第36話 賽を投げろ



 翌日の朝。

 例のごとく部屋まで迎えに来た侍女に連れられ食事に向かった。

 もあって床に入るのが遅かった為に侍女が扉を叩くまで目覚めることが出来なかった。そこまで深く寝付いたつもりもなかったが……というか、侍女の気配が薄すぎるのだ。人気を感じない分、どうしたって眠りは深くなる。


「それが遅刻の言い訳ですか?」


 これまた例のごとく先に待っていたクシェルより鋭い一言。


「まあ」珍しく攻撃的なクシェルにやりにくさを覚え、痒くも無い頭を掻いた「そんな感じだよ」


「情けないです」と、嫌味を出すことの少ないクシェルが溜息をつく。とんでもなく大きい溜息だった。何だか怒っているようにも思えるが……昨日のが原因か。背後では侍女がくすくすと声を漏らしていた。何が面白いのだろう、笑い事じゃないんだけどな。


「憑き物は落ちましたか」腰を下ろす直前、耳打ちしにきたアリアが微笑む。幾度か見た筈の表情は、どうしてかやけに魅力に満ちていた。問いに黙って首肯すれば彼女は更に表情を砕けさせ、並びの揃った白い歯がちらりと見える。

 思わず視線を這わせると、隣の席についていたクシェルから脛を蹴られる。「お、おい何するんだよ」それなりに痛いので抗議したが、彼女は不機嫌そうに「兄さん、いやらしい」とそっぽを向いた。


「お主ら、様子がおかしいな。昨夜何かあったか」


 昨日の夕餉には参加しなかったバルガスだが、追い込みの甲斐あって溜まりに溜まった執務を一旦終わらせたようだ。

 疲れているのか、窪んだ眼の下に大きな隈ができていた。特に弱った素振りなど出さないが、執務は苦手な性格タイプだろうからな。


「いつもの事ですよ、閣下」


「くく、左様か。色男め、まぁその若さとあってはな。ミネルバともよく打ち解けたようだ。どうだ、いい女だろう?」


 果たして誰の事か、知らぬ名だ。

 バルガスの目配せにそれとなしに視線を移せば、世話役の侍女がこっそりお辞儀をした。

 彼女、そういう名前だったのか。面倒になっているのに名も聞いていなかった。少々無礼なことをしたな。

 そんなことより、バルガスの余計な台詞のお陰でクシェルが絶句している。「に、兄さん……」と呆けた顔をして、ぽっかり開いた口元がわなわな震えていた。


「昨日は手間をかけたな。教会はどうであった?」


「はい、見事なものでした。然したる審美眼など持ち合わせていませんが……かなりの銀を用いたでしょう。

 街の方もと見学させて頂きましたよ。クウェンでは見馴れぬ物も多く、勉強になりました」


「そうかそれはよかった。……ところでヴォルフよ、ちと時間を貰えるか。また少し頼みがあってな」


「勿論。その為に来ていますから」


「でしたら、私もご一緒に」アリアは同席する意向を示したが、バルガス本人によって却下される。


「いや、二人でだ。男同士、水入らずでな」


「ですが……」


「俺も幾つか話したいことがあります。アリア、クシェル。悪いけど待っていてくれ」


 なんとか食い下がろうとするアリアを下がらせる。

 彼女にも立場上の責任と意地があろうが、こんなことで顰蹙を買っても困る。

 バルガスがそこまで狭量とも思わないが、従順であるに越したことはない。


「よい朝食であった。ではアリア殿、クシェル殿、少し彼を借りてゆくぞ。ヴォルフ、着いて参れ」


「あ、はい」


 今からか、急いた様子こそ無いが随分と急だった。

 アリアは珍しくむくれた――ように見える――顔で俺の方を睨んでいた。クシェルはクシェルで、バルガスの余計な一言のお陰か何やら勘違いをしている。何故彼女にはこうも信用がないのだろうか。不思議だ。

 もう少しゆっくりしていたいが、この場から退散できるのは好都合か。

 内心の安堵などお見通しのクシェルは最後まで冷めた視線を送っていた。


「――お主も下がっておれ、必要であれば声を掛けるでな」


 廊下を渡る途中、そう言ってバルガスが不意に振り向いた。つられて振り返ると侍女が数歩後ろに着いてきている。


「ヴォルフ、ミネルバを下がらせるがよいな」


「え、ええ。大丈夫です」


 この人、ミネルバといったな。

 相変わらず気配を殺すのが上手い。本気で隠れられたら気付けないかもしれない、と改めて評価する。

 或いはクシェルならどうか。彼女は俺よりも鋭敏だ。バルガスも察知してみせた、かなり繊細な感覚を持っているに違いない。


 しかしこのバルガスという男の背に宿る堅牢な気配。

 並外れた骨格フレームと鍛え上げた肉体が放つそれは、本来無防備である筈の背中を城壁や巨岩とすら錯覚させる迫力を伴っていた。

 極め付きは滑らかな身体の運び、彼の左足が義足であるなど常人には気づけまい。

 そういえば父上も隻腕の身でありながら、戦闘ひいては日常生活の振る舞いに於いてその偏りを一片も覗かせなかった。


「さあ、入れ。あまり居心地は良くないがな」


「失礼します」


 招かれたバルガスの執務室はお世辞にも良い環境とは呼べなかった。

 分厚い鉄扉、鉄格子に塞がれた窓、粗末に編まれた敷物……絨毯に壁を一面埋める本棚と書物。間取りに対しては大きすぎる机が閉塞感を強めている。

 正直な所感でいうと牢屋のような内装であった。

 カビ臭く薄暗い室内は、何もしていなくても気力を奪われそうだ。冗談でも口には出すまいが。


「適当に掛けよ」


「椅子に、ですか?」


「当たり前だ。こんな硬い床に座らせるほど我は礼儀知らずではないぞ」


 念の為に真意を確認したが逆に呆れられてしまう。食事は兎に角として、領主と対面する際に腰掛けるなど無礼極まりない行為であった。

 親しみのあるウァルウィリスですら、主従の一線は明確に在ったというのに、バルガスにはそれすらない。


「では、お言葉に甘えて」


「それと、そう畏まるでない。立場こそあれお前は戦士。出来れば対等でありたい、それとも老いぼれは戦士とは認めてくれぬか」


「まさか、閣下は偉大な戦士ですよ」どう返したものか悩んだが、世辞が上手い人間ではないのでそのままの感想を答えた。


「知ったようなことを言う」


「見れば解りますから」


「くく、若造め」


 言葉とは裏腹に、満更でもない様子で彼は顔の皺を深める。

 バルガスは思い立ったように手を叩くと屈んで絨毯を捲り始めた。すると収納扉が顔を出し、開けば中から杯と小ぶりな樽が隠されているではないか。

「一杯飲むか」と訊ねるバルガスは訊くより早く杯を二人分取り出していた。注がれ、勧められるがまま受け取り、彼の感想を期待した視線に従って口をつける。


「飲み易いですね、けれどクウェンのものよりずっと味わい深い」


「そうであろう、この土地は荒れた癖して水は良い。酒は格別よ。毎日飲んでも飽きんよ」


 お世辞抜きにやはりアミュガットの酒は上等なものだ。

 この件が片付いたら幾らか持って帰ってもいいな。クウェンにはアミュガットの品は置いていないし、ちょっとした小遣い稼ぎになるかもしれない。アルガス辺りも喜んで食い付きそうだしな。


「……よい得物だな」


 下らない妄想に耽っていると、バルガスが俺の背中――背負った剣に関心を寄せていた。


「流石ですね。よろしければ手に持ってみますか。印象を越えることを保証しますよ」


「それには及ばない」バルガスは惜しんだ表情で提案を拒み首を振る「残念ながら我には資格がないのでな、怪我をしたくはない」


 一体何の資格だろうか。剣は使い手を選ぶとは言うが、バルガスが扱えぬ武器など無いように思える。


「その剣の銘、《征服されざる者アダマス》であろう?」


「ご存知でしたか」


「かの剣聖が振るった一振りだ。見紛うことがあるものか」


「剣聖ですか」


「然り、剣聖ラグナル。王国騎士団設立以来の傑物、最強の騎士にして獅子の末裔。当代の剣聖など及びもつかん男だった」


 遠く離れた旧友を語るかの穏やかな表情。

 バルガスの年齢を考えれば、知見があっても可笑しくはない。ただでさえアミュガットは四方に敵を作っていたと言う、戦場で剣を交えた可能性もある。

 しかし父上、剣聖と呼ばれていたとは。

 どれ程の高みにいて、なんという誉れを手にしていたのだろう。

 今でも未だその果ては見えぬままだ。


「何故その剣を持っているかなど聞かん。お前から漂う面影も……ウァルウィリスが語らぬのなら訳が在るのだろう」


「助かります」


「あの娘も……妹の名はクシェルといったな。お前とは少し雰囲気が異なって思える。品格、作法、申し分なく平民のそれでは無い。生まれは北と聞いているが、さぞ複雑な事情を抱えていると察する」


「……それは」


「そう怖い顔をするな。言っただろう、詮索のつもりはない。お前を敵にするには少し老い過ぎた故な」


 バルガスはそう言ったが、既に核心に迫っているのだと感じた。何処まで見えているのか、それとも全てを見抜いているのか。

 ウァルウィリスもクシェルには一目置いているようだった。やはりそれなりの身分にある者同士、通ずる何かが在るのだ。


「さて、本題だ」バルガスが飲み干した杯を机に強く打ち付けると空気が一変する「お前に一つ頼みがある」


「頼みですか?」


「ああ。ある女を護って欲しいのだ。聖アミュガット……いや、我らにとって大切な御仁、巫女をな」


 バルガスの口より吐かれた巫女という言葉。

 遂にこの時が来たかと全身が強張った。仔細を秘された謎多き人物だが、いよいよ彼の口から語られるというのは信頼を得た証か。


「閣下の指示であれば如何様にも。ただ、何から護るというのですか」


「全てだ。あの娘を取り巻く全てから、護ってくれ。悪意も害意も、敵意も。一見は忠実さからくる善意すら……一切を取り払え」


「余程敵が多いようですね」


「然り。あれは我ら滅びを待つ民族に託された最後の灯火。守護者らも、度重なる謀略の末に一人が残った。腕の立つ頭の良い男だが、お前ほどでは無い。何より彼方には当代の剣聖が付いておる……正直言って分が悪い」


 領主ともあろう御方が随分と弱気なものだ。

 それだけの窮地に在りながら今なお逃げ延びているのは、バルガスの権威と守護者とやらの存在のお蔭か。


「命を懸ける事になるぞ。お前には明かしておくが、この件はウァルウィリスの意向で断っても良いことになっている。今この時までならば、引き返せる」


「命ならとっくに懸けています。今さらですよ」ウァルウィリスの計らいはありがたいが下らない問答だ。返事など決まっている。そうして返答をしたが、バルガスは意外に渋い顔をした。


「いいや、それは間違いだ。如何程の覚悟の上にあっても、命など容易く懸けるものではないぞ。勇敢さと蛮勇は非なるもの。未来を賭すにはお前はまだ若すぎる」


「ですが、閣下は俺に話した。俺が必要だからでしょう、それが死地であっても」


「だが断ってもいい。ウァルウィリスの命だからでは無く、我自身が許す。ヴォルフよ、お主が考える以上に此度の件は根が深い。本来であれば若人はこのような政に関わるべきではないのだ」


「どのみち断れませんよ。閣下と……何よりウァルウィリスからの命令です。貴方を助け、巫女を護る。どちらも与えられた使命、覆せません。俺は所詮は兵ですから」


 前提として俺はクウェンに仕えるウァルウィリスの私兵。そしてまたバルガスも領主であり、揺るぎない権力者の一人だ。

 ウァルウィリスは今回の件を危険を承知で俺に託した、仮に逃げ道を用意していたとしても、恐らくは俺がそれを選ばないと考えてのこと。

 今の地位とて、幾度の死線に挑んだからこそ得たものだ。今さら逃げる手段など在りはしない。


「くく、どうであるかな。お主は人の下につく男ではない。その器では無いだろう、誰もお主を飼い慣らせまい。領主も、司教も、王ですら。権力では縛れぬ男。その気になれば、何もかもを棄てる、その決意を持てる男だ」


「随分と俺を買ってくれていますね」


「あぁ、だから直々に乞うている。我を助けてくれと。主の中に、覇道が視える。その背にかつての剣聖の面影が。そのような男を縛るとすれば、それは誓いだけだ……かつての剣聖がそうであったように」


 剣聖……父は騎士だった。

 騎士は忠誠に生きるもの。誓いを一つ、己が剣に捧げるのだ。

 父もまた、誓いに生きたのだろうか。結局は剣の道を断たれ王国から弾かれてしまった。忠誠の結果、その最期は無惨なものだった。きっと、ずっと縛られていたのだろう。一人でなら生きていけたのに、家族を護る為に、それ以外の全てを棄てた。自分の命など構わずに俺とクシェルを生かしてくれた。

 父の背中をよく覚えている。強く、優しく、誠実で憧れだった。


 ふと胸の内が熱くなるのを感じる。

 鼓動に従って剣を抜き、バルガスの目の前に跪いた。


「……剣に誓います、必ず巫女を護り抜くと」


 心からの誓いだった。

 こうなれば最早退路はない、文字通り身命を賭して挑むことになる。

 バルガスは俺の言葉を受けて「それを聞けて安心した」と朗らかに微笑んだ。

 力の抜けた、安堵したような表情でもあった。


「それで閣下、この先はどのように動くつもりなのですか」


 迫りくると知っている危険を座して待つわけにもいくまい。バルガスにそれなりに策があるとよいが。


「うむ、先ずは我の敵……教会からの刺客を炙り出す。近い内に開かれる御前試合にて、敵の出方を窺うつもりだ。敵の狙いは大きく二つ、我と巫女の命よ。どちらも敵前に晒してくれようぞ」


 敵はやはり教会か。

 歴戦の領主は不敵な笑みを浮かべる。

 隙を作るような真似は得策ではないが、バルガスとて易々殺される男ではない。この時点まで無事でいるのが何よりの証拠。

 そして巫女を護るのは守護者とやらと、俺の役目か。


「獲物はそう簡単に出てきますかね」


「巫女は教会にとっても特別な存在だ。奴等の信仰を揺るがす程の力を持つ。故に、我らに与すると分かれば行動に出る。

 そしてヴォルフよ、お主もまた無視できぬ存在。何せウァルウィリスの腹心とも呼べる立場にある。即ち、お主は此度の事態に置いてクウェンそのものだ。あらゆる手段を用いて排除に掛かるであろう」


「身震いしますね」


「昂るのは我も同じよ。久方ぶりの血の気配だ、お主らといざこざはあれど、前線に赴くことは暫く無かったからの。――――さて、では仔細について話していこうか」


 教会の目的はこのアミュガットを神の土地に変えること。

 恐らくバルガスと巫女を失えばその時点で精霊信仰は完全に断たれるだろう。つまり、アミュガットは滅びることになる。土地の名前は残っても中身は別物だ。


 こちらの勝利条件は精霊の信仰を民から取り戻すこと。

 その為には彼自身の支持を集める必要があるが、目的を為すための障害が幾つか阻んでいる。


 一つは兵の不足、一つは財政難。

 教会は献金だけでなく、集めた銀を貸付けることで利子を得ている。既にアミュガットは教会にかなりの借金があるという。

 更に教会は余りある財力から直属の兵隊まで有している、アリアが話していたあの聖堂騎士とやらだ。

 聖堂騎士たちは領内の哨戒や治安維持、神父と共に各地で祈りを捧げるらしく、民に支持されている。

 本来はバルガスの兵の役目だが教会が取って変わっている訳だった。


「そこで俺の部隊、兵たちがその役目を担うという話ですね」


 クウェンから派遣された兵は五十人程度。

 軍勢とは呼べぬ規模だが腕利き揃いだ。実戦経験も豊富で、それも共に死地を越えた戦友ばかり。

 バルガスからの兵という名目で領民を助けて回れば印象も良いだろう。


「ああ、そしてウァルウィリスは銀を立て替えると申し出た。教会への負債を補い、一時だが領内を保たせるだけの銀だ」


 バルガスとウァルウィリスの間でどんな条件、やりとりがあったのか気になった。

 これ程の施しが善意だけとは考え難い……。

 ウァルウィリスはあれで頭が切れる。賢しく慎重で強かな男。

 クウェンの利にならぬ事はけしてせぬだろう。


「じき遣いを寄越す、それまで身体を休めるといい」


「解りました」


 一礼を残して部屋を後にする。

 俺は早速アリアとクシェルと合流して相談を持ち掛けた。

 相談と言いつつ既に事後報告のようなものだが、これはアリアとしても願っていた展開だったようだ。バルガスの信用を勝ち獲り、懐に潜り込む。クシェルは危険な役目だと反発するがもう決めたことだった。

「兄さんは何故そうも闘いを好むのですか」とクシェルは嘆いた。俺の為に死地にまで着いてくるような子だ、いい顔をする筈は無い。「そうすべきだと思うから」なんて伝えても、彼女は納得しないだろう。


 闘争を求めているとは自分では思っていない。

 平穏で波風の無い人生が最上のものと知っている。けれど、それが叶わないとも。

 俺は剣しか知らないから、この先も剣を振るい続ける人生なのだと思う。

 鍛えた身体と託された剣、ただこれだけが自分の手札。

 願わくば、父のように生きたいと思った。


「兄さんが選んだ道なら止めません。でも、危ない時はちゃんと逃げてくださいね」


「ああ、分かっているよ。無茶はしない」


 偽りなく発した言葉とは裏腹に奇妙な高鳴りを覚える自分が居るのも、また確かな事だった。



 ◇



 深夜、何者かの気配に目が覚める。

 あまりに雑な、言い換えれば大胆な歩みでそれは近づいて来た。部屋の前を通り過ぎ、少しすると立ち止まり慌てた様子で駆け戻ってくる。来客の予定は無いが、俺に何の用があるのだろうか。

 謎の来訪者はいきなり扉を押し開こうとしたが、当然鍵が掛かっているので開く訳が無い。何故か押したり引いたりを繰り返していたが……しばらくするとやっと諦めて扉を叩いて来た。騒がしい登場の割には慎ましい叩き方だった。

 しかしなんとも間抜けな奴だ。

 抜けすぎていて警戒心の欠片も抱かせない。

 ただ一応、念のため剣を携えて扉を開ける。開いた視線を遮るのは、外套で深く顔を隠した修道服の人物。唇の厚みと顎の輪郭、線の細さから女だと断定した。


「お初にお目にかかります、私はアセルシアと申します。貴方のお名前は?」


「ヴォルフだけど」思わず名乗ってしまった。彼女は俺の名前を何度も繰り返し発声して「はい、覚えました。素敵な名ですね」などと微笑んだ。何というか、変わった女性だった。


「いや、というか悪いんだが……あんた何者?」


「ああ、これは失礼しました」


 名を訊ねたくせに素性を明かさないのは、どうもただ単に失念していただけらしい。

 慌てて外套を脱いだ彼女の容貌が露わになる。


 癖の無い真っ直ぐな黒髪。

 陽を灯した薄い赤褐色の肌に満月を宿す闇夜の瞳。

 形の良い耳には、動物の牙を削った耳飾りが一つずつ。

 その声は詩人が詠うように良く通る、その上で落ち着いた音色で。

 清楚さで固められた筈の修道服で隠せない程の肉感の良い肢体……その人物を中心に風景すら歪む圧倒的な求心力。

 類まれなる存在感、この感覚はよく知っていた。

 目を奪われて言葉を失った俺をそのままに、彼女は堂々と名乗る。


「皆からは《奇跡》の巫女と、そう呼ばれています」

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