第33話 教会にて



 宴による持て成しは夜更け、日を跨ぐ頃まで続いた。


 尽きぬ酒と料理に満たされた俺たちは旅の疲れもあり、すぐに睡魔に襲われた。

 一応は敵地といってよいものか、ただ警戒を解く訳にもいかないので流石にそう深く眠るつもりはない。

 アリアなどはほとんどの人物と会話したからか、その分だけ憔悴していたな。

 振り返れば彼女は酒も食事もほとんど手を付けていなかった。ああした場はより多くの人物と繋がりを持つ好機であるから、うっかり酔う訳にもいかないのだ。

 招かれた身でありながら酒と食事を楽しめ無いというのは酷だった。


 眠気眼を擦りながらあてがわれた部屋に戻る。

 兵たちは兵舎の空き部屋を使うように指示されたが、俺とアリア、クシェルはそれぞれ館内に個室を与えられた。

 と、いいつつも流石にクシェルを一人きりにするのは不安なのでアリアとクシェルは多少間取りのある同じ部屋に、バルガスに嘆願して衛兵も多く付けて貰っている。


 用意された寝床は一人で眠るには落ち着かない広さだった。

 寝具は信じられないほど柔らかく、手触りがいい。大袈裟に言えば赤子の肌を撫でている感触に近い。ごわつきやパサつき、布に在るべき抵抗感や硬さが限りなく抑えられていた。

 これだけ上質なものは、クウェンですら滅多にお目に罹れない。

 感動して撫でていると唯一の凹凸を発見する。

 真っ新な生地に足された紋章……この土地で出回っている最上級の布や絹には教会の象徴シンボルだという紋章が刺繡されているのだ。


 日常の多くに教会が絡んでいるようだ。否、巣食っているというべきか。

 彼らの権力を示すのにこれほどわかりやすいものはないな。

 まさに領主バルガスの統治を脅かす存在だ。

 バルガスよりの内容に鑑みても深刻な事態に違いない。明日、早いうちにアリアとも共有しなければ。


「兄さん、まだ起きていますか」


 城内が静けさに満ちた頃、クシェルが部屋を訪れた。

 衛兵も連れず勝手に抜け出してきたらしく、蠟燭も持たず暗い通路を一人で歩いてきたようだ。


「クシェル、アリアとは一緒じゃないのか」


「彼女はお仕事中です。私もあまり寝付けなくて、退屈で」


 アリアはウァルウィリス宛ての書状をまとめているようだ。

 仕事熱心なのは良いが、根を詰めて慣れぬ土地で身体を壊さないだろうか。自己管理など俺がいっても相手にされないだろうが、少し心配だな。


「まあ、とりあえず座れよ」


「はい」

 

 夜更けに出向いてくれたのだ、無下に追い返しはしない。

 部屋には燭台の為のテーブルこそあるが、椅子などはまだ用意されていなかった。

 必然、腰を下ろすのは床かベッドかに限定される。

 クシェルは考えることもせず、当然という具合に俺の右隣に腰掛けるとベッドが嬌声に似た音で鳴いた。


 クシェルが身に付けてきた衣服は、ごくごく薄い布だけであった。

 下着姿とまではいかなくとも、とても出歩くような身なりではない。直視するのは憚られ、すぐに視線を逃がす。


「……その服装、寒くはないのか」


「はい、湯あみをしたばかりなので。このお城、領主様の意向らしく温かいお風呂が一日中用意されているんですよ。侍女の方に教えてもらって、いつでも使っていいそうです」


 言われてみれば血色がよい。

 血管が青く透けて見える白い肌が、今はほのかに赤く色めいていた。

 若干の水気を含んだ髪が、妙な艶を放っている。気取られないようそれとなく視線を逃がした。


 正直な話、こう大胆な恰好を兄妹といえ人前に晒すとは思いもよらなかった。

 図らずも蠟燭の灯りに透ける曲線が彼女の実りを伝えてくる。すでに自分が見知った輪郭から乖離した、薄衣一枚を隔たりに感じる艶めいた肉感。

 少なからず彼女にそうした気配を覚えてしまっている自身に動揺した。


「約束を果たしてもらいに来ました」彼女はそう唐突に切り出した。


 俺はそんなものした覚えがないと疑問符を浮かべたが、クシェルは肩を寄せて距離を殺し、こちらの右手の小指に自らの小指を重ねる。


「ご褒美です、宴ではちゃんと兄さんの言うことを聞きましたから」


 そういえばそんなことを言っていたような気がしなくもない。

 一先ず「何が欲しい」のか尋ねれば、彼女は間髪入れずに「二人きりの時間です」と答える。


「えーと、それは今みたいな状態ってことか?」


「はい、それで……えっと、今夜」


「今夜?」


「その、ですから。、過ごしたいのです」


 どういう意味、とは聞けなかった。

 他意があるなんて考えようがない、そんなことを一瞬でも過ぎった自分を恥じた。


 申し出たクシェルは真っ直ぐにこちらを見つめてきたが、視線が交わると敢えて逸らす。

 恥じらっているのか、揺さぶっているつもりか。

 赤みを増す頬が企みの無い感情を訴えていた。


「流石に、アリアも心配するだろうから」と、そう答えるつもりだった。言葉に出掛かった所、遮るようにクシェルが「いけませんか」と瞳を揺らす。


 卑怯だな、と思う。

 彼女はいつもそういう顔をするから。

 望むのに、自分からは踏み込まない。拒絶を恐れるのに俺が拒まないことだって理解してるくせして。でも、だから。


「……別に構わないよ」


 好きにさせてやろうと、両手を挙げて無抵抗を主張する。

 クシェルは何も言わず俺の背面に回ると、擦り上げる風に抱擁した。

 相変わらず彼女の肌は燃えるように熱い。

 重ねる度に、熱は上がり続けている。

 何かしこりを感じながら、膨張する曖昧な不安を彼女の肉感が揉み消した。

 どちらが意識したわけでもないが、彼女分の重みに身体が倒される。二人が横になるのに十分な余剰があるのに……押し合う訳でもなくベッドの片隅で蔦の如く絡まる雌雄。


 言葉など発さなかった。

 汗ばんだ肌同士が摩擦を失い、互いの身体を滑るように細い手足が這う。

 息遣いと衣擦れ、体勢を変えると軋むベッドの音が、繊細に大気を渡る。部屋の中が芳香に満たされた。どちらから漂うものか、もしくは、交わって生まれた物なのか……。


 やがてクシェルの意識は深い眠りに落ちていた。

 寝苦しいのか、穏やかな表情に反して呼吸と鼓動は急いている。


 ————……瞳を閉じれば不意に訪れる、耳を刺激する不可解な感触。


 鼓膜を揺らした彼女の甘い吐息が。

 恥じらうかに己の口許を塞ぐクシェルの挙動が。

 かつて覚えた、あの感触と熱が、それが彼女の唇だと語っていた。


「……何やってんだよ、本当に」


 声にならぬ程、小さく絞られた台詞。

 それはどちらに放ったものだったのか。

 もう、自分では判断できないでいた。恐れでは無く、己の中に巣食う何かがクシェルを遠ざけようとする。


 じゃあ何で断らなかった。

 酷く不健全な寄り添いだって解っているのに。

 どうして、まだ、今日だって振り解けずにいる。



 このままではいけない。

 このままじゃいつか。


 いつか。







 ——◇■※■第33話‐教会にて‐■※■◇——





 翌朝、領主バルガスとの朝食に招かれた。

 宴で飲んだ酒が残っているようでやけに気怠く、何の所為という事もないが寝不足気味だ。

 どんな体調でもおおよそ狙った時間や、人の気配に目覚める事が出来るのは日頃の鍛練の賜物か。

 バルガスから迎えに使わされた侍女が扉を叩く直前には意識は覚醒していた。


「どこかに水場は無いかな」


 侍女に訊ねると、部屋を出て廊下を進んですぐの所にある中庭へと案内される。

 中庭の井戸で眠気を取ろうと何度も顔を洗う。

 眠気と合わせて冷えた水が火照った身体から熱を攫い、色々なものが注ぎ落されていく。頭の片隅にこびりついた雑念を拭う為、結局は頭から水を被った。

 そよぐ風が肌を冷やす。

 それと同時に浮き上がる微熱、耳に残る感触が際立った。


 首を振ってしつこい余韻を振り払う。

 控えていた侍女は俺の挙動に勘違いしたのか、慌てて大きめの布を寄越した。「申し訳ございません」と頭を下げた侍女に礼を述べれば、彼女はまた大層なお辞儀を返してきた。その刹那、胸元より光が漏れる。

 貴金属、装飾品の類か。

 視線に勘付いた侍女はそれとなく胸元を隠して、申し訳なさそうに一歩下がった。

 彼女は中々視線を逸らそうとはせず、意図せず見つめ合う形になる。

 恥じらいと若干の警戒の表情だが、侍女をいう立場故か逃げようとはしない。

 もっとも、何かする気もないけれど……。


「朝から何をしてるんですか、ヴォルフさん」死角から割って入ったのは不審がったアリアだ。「そういう類の人物ではないと思っていたのですが……よもやけだものの類でしたか」


 侮蔑を含んだ彼女の瞳がうっすらと細まっていた。何故か胸元を隠すように警戒の姿勢ポーズを取る。出来れば冗談であって欲しいが、貞操を守ろうという気迫めいたものを感じた。


「誤解だろ、どう見たって」


「そうですか。まあ誰に手を出そうが合意の下でなら構いませんよ。閣下からの許しも出ていることですから」


「だから……あぁ。まあ、もういいや」


 途端に面倒になってきたので執拗な弁解は控えた。

 そりゃあ確かにバルガスからは好きにしていいと言われたけどよ……誰彼構わない訳ではない。相手は勿論選ぶし行きずりの相手として、というのは気乗りしないのだ。風呂場くらいは行ったりもしたがアレはあくまでも客の立場だった。


「————二人共、仲がいいですね」


 中庭に出る通路の陰にクシェルが立っていた。

 彼女が纏う薄紫に染まった婦人服ドレスは気品と優雅さを醸す。えらく上等な身なりだが、クウェンにはあのような色彩の着色料は滅多に流通が無い。アミュガットから貸し出されたのだろう。


「クシェ……」彼女の姿を確認した刹那、捉えようの無い感覚が喉元で言葉を詰まらせた。名前を中断した俺に彼女がきょとんとする。


「兄さん、何をしているのですか。領主様が待っていますよ」


「あ、ああ。そうだな行くよ。今向かおうとしてたんだ、なあアリア?」


「ええ。クシェルさん、わざわざ探しに来てくれたんですね」


「はい。兄さんはともかく、アリアさんも全然来ないんですから。もしかして、逢瀬のお邪魔でしたか?」


「ふふ、まさか違いますよ。少しからかっていただけです。ヴォルフさんは私の好みではありません。何せ、けだものなので」


 ちらり、とアリアの目線が移る。これ以上余計な事を口走らないよう、クシェルに見えないように手振りジェスチャーで制した。


「けだもの……? 兄さんは紳士ですし、私は魅力的だと思うんですけど」事情を知らぬクシェルはそんな呟きと共に首を傾げている。


 アリアはクシェルの返答に微笑み、距離を取って待機していた侍女も可笑しそうに口許を緩めていた。


「さぁ、こんな所で油を売っていないで早く向かいましょう」


 場を切り替える為に手を叩いた彼女クシェルが先導する。

 てっきり腕を引かれるかと思ったが、彼女は昨晩の距離感がまるで嘘みたいに一歩先を進んでいく。

 普段なら隣か後ろを付いていることが多い彼女の背中を見るのは、これだけ傍に居るにも拘わらず久し振りの事だった。


『今夜を一緒に、過ごしたいのです』


 昨晩の台詞が反芻する。

 朝起きた時、クシェルの姿は見えなかった。

 そのために最初は昨晩の出来事が寝ぼけていたのか、夢か何かかとも疑ったが、部屋に色濃く残る彼女の匂いが、その確かさを伝えていた。



 ◇



「やっと来たか。ヴォルフ、待っておったぞ!」


 待ちかねたバルガスはすでに食事を始めていた。

 宴を催した部屋にはもう、昨晩の熱は欠片も残っていない。

 彼は見た目どおりに豪快な食べっぷり……ということも無く、領主らしさに準じた礼儀作法を披露していた。

 風貌と気品ある振る舞いに相違ギャップがある。

 図体の割に少食なのか、彼の朝食は——あくまでも彼の体格と比較すれば——小振りな皿に盛られていた。


「どうだ、よく眠れたか」


「はい、とても良い寝床でした。逆に少々落ち着きませんでしたが」


「泥や飼料の上が馴染むか。ふはは、それでこそ戦士よな。さあ食事を摂れ、話をしよう」


 朝食には魚のスープとパン、あとは少々の果物や木の実が用意されている。

 湖で獲れる魚は皮にえぐみと臭みがあるが、酒と煮込むことでさっぱりと仕上がっていた。身自体は脂が少なく、やや乾燥した舌触りのある柔らかい触感だ。逆に木の実は脂っぽい。パンは固いが香ばしく、噛んでいると甘味が滲む。果物は言わずもがな、瑞々しくよく熟れていた。


 話と言うからには何か重要な内容かと思いきや、卓上では世間話の延長のような会話ばかりが飛び交った。

 時流や治世についてや休日の過ごし方など、特に思考を巡らせる必要のない雑談。バルガスは文字通り話を楽しみたいようだった。


「しかし、兄妹だと聞いたがあまり似ておらんな」


 会話の最中、バルガスがそんなことを呟いた。

 彼には話していないが血筋を考えればもっともな感想だ。元々クシェルは母似、俺は父に寄っているから余計だろうか。

 とはいえバルガスは外見よりも振る舞いや性向の話をしたつもりだったようで、「妹の方はまるで貴族を相手にしているようだぞ」と付け加える。

 領主様ともなれば他人を見る目が養われるのか、見事な慧眼だった。


「おお、そうだヴォルフ。一つ頼まれ事をしてもいいか」


 談笑もほどほどにバルガスが本題に切り込む。

 ごくごく自然な会話の運びだった。


「なんなりと閣下」


「うむ。実は教会へ書状と献金を運ばねばならんのだが、その使いが諸事情でおらんのよ。任せてもよいか」


「俺に、ですか?」


「ああ、お前に頼みたい。仔細はもうアリア殿にも話してあるからな」


 領主からの書状……当然余所者に依頼するものではない。

 それも例の教会宛てときた。

 名を挙げられたアリアは何の話か理解に至っていないので怪訝な気配を出したが、何かに勘付いたかすぐに「はい、昨晩に伺っています」と応答する。


「案内人と、まあ要らぬとは思うが護衛を一人付けよう。お前ほどではないが指折りの戦士だ、何かと役に立つであろう。暇があれば、美しい都市だぞ、このアミュガットは。

 それでは、また夕餉にな————」


 食事を終えたら彼は政務があると早々に自室へ戻った。

 片付けは侍女に任せ、俺たちも各々使者としての役割に移行する。

 アリアは別個で調べものがあるらしく、信頼できる数人の護衛を付けて領主の館に残るという。

 文字を扱える人間が必要とのことで、クシェルも同行させることに決めた。読み書きの出来る人材は何処にいっても貴重だ。

 クシェルとは別行動となるが、正直その方が都合がいい。

 今は何となく彼女と少しの距離を置きたかった。


「じゃあ皆、また後でな。アリア、宜しく頼むよ」


 解散する前にアリアの肩を叩き、その刹那首元にバルガスに渡された密書を挟み込んだ。彼女は不自然な接触に「な、何ですかっ」と珍しく動転し、しかし異物感を察知した瞬間に小さく頷く。立場上、同じような経験を積んでいるのだろう。


「兄さんもお気をつけて」


「ああ」


 

 ————何処からか見られている。


 敵意の視線、多分クシェルも勘付いたな。

 排除が目的なら昨晩幾らでも機会があった、身の危険は一先ずないか。街に出るよりは兵の多い城内のほうが安全だ。それに直感だが、バルガスは強い。彼の居る場所で騒ぎは起こしにくいはず。


 何が目的か、何処のどいつかも知らないが……その内に牽き釣り出してやるさ。



 ◇


 

「――で、抜擢されたのがお前ってわけね」


 装備を整えて城の外に出れば、先んじて護衛の男が待っていた。

 小柄で軽装、背は大きな弓を着けた男……俺たちを門の橋で歓迎したあの弓使い。

 てっきり案内人と護衛がそれぞれ一人と考えていたが兼任とは。色々と人材不足なのは本当らしい。


 指折りかは知らないがそれなりに腕の立つ男だ。

 無論、まともな斬り合いでなら勝負にもならない。しかしあの弓の技量は知る得る限り、比肩する者が居ない程に凄まじい。

 バルガスが選んだのであれば信頼できる男なのだろう。最も互いの好感度は度外視するという但し書きがつくのだが。


「相変わらず目付きが悪いな」


 弓使いは開口一番にそう言ってきた。

 心の中に止めておいてくれればいいのに喧嘩腰、ついでにお互い様だと言ってやりたい。


「初対面があれじゃあね。身構えもする」


「不服を申し立てるのなら領主に申し立てろ。こちらとて貴様のような野蛮な男とは組みたくない。それと、『お前』と呼ぶのは止めろ、ミゲルドという名前がある」


「ミゲルドね、じゃあ俺の事も『貴様』じゃなく名で呼んでくれ。少なくとも今は味方なんだから、仲良くしよう」


「……いいだろう、ヴォルフ。これが名だったな」


「意外だな、すんなり聞き入れるのか」


「名は先祖が精霊より授かり、与えられるもの。粗末には扱えない」


 初耳だ。クシェルかバルガスがもしかしたらそんな話をしたかもしれないが、とりあえず聞いた覚えはない。それよりこの男もやはり精霊を信仰している方か。

 よくよく観察すると身なりもバルガスが身に付けている物と似ている気がする。


「へえ。それじゃあ、ミゲルド。よろしく頼むよ」


「ふん。馴れ合う気はないがな」


「あ、そう」


 ついでに握手を求めたがこっちは拒否された。

 別に形式上の挨拶など無くてもいいが、嫌われている感が否めない。

 ただ機嫌が悪い感じでもないので、もしかしたらただ愛想が悪いだけというか、元来が馴れ合いを好まない、こういう性格なのかもしれないな。


「何処へ向かう」


「色々街を見るように言われているんだけど、一先ずは教会かな。何でも金を預かってるんだ」


 よもや金とは思っていなかったのだろう、誰だってこんな麻袋に金貨や銀貨が入っているとは思うまい。盗人に狙われないように敢えて二重に、外側に汚れてほつれた布を被せてあった。当初は工夫などする気も無く受け取ったが、アリアの入れ知恵だ。


「献金か」


「そう、それ。あと何かの書状だな、司教か司祭に預ければいいらしい。とにかく結構な量だから重たくて、さっさと下ろしたい。案内してくれよ」


「いいだろう。先に歩け、指示してやる。とりあえず大通りは分かるな?そこへ出ろ」


「あいよ」


 指図に従って大通りへ出る。

 通りはクウェンに勝らずとも劣らぬ盛況だ。各地からの行商人と住民、行き交う人々には活気が満ち満ちている。

 領主の住む城は聖アミュガット城塞の中央に建てられ、食糧庫や宝物庫といった主要な建物も同様に中央に集中する。その為日中は人の動きは都市中央に向かう方が多い傾向となるが、教会は真逆に城門から見て最も遠い位置にあった。

 往来に逆行する俺をすれ違う人々が物珍しそうな顔で注目する。余所者だと思われているのかもしれない。


「突き当たりを右に、白い建物が見える。それが教会と修道院だ」


「え? なんだって?」


「……次を右だ!」


「ああ、右ね、はいはい」


 人が多く、伴って喧騒に指示が飲まれる。

 余所事を考えていたら聞き逃してしまうな。

 背後に付いたミゲルドは近すぎず遠すぎずと絶妙な距離を取っている。

 即ちこの距離が奴の間合いか。

 ミゲルドの気配は恐ろしいほど周囲に溶け込んでいた。

 警戒は強く、彼の冴えた意識の網は四方へ万遍なく張られていながらこの存在の希薄さ。

 まるで透明になったよう、人混みに紛れられたら注視していなければ存在に気付けないだろう。戦士というよりは暗殺者の風情。

 軽装で戦場を駆け回るという様子ではないし、本職はそっちかもな。


「なあ、良かったら精霊について教えてくれよ、勉強不足でさ」街並みや人々の営みを観察するのも飽いたので、親睦も兼ねて適当な話題を持ちかける。

 返事は帰ってこない。無視をされたのか、もう一度同じ言葉を繰り返そうとするとミゲルドがやっと口を開いた。


「精霊様は自然そのものだ。風や土、水、太陽と月、そこから生まれる万物も。俺たちの糧となるものを恵んでくれる。お前……ヴォルフが今朝食べた物も、精霊様の恵みの一つ」


「恵みか、そりゃあいいな。確かに昨夜の酒も美味かった。ちょっと都合が良すぎる存在な気もするけど」


「ああ、だが恵みもあれば奪うこともある。それを俺たちの間では『里還り』と呼ぶ。精霊様は気まぐれだ、だから精霊様が恵みをもたらすと同時に俺たちも精霊様にお返しする」


「何を、誰が返すんだ」


「死した先祖たち。彼らの肉体は朽ち、自然に還る。魂は精霊様に仕える。これも『里還り』の一つ、だから俺たちはこの土地を離れない。精霊様と先祖が宿る場所だから」


「恵みの分だけ返す、それが戒律ってやつなのか?」


「少し違う。誰にも決められた不文律ルールなど無い。あるのは運命さだめと敬意だ。戒律など……所詮は人の定めたことなのだろう? 

 精霊様は求めず、何も罰しない。在るがままに在ることが、自然だ。しかし、司教や司祭が語る神とやらは違うようだ」


 精霊の話を持ち掛けたからか、ミゲルドの纏う雰囲気は若干和らいでいた。

 気を許したまではいかないだろうが、ともかく分かり易い男でよかったと安堵する。


「で、その神ってのは、つまるところ何なんだ?」


「それはこの先で訊けばいい。————着いたぞ、ここが教会。横に並んでるのが修道院だ」


「……おいおいおい、なんだよこれ」


 バルガスがいる城に次いで巨大だが、刮目すべきはその外観とも構造にあった。

 建造物に対する知識など持っていない。持っていないが、これが途轍もない労力の果てに建ったことは想像に容易かった。

 戦働きを生業とする以上、投石機や破城槌といった攻城兵器、野戦での砦を準備したり見掛ける機会は少なからずある。

 名立たる設計士と職人が技術の粋を成して作られるそれらは、何十年もの知恵と実戦による経験、集積の上に在りながら、実現するためには多大な時間と大工、兵士を駆り出さねばならなかった。


 この目の前にある物はなんだ。

 この純白の……まるでこれこそが城ではないか。

 どれだけの人間と金を集めればここまでの物を造れるのか。

 加工した石材を石膏で塗り、採光に用いられた大量の鮮やかな硝子。遠目にもその純度が解る。教会の天辺には掲げる紋章が銀によって造形され飾られていた。建物を囲う植栽も見事なもの。芸術との感性には遠い人間だと自覚していたが、それでも景観との調和が素晴らしかった。修道院こそ木材で建てられているが、まだ増築の途中のようで、何十人もの職人がうろついている。

 修道院も阿保ほどでかいな。

 この敷地の広さ、概算だが聖アミュガット城塞内のおよそ二割に相当するのではないか。


「ヴォルフ、司祭がいたぞ」


「おお、丁度いいや」


 一先ずは見掛けた司祭に話し掛けることにした。

 司祭は俺たちの身なりにあからさまに顔を歪めたが、金を持ってきたことを伝えるや否や柔和になる。


「これはこれは有難い。神のご加護がありますよ。私が責任を持って預からせていただきますので」


 しかもこいつ、麻袋の中身を見た途端に顔色変えやがった。

 何だが酒の匂いもするし、とんだ生臭坊主じゃないか。司祭といえばそれなりの地位だと思っていたのに……こんなんでいいのか聖職者は。


「しかし珍しいですね、いつもは別の方が遣わされるのですが」


「人手不足でね。俺は信徒という訳ではないけれど、問題はないだろ?」


「ええ、大丈夫です。書状も確かに預かりました。キャスタリン司教へとお渡しすればよいですね」


「ああ、そうしてくれ」


「そうだ、貴方も祈っていきなさい。救われますよ。ああ、だがそこの弓を持った者はいけないな」


「ミゲルドが?何故」


「彼は精霊の信仰者……つまりは異教徒ですから。神の教えを知らぬ貴方と違い、神を冒涜している。

 お前、よくよく弁えなさい。本来、蛮族がこの敷地に入ることすら許されぬというのだ。領主からの使いでなければ罰していたぞ」


 司祭は容赦なく侮辱を並べ立てた。

 最初の態度は俺ではなくミゲルドへのものだったのか。

 ミゲルドは慣れているのか、特に気にした様子はない。

 存外に冷静なの男だな、と評価を改める。


「ヴォルフ、すまないが俺は入れない。外で待っている」


「悪いな、すぐ戻るよ」


 書状も献金もバルガスより頼まれた大事な仕事だが、教会そのものにも用があった。神というのに個人的な興味もあるしな。


 異教徒か。史実の通りなら精霊の信仰こそが根付いていた土地なのに、今では完全にその地位を乗っ取られているわけだ。


「さて、お邪魔して……」


 双棟に見下ろされた教会の扉を押し開く。

 中に入ると足元に絨毯が敷かれていた。

 身廊には信徒の為の教会椅子が均等に並んでいる。

 等間隔に立つ列柱は複数の形状の柱が束ねられたかの複雑な見た目をしており、それぞれ上部がアーチ状に繋げられていた。

 天井は吹き抜けて高い。最奥部の壁には虹色の色彩を持つ丸型の窓、そして教会の紋章を掲げる妙齢の女性の像。


「……」


 何者かが祭壇の下で跪いていた。

 本能が警鐘を鳴らす。

 謎の人物は緩慢に、けれど捉えどころのない動きで立ち上がった。


「久し振り……って訳でもねぇか。巡り合わせにしちゃあ、些か悪戯が過ぎるってもんだなぁ」


 振り返ったその者は被っていた外套の頭巾フードを頭から外す。

 隠された人物……彼の相貌が暴かれる。

 祭壇から射し込む陽光は男の姿を暗ませたが、その眼光にはやはり覚えがあった。


「珍しい場所にいるもんだな、神に縋るたちでもなさそうだけど?」


 男の持つ黒漆の瞳と髪は、光に塗されて尚黒い。

 この姿形、気配、見紛うはずもなく……。




「そっちこそ、どうしてここに居やがる。なあ————……《血濡れ》のあんちゃん」






 ……待ち受けていたのは、《鷹》と呼ばれた男との再会であった。









 ◇※◇次回 第34話‐神不在の貧民区スラム‐◇※◇





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