第32話 宵に酔い、巡り、巡れ




 聖アミュガット城内にて、客人おれたちを持て成す宴が始まった。


 事前に入念な準備があったのだろう。

 領主バルガスが細かな指示を出す必要もなく、たった一度の手拍子で円滑に舞台が用意されていった。


 外と錯覚する程の輝きを放つ宴殿の中央には横長のテーブルが二つ並び、先程まで領主が座っていた場所には大理石のテーブルが置かれる。

 熟練の技術と経験、精緻を突き詰めた珠玉の品。

 暗褐色で金属的模様、それでいて結晶のような透明感。

 なだらかな表面は滑らかさと品のある光沢を併せ持ち、洗練された印象を抱かせた。


 使者の代表であるアリアは領主バルガスと同じテーブルに座るらしい。

 彼女は当然俺も同じ卓に付くと考えていたようだが丁重に断った。政治的な交流は得意でないし、つい余計な事まで話してしまいそうだ。

 こう、あのバルガスという領主は何か特有の親しみやすさがある。

 恐らくは彼が相当な武芸者であるという確信からだが……ここはクウェンとは違う。

 ウァルウィリスは俺の不敬など意に介さぬ懐を持つが、彼も同じとは限るまい。


「じゃあ俺は適当に部下たちと飲んでおくから、任せるよ」


「はい兄さん、委細承知いたしました」 


 アリアの下にクシェルを預けて部下たちが座るテーブルへ同席する。

 すでにテーブルを埋め尽くす量の酒と料理が並べられている。

 土地柄か野菜はほとんど用意されずに代わりに魚料理、次いで肉料理が多いようだ。

 肉もクウェンでは鹿や羊、兎や猪といったものが良く食されたが、ここでは野鳥が主らしい。


「隊長、もう喰っちまってもいいんですかね」馳走を前にした兵たちはすでに我慢の限界のようで、血走った目で涎を垂らしている。……獣かこいつらは。「もうちょっと待て」と制したが、もはや俺の方など見向きもせず料理に釘付けだ。


 ……確かにあの焼いた野鳥とか、脂がのってて旨そうだよな。

 こっそり食ってもバレやしないだろうか。


 幾許となく宴殿内は多くの客人で埋まる。

 集まったのは使者としてやってきた俺たち一団の他、城の衛兵やおよそこの領内で確かな身分と役割を確立したであろう人物たち。

 注意深く周囲を観察すれば、やたらと身なりのいい人物も散見された。

 あれらが教会とやらの人間たちか。

 珍しい衣装だが質のいい絹。金属の指輪と随分羽振りがよいらしい。

 そういえば、教会は儲かるとかクシェルが道中に言っていたっけ。


 ただ神に祈る場所に金が集まるという仕組みが実は未だよく理解出来ていなかったりする。

 そんな俺をクシェルは「兄さんはダメダメですね」と揶揄うのだ……。


「――さて、諸君!!此度は急な催しにあったに拘わらず、招待に応じてくれたこと感謝する!」


 集まった者らが統制なく入り乱れる中、領主バルガスの厳粛な声が響き渡った。

 騒々しい宴殿が一斉に静まる。

 視線が自身に集中したことを確認すると、彼は一度咳払いをした。


「今宵は書状にて伝えた通り、かの地クウェンよりの使節団を迎えるための宴である。我らがアミュガットとクウェンは先代の頃より絶えず争ってきたが、その因縁にも決着を着けねばならん。此度の彼らの遠征は、クウェン領主であるウァルウィリスよりの提案である!

 各々胸中に抱く思いもあろうが今宵は全てを忘れ、存分に親睦を深めて欲しい!

 我らが土地に宿りし精霊と、祖先よりの恵みに!」


「「————精霊と、祖先よりの恵みに!!」」


 挨拶の後、バルガスは掲げた杯を勢いよく仰ぐ。

 乾杯の音頭を皮切りに宴が始まった。

 皆が一斉に料理や酒に手を伸ばす中、やや不穏な面持ちを見せたのは教会の人間らであった。


 今の演説が気に食わなかったらしい。

 精霊と神とやらの間で信仰が割れていると聞かされていたから納得出来るが、あからさまな態度を取ったのは予想外だった。

 注目しているとその内の一人と視線が交わる……微弱だが、確固たる敵意が伝わった。

 集まった教会の人間の中でもより上等な絹を纏う男だ、おそらく司教とやらだろう。


 楽器隊が奏でる独特な旋律が響く。

 雨や風の音を表現しているのか、自然音を多分に含む民族的な雰囲気があった。

 柵に区切られた一角では歴史を基にした演劇が披露されている。

 アミュガットには元々書物を残す文化は無いらしく、半分は捏造であると近くに座る誰かが溢していた。

 視線を感じると、クシェルが遠巻きにこっそりと合図を送っていた。

 音もなく口元が「美味しいですね」と伝えてくる。笑って頷くと、彼女も同じようにはにかんだ。

 隣に座るアリアはバルガスの相手をしながらもそれに気付いていたようで、横顔に微かな呆れが読み取れた。


 持て成しの料理に舌鼓を打ちつつ、兵士たちとの談笑を暫く楽しむ。 

 次第に盛り上がりが最高潮に達した頃、機を見計らったバルガスがやってきた。

 クシェルとアリアはまだ元の席に付いており何やら別の人物を相手している。風貌は門の前で俺たちを射た男に似ていた。

 ただの衛兵とは思えないが、何かしらの地位にある者か。


「うむ、楽しんでおるようだな《血濡れの》!」


 バルガスの登場によって兵たちに緊張が走った。

 すぐさま立ち上がり、頭を下げる。


「堪能しています、閣下」


「くはは、その閣下などという呼び方は止せ。敬称など不要だ! ほれ、頭も上げよ!」


「……でしたらその呼び名も止してくださいよ」


「何だ、嫌か。兵個人に与えられる呼び名など謂わば誉れであろうに」


「栄光を求めて剣を振るうわけではありませんから」


「……ふむ」


 突然静まったバルガスから物色、あるいは品を定める視線で遠慮もなしに全身を観察される。

 頭から胸、右腕、右足、左足と一巡すると唸り声のような鼻息を溢し、満足げに腕を組む。


「……酔っていてもこの程度では隙は見せぬか。

 その歳にして洗練という言葉が良く似合う。その境地、かなりの修練を積んだであろう」


「はい。ですがそのお言葉は貴方にこそ当てはまるのでは」


「ほほう、こやつめ、煽てるでないか!」


 突っ込みの平手が脳天に落ちる。

 酒が入っているからなのかめちゃくちゃ痛かった。


「少し話そう、向こうでな。良いか?」


「もちろん構いませんよ」


 領主の誘いを断るほど非常識ではない。

 兵たちに一言残して共に隅へと移動する。

 気になったのはその際のバルガスの不自然な体運びであった。


「失礼かと思いますがその足、義足でしょうか?」


「然り。ただ一度の挙動で見抜かれるか、上手く隠していたつもりだったがな」


 裾を捲り現れた左大腿部はばっさりと切り落とされており、彼の巨躯は無骨な木製の義足に支えられていた。

 戦場で得た傷をその場で治療したのだろう、傷口の付近は焼け焦げている。


「ちと間抜けな戦いをしてな、傷を負ってしまった。かつては我も戦場に出たものだが、この有様ではまともに剣も振るえん」


 彼は「どのみち歳だがな」と付け加えると高笑いする。

 それなりに酔っているのか、最初に比べて表情が砕けていた。というより、あの捕食者の如き瞳の鋭さがない。

 そう考えると、用意された飲み物はかなり酒精の強いものばかりだった。

 これも土地によるものなのか。

 万が一に備えてほどほどにしか嗜んでいないのに既に若干の酩酊感があった。


「クウェンはよい街となったようだ」


「何故そう感じるのですか」


「ほれ、あれよ」バルガスの言葉に首を傾げたが、彼はすぐさまアリアへと指を差す「あのような若い女が遣わされるなど滅多にない話。それに二人共中々に肝が据わって居る。品があり、賢い。それが全てよ、その上美女揃いだ、華やかしく、実に羨ましい」


「ではこちらに越してきますか、歓迎しますよ」


「ぬはははは、馬鹿を抜かせ! そのような愚行許されるものか! 第一、この土地を手放すわけがなかろうて。……我らが祖先の、精霊と魂が宿る地であるぞ」


 刹那、バルガスが遠方を眺めて目を細める。

 眼光は揺れて、僅かに深くなった顔の皴が郷愁を匂わせる。

 その巨躯からは想像出来ぬ繊細な変化だった。不意に見せたその機微に、途方もない敬意が込められている気がする。


「この地を愛しているのですね」


「ああ、だが他所の者に理解はされぬのだろうな。お陰で何かと衝突も多い。多少は聞き及んでおろう?」


「ええ、まあ障り程度ですが」


「使者のくせに仔細は知らんか。だが、それでいい。お前は剣であれ。ただの鉄の塊、そうして在れば何物にも左右されまい。真の戦士とはそういうものだ」


「貴方は精霊を信じているのでは?」


「信じているのではない、実在するのだ。だからこそ揺るがない。どのような試練を前にしても、な」


 バルガスより密かに示された目線の先には教会の面々。

 領主の館で領主の持て成しを受け、領主の許しで信仰を広め、領主の食事をたらふく平らげている者達の姿。


「随分と肥えたものだ。民の拠り所になればと……弱さを見せたのが過ちであった。今では奴らの集めた銀は領内全ての富にも勝る、その力は領内にも収まらん。

 この地はな、お前たちの領地ほど豊かではない。しかし多くの民が飢えても奴らは富を分け与えない。豊穣も飢餓も、全ては思し召しと。あれだけ銀を持っていても、苦しむ民を一人も救わない。奴らの神は、生きるものに優しくないのだ。

 それが導きだと、見たことも無い神の言葉を、金銀を身に付け肥えた男が語る。死に掛けの女子供に、『貴方は救われる』のだと、余所者がそう宣う」


 矢継ぎ早に話すバルガスから、先ほど司教らしき男から感じ取ったものとは比肩するべくもない黒い感情が渦巻いていた。


「受け入れ難いですか」


「受け入れはする。何を信じるも人の勝手だ、だが理解は出来ん。歩み寄れればとも思っていたが甘かったな、全てがどちらかに染まるまで決着は無いだろう。だが、そのための犠牲は許容できん」


『一つの土地にそうした存在、宗教は二つ栄えぬが必定だ』

 今回の出立を決断した際のウァルウィリスの台詞を思い出し、ここまでの確執があるのかと絶句する。

 同時に、やはり自分には全く関係の無い世界だとも実感した。


「分かりやすい男だな。信仰に興味は無いか」


「今在るものを信じます。見て、触れられる存在を」


 それとなくクシェルを見た。

 彼女はすぐに視線に気付いて、話し相手に気付かれない程度に手を振った。


 神や精霊はよく解らない。

 しかし彼女は解る、彼女がもしも信仰の対象であったのなら、それも信じられたかもしれない。何せ、紛い物ではない本物の《奇跡》を起こすのだから。


「それとどちらかと言えば、閣下自身に興味がありますね」


 重たい空気をどうにか軽減しようとの冗談であった。

 バルガスは面を喰らったかに目を丸く見開き、逡巡の様子も無く「ふむ、試そうか」と受け応える。和らいでいたはずの瞳に鋭さが戻る。


「本気にしないでください、冗談ですから」


「何だ、腕の傷が痛むか。それしきでこの老体を怖れる程に矮小な男でも無かろう。かの腕前を遺憾なく発揮してみせい、それとも訓練用の棒切れでは不服か」


「そうではなくて」


 乗り気なバルガスは衛兵に木剣を用意させようとしていた。

 今一度彼の肉体を観察する。屈強だが、隙も多いようだ。義足では満足な踏み込みは出来まいが、父は隻腕でも類まれなる戦士であった。俊敏さを土俵とすれば勝ち筋は十分にあるか。


 ……じゃなくて、剣など交えて何かあったらクシェルに叱られてしまうぞ。

 中々首を縦に振らない俺に、バルガスは何を思いついたのか「そうだ」と手を叩き言い放つ。


「我に勝てば、をやってもいい。」


 領主の差したもの、それは彼自身が先程まで座していた椅子であった。

 領主が自ら、自らの座る場所を譲ろうという。

 それが意味するのは……。


「閣下、飲み過ぎているのでは」


 ほんの戯れのつもりか。本気では無いと思うが、これ以上この会話を続けるべきではないと判断した。

 周囲に下手な勘繰りをされても困る。

 戦闘の意志が無いと伝わったのか、拍子抜けした彼は肩を落とした。


「ああ、少々酔っているようだ、今宵は大人しく席に戻ろう。アリア殿とまだ話さねばならんしな。それに————お前と剣を交えるのは、少し怖い」


「……」


「くく、今度は理由わけを聞かぬのだな。だが、それが答えだろう。戯れが過ぎた、許せよ」


 バルガスは握手を求めてくる。

 巨躯に見合う熊みたいな手だ。応じるとその掌はやはり百戦錬磨と評するに相応しい逞しさ、そしてざらついた感触があった。


「……こちらも、無礼を働きました」


「ではまたなヴォルフ。宴を楽しめ。望むなら女の一人や二人、好きにすればよいぞ」


「そうします」


 話を終えたバルガスがアリアの下に戻る。

 なるべく平静を装い、俺も兵たちの待つ席へと戻った。

 兵たちはすっかり酔っぱらっており、品の無い会話が飛び交っている。浴びるように酒を仰ぐ彼らに倣って、今一度酒精を取り込んだ。どうにも、酔いが醒めてしまったな。


「全てがどちらかに染まるまで、か」


 あの敵意、あの台詞。すでに事態は極まっているらしい。

 握手を交わした刹那、バルガスの意思が読み取れた。もしかしたら俺は、とんでもない場所にクシェルを連れてきてしまったのではないか。


 繋いだ掌に残る感触————手中には小さな紙切れが握らされていた。

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