まったのは家の愚痴。

 それでも「この都市の経済状況を教えてください」などとド直球に聞くわけにはいかない。齢三十にしてまだ役人の末端であるアンガスは、仕事にあまり誠実でなく、口は軽いほうであるが、役人は役人。変に疑われてしまえば口は一気に堅くなるだろう。

 笑顔で相手が気持ちよくなるよう相槌を打ちながら、徐々に話を持っていくしかない。


「――ただでさえこっちは最近忙しいっていうのによ」

「何かあったんですか?」

「あ? ラベン湖を渡ってきた何とかっつう商人がこの都市の商会と揉めて大変なんだよ」


 思いがけなく向こうから話が寄ってきてくれたことに内心喜びながらも、疑われぬよう深堀りしていく。


「ラベン湖?」

「ああ、奴隷おまえらはここがどこかも知らないんだったんだな。ラベン湖ってのはこの都市の北にある巨大な湖で、王国との国境でもある。そこ渡ってきた王国商人が厄介持って来たってわけよ」

「別国の商人が相手とは、大変そうですね」


 深く同情しているそぶりを見せる。

 ラインはこの都市のことも、外のことも何も知らず、ただ連れてこられ奴隷にされた――という設定である。この世界にある国やその中枢都市、地形などはすべて貴族時代に頭に詰め込んだ。本当のところは、ラベン湖のこともこの都市のことも、その経済的特徴まで知っているが、怪しまれないため無知を演じなければならない。


「ほんとだよ。王国との経済窓口のこの都市で、商人が問題起こすなんて今まで何回もあったことなんだがな。今回ばかりは相手が悪い。あいつらこの都市でも一番の大商会に喧嘩売りやがった」

「おぉ、それはそれは」

「大商会も大商会だ。プライドがどうとか看板がどうとか知らねえが、都市の威信だとか言って王国商人全部を追い出しにかかってやがる。下らねえもののために俺らの仕事増やしやがって……胃に穴が開いちまう。ちっ、リエールのクソ野郎どもめ」


 そう吐き捨てるアンガス。

 今は奴隷の監督者として突っ立っているだけのアンガスであるが、役所に戻れば仕事は山のようにあるのだろう。商人たちの争いによって生み出された仕事が。

 かなりの苛立ちが溜まっているみたいだ。


「王国商人ですか……」

「ああ、てっぺんから末端まで。あいつらも可哀想にな。元はと言えば王国の商人がまいた種だが同情するぜ」

「それは中々強気ですね」

「今までのもんが溜まってたんだろ。それが一気に爆発したんだろうよ」

「それほどまでに怒らせるとは……その王国の商人は一体何を?」

「なんだか今日はやけに突っかかってくるな。いくら奴隷といえどこれ以上は話せねえ。ほら、さっさと仕事を終わらせろ」

「まあ、そりゃそうですよね。じゃあ、そろそろ次の荷台に移りましょうか」


 アンガスから得た情報。それはラインにとってとても喜ばしいものだった。うまくいけば奴隷脱出がうんと近づくかもしれない。

 その興奮から少し踏み込み過ぎた。

 アンガスの警戒心を上げてしまったことを反省しながら、ラインは仕事を続けた。


 仕事が終わるころには日が沈みかけていた。

 ふらふらになった仲間の腕を肩にかけ、商館への帰路に就く。

 通るのはスラム街。舗装されていない道の脇には、物乞いや古い建物、半壊した建物が立っている。

 奴隷の身分の者がボロボロな状態で普通の通りを通って、商会に入っていったら印象が悪い。主人が欲しいのは、私は都市に貢献しているという建前であって、その実態はあまり見せたくないのだ。

 暗い雰囲気の捨てられた街をラインらは歩く。

 一部の者が睨んできたりするが、その程度。奴隷に金はないし、殴れば商会が出てくる。うちの商品に手を出したな、と。奴隷はある意味安全だ。


 少し歩けば商館の裏口に着いた。

 暗い路地裏にある裏口に仲間が入っていく。

 そんな中、ラインは唯一差し込む光を見ていた。商館正面の前、いくつもの露店が並ぶ、その方向を。

 今は夕市の時間帯のようで賑やかな雰囲気が伝わってくる。

 いつかあそこで豪遊してやる。

 また一つ、将来の計画を立てながら中に入っていった。




「これそっち戻して」

「回収しとけって言ったろ!」

「手、空いてる人いるー?」


 整然とした奴隷商館の正面入り口。その裏では声や書類が行き交う。数週間前にはなかった忙しさだ。

 建物の都合上どうしてもそこを通らないといけなかったラインたちに、前までは嫌な目を向けてきてた者たちも、今はそれどころじゃない様子。

 やはり。

 ラインは思う。一週間前から人が明らかに減っている。

 今まではその理由が分からなかった。それが今日、分かった。そしてそれをうまく使えば計画を大きく縮めることができる。

 ラインは怒声を浴びせらえる前にその場をすり抜け、奴隷がいるべき場所へと戻っていった。机に置かれたある一枚の書類を横目に流して。


 夜はいつも通りいつまでたっても慣れない不味さの飯を腹に詰め、いつも通り奴らに呼び出される。


 ゴッッ。


「おお、今のはいいの入ったんじゃねえか?」


 笑いながら言う男。

 飛びそうな意識を無理やり戻し、男の姿を捉えなおす。


「うらっ」


 目の前の男に夢中で、横から飛んできた足に気づかなかった。

 何とか防げはしたものの、体格差のあまり吹き飛ばされ、壁に体を打ち付けた。


「カハッ……」


 胃から出てきそうになったものを再び押し込み、立ち上がって彼らを見据えた。


「おっ、やるじゃねえか」

「まだ時間はあるんだ。今ので終わりじゃ困る」 


 最近では容赦なく顔も殴られる。先ほど顎に入った拳はかなりやばかった。

 数週間前、我慢の限界に達したラインは、一度彼らに反撃した。その日からだ。酷くなったのは。

 今までは両腕を抑えられ、体に拳を一発ずつぶち込まれるだけであったが、最近は複数で殴り掛かってくる。腕は抑えられていない。反撃も可能。しかし、多対一では反撃どころか防御すらまともにできない。

 流石は元ハンターや元犯罪者たち。それも、奴隷落ちになるほどのことを犯した。

 暴力の嵐がラインを襲う。

 最近は特に酷くなっているが、止められる気配はない。高く売れる彼らのことは主人も多少多めに見ている。それこそ、たとえ一人の売れない奴隷がボロボロにされようとも。

 しかし、それをただの苦痛だと捉えていた今までのラインとは違う。いつか外に出た時のため、もう誰にも自身を奪わせないために力をつけなければならない。彼らの暴力をラインは教本とし、攻撃の仕方、防御の仕方、回避の仕方を覚えていく。

 終わるころにはいつも通り身体中傷だらけになっていた。


 寝転べば、いつも通りの天井がそこにはある。

 目をつぶって神経を身体の方に持っていけば痛みを感じるが、逆に言えばその程度だ。痛くて眠れないほどであった時と比べれば、もう十分に慣れた。

 だが疲れには中々慣れない。体がしっかりしてきてもその分仕事が増えるため、疲労度は変わらないのだ。

 疲労から閉じそうになった瞼を、ラインは頑張って開いた。

 今日はまだ終わっていない。今からが今日一番の大仕事だ。


 チャラチャラと近づいてくる金属同士がぶつかり合う音に、ラインは身を起こした。


「待っていましたよ」


 用心棒。その一人が腰につけていた鍵を、ラインのいる格子の扉に差し込んだ。


「来い」


 ただ一言。ラインはそれに従いついていく。

 案内されたのは豪華な装飾が施された部屋。体を沈めてしまいたいほど柔らかな絨毯に、天井から垂れ下がったシャンデリア、壁や棚の上にはライン自身の値よりもはるかに高そうな絵画や陶器などがあった。

 流石はここら一体の店を束ねる商会の長だ。


「下がれ」


 この部屋の主の声によって案内役の用心棒が部屋を出ていく。


「それで、話とは?」


 目の前にある綺麗な机の向こう側から、白い髭を蓄えた男が尋ねてくる。

 彼こそ、この商会のトップであり、ラインら奴隷の主人である。

 ラインはその彼に直談判をしに来た。普通ならばそれが許されるなど絶対にありえないが、役人から極秘情報を仕入れたことを匂わせて、無理やり取り付けた。

 しかし、実のところはそんな情報などない。あるとしても今日聞いた話くらいだ。そんなもの彼はとうに知っている。

 だからこれは一種の賭けだ。

 ラインは言う。


「私を雇っていただきたい」

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