第25話 破滅の旅路を征く者よ

 ずぶり、と肉を穿つ鈍い感触。


 肋骨の隙間から入った切っ先が奴の背中から這い出した。

 疑いようもない死の感触が決着を告げていた。

 奴の手から剣が滑り落ちる。刺した胸と口から大量の血がどくどく漏れ出してくる。

 生気は一斉に肉体を離れ、瞬く間に肌は蒼白していった。

 終焉を待つだけの男は死に際の言葉を残そうと力を振り絞る。


「くく……終わり、だと思うな。これからだ……地獄を見るぞ」


 ヴァルリスが何を言わんとしているかは改めて問うまでも無かった。

 それに、最早こちらからの声など届くまい。


「お前……あの娘と共にある……り、安寧は、無い。行き着く先は……破滅だけだ」


 この先もおそらく、変わらず追っ手が放たれる。

 尖兵はヴァルリスだったが、今後この男以上の強者が現れる可能性も。

 それは明日かもしれないし、また時を置いてやってくるのかもしれない。襲撃はクシェルを取り返すまで終わらないだろう。

 戦いを危惧して身を隠した父も、結局逃げ切ることは出来なかった。

 その過酷さを知らしめるよう、死に体の男はなけなしの生気を代償に言葉を紡ぐ。


「知るかよ、そんなこと」


 最後の力を振り絞り、その首を切り落とす。

 ヴァルリスから魂が離れ、肉体は完全に崩れ落ちた。


「勝っ……た……」


 憎き仇敵を下し、役目を終えた肉体は一気にその機能を閉ざし始める。

 襲い来る激痛は瞬く間に意識を刈り取りに来た。

 ぐらりと倒れる俺の身体を何者かが支える。

 薄目に映る風景に銀閃が舞い込むと、膨大な量の光の粒があっという間に世界を塗り替える。


 光に包まれているとひどく安心できた。

 ぬるま湯に浸かり、その上で素肌を抱きしめられている、そういう感触と温もりが細部に溶け込んでいった。

 全身が彼女の想いで満たされていく、そんな気分だった。


「クシェル」


 光が収まると、いつものように痛みは無くなっていた。

 明瞭となった意識は仇敵を討った歓喜でも、復讐を果たした達成感でもなく、ただ安らぎのみを欲している。

 彼女に命を救われるのはこれで三度目か。

 何故かすすり泣く彼女の涙を指で拭い、頬に手を添えた。温かい人肌……その上から彼女の手が重なる。


「兄さん、どうして来たの」


「どうしてって、決まっているだろ」


「だって私、私のせいで」そう溢して俯くクシェルへ、何を馬鹿な問いをと笑うことはしなかった。俺がアルガスから開示されたように、彼女もまた己の全てを知ったのだろうから。


「私、兄さんの人生を奪ってる。兄さんから全部貰ったのに、私は、私が何もかも……」


 奪っていると、クシェルは言った。

 確かに俺の歩んだ十八年間はクシェルの為の人生だった。

 それは否定しようも無い事実で、俺自身もそう在るように生きてきた。剣を振るい、彼女を守ってきた。それが恐らく父の望む形だった。


「もういいよ。全部、分かったから」


 だけど、それでよかった。父に望まれたからではなく、俺は俺の意思で彼女を守ろうと決意したんだ。クシェルを初めてこの手に抱いた時にそう思えたんだ。


「お前が大事だから助けに来たんだ。……それじゃあ、駄目か」


「……そんなの狡い。狡いですよ。だって兄さん、私の言葉なんて全然聞いてくれない。私にはもう兄さんだけなのに……。兄さんしか居ないのに……なのに兄さんはあの人ばっかり。いつも、私は置いてきぼりで」


 くしゃくしゃな顔で泣くクシェルは俺の胸へと埋めた。

 彼女は腕を回してきたが深く抱きつくことはせず、僅かな距離は埋まらない。


「ごめんな。俺が悪い、悪かった」


 憶病な抱擁をするクシェルを思い切って抱き締めた。

 いつか応えられなかった想いに、ほんの少しでも寄り添えるように。


「怖かったの」


「あぁ」


「寂しかった、悲しかった、苦しかったのっ」


「うん、そうだよな」


「私を一人にしないでください。ずっと、一緒に居るって約束して……」



 ――――ああ。


 もう、全部分かっているから。

 だからそんな悲しい顔で泣かないでくれよ。


 俺も同じなんだ。

 俺だって、クシェルが居なくちゃ生きていけないんだよ。


 クシェルを失うのが怖くて、一人で生きるのはきっと寂しくて、いつかこの手から滑り落ちてしまうかもしれないことが、堪らなく悲しい。


 言いたいことや言わねばならぬことは沢山あった。けれど考えてきた言葉は何も出てこない。

 言葉を紡げば紡いだだけ、どれも噓っぽくなるようで。


 それでも回された腕に応えれば、彼女の何もかもが解った気がしたんだ。


 泣き続けるクシェルを俺はただ抱き締めた。


 服に浸みた血が乾くまで、二つの影は離れることが無かった。



 ◇




「どうするかなぁ……」


 行く当てもない俺たちは未だ森に留まっていた。

 あんな風に飛び出した手前、のこのこと戻るのも憚られる……かと言って頭を下げるのは意地が邪魔をした。というか街に入ろうものなら謝る前に処罰されそうだ。

 この先どうするかと悩んでいると遠くから馬の蹄音が聞こえてくる。

 まさか敵が残っていたのかと動揺したが、蹄音に遅れて届く声がその憂いを一蹴した。


「よお、ヴォルフ。まだ生きてるみたいだな」


 現れたのはアルガスだった。

 どうしたことか俺が森に入った時に置いてきたはずの馬も共に連れている。


「あんた……何でここに」


「領主様からの遣いだ、『帰って来い』だとよ」


 ウァルウィリスから折れることは間違っても無いと思っていたが、俺を助けるべきと進言したのはよりにもよってイリスだと言う。しかし確かに彼女が掛け合ったなら納得だ。


「あの領主も娘には弱い」アルガスは大層愉快そうに笑い、その後で「まあ、丁度いい言い訳にはなったろうな」と付け加える。


 察するに、一方的に離反した俺をウァルウィリスは許す気だったらしい。

 彼の懐の深さを前に、自分の未熟さと浅慮さを恥じるばかりだ。イリスにも大きな借りを作ってしまった。いつか清算せねばなるまい。

 何と無しにクシェルの顔を窺ってみると、彼女は首を傾げて微笑んでいた。


「どうかしましたか?」


「いや……」てっきりクシェルは良い顔をしないと思ったのだが、まるで気にしていない様子。


「分かったらさっさと帰るぞ。あまり長居は出来ないんでな」


 アルガスに催促され馬に跨る。

 見よう見まねでクシェルは乗馬に挑戦したが、経験の無い彼女は中々苦戦していた。

 助けようと手を差し出せば、待っていたとばかりに彼女は手を掴む。


 背中を伝うのは彼女の鼓動と肌の熱。

 噛み締め、手綱を握る。




「じゃあ、行こうか。クシェル」


「はい、兄さん。――――――どこへでも」













 破滅の旅路を征く者よ    第一章 完



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