第24話 血戦


 クウェンの街を飛び出して一日が経過した。

 南西のアミュガット領――――正確にはその手前にある無主地だが、そこに向かう途中でクシェルを攫ったヴァルリスの痕跡は簡単に発見できた。


 捲れた土が乾き切っていない、昼夜構わず馬を走らせたお陰でかなりの距離を縮められているようだ。

 足跡の新しさから考えればあともう一日、早ければ半日でクシェルに手が届く。

 しかし同時に、何か違和感もあった。

 痕跡を隠さないことだが、急いでいる気配も無い。

 奴がクシェルを攫って街を出てから少なくとも半日の優位があったはずなのに……どう計算してもヴァルリスの歩みが遅すぎた。

 俺が追ってくることなど予想しているだろうに、これではまるで俺が追い付くのを待っているようではないか。

 未だ敵とも認識されていないのか、奴自身が決着を求めているのか。


 どっちでもいいことか、どうせやることは変わらない。


 追跡中は天候に恵まれたが、逆に日中は陽射しが強く体力の消耗が大きい。

 小休止がてら木陰で馬をしばし休ませ汗を拭きとってやる。

 少し経ったらまた出発して、距離を稼いだ。逆に夜間は気温も低く、馬の脚が持つ限りは延々と走った。

 休憩を取っている間ではずっと喧嘩別れになっていたクシェルのことを考えていた。

 どうして彼女はあんな表情をしたのだろうな。

 クシェルは常に俺の事を想って案じてくれていた。

 一度だって彼女が俺を否定したことは無かった。


 何もかも失った世界でただ一人、クシェルは絶対の味方だった。

 ずっと前からクシェルは答えをくれていたはずなのに、応じずにいたのは自分の方。

 

 二日目、無主地ではあちこちに戦の残骸が放置されていた。

 回収されず烏に食い荒らされた人や馬の死骸、武器の数々。遠目には地平線になぞって広大な森が広がっている。あの森を越えた先がアミュガット領だ。


 ヴァルリスのものと思わしき痕跡は森林地帯を迂回せず、更にその先へと続いていた。

 既に森を抜けたか待ち伏せているのか。

 休息を取るにも都合のいい地形だ。警戒を強めて足跡に続く。

 森に足を踏み入れた途端、明らかに空気が変わった。


 殺伐とした死の匂い、戦場の気配に酷似していた。目視できる距離には居ないが敵の存在をはっきりと感じられた。

 奥に進む前に馬から降り、適当な木に手綱を巻き付ける。

 ここからは徒歩が良さそうだ……慎重に歩を進めないと。


 次第に少し開けた場所を見つける。

 そこに残されていたのは野営の跡、一本の木の幹には何か細い物で摩擦した傷があった。ここにクシェルが縛られていたのか。焚き火にはまだ熱が残っている。

 剣を抜いた俺はすでに臨戦態勢に入っている。

 姿こそ見えていないが、ヴァルリスの輪郭を完全に捉えていた。



 ◇




「――――――……思っていたよりも早かったな」


 森の最奥部、ヴァルリスは一人逃げ隠れもせず待っていた。

 先の襲撃で手駒は使い果たしたか、どれだけ意識を研ぎ澄まそうと周囲に他の気配が無い。


「随分とあっさりした登場だな」


「追ってくるのは分かっていた。隠れることもあるまい」


 この男と対峙する時をどれほど待ち望んだことか。

 沸き立ち、毛が逆立つのを実感した。途方もない怒りと憎しみが対象を見つけ叫んでいる。

 激情を掻き立てる男の隣には不安ながらも毅然とした態度のクシェルが立っていた。


「兄さんっ!」


「よかった。クシェル、平気だったか」


 大方の予想はあったけれど、実際に彼女が無事であったことに安堵する。

 彼女が潤ませた瞳からは喜色だけでなく複雑な心境が読み取れる、何処か困惑している様子であった。気にはなったが、今は目の前の敵に集中せねば。


「彼女をどうする気だ」


「安心しろ、人質に取る様な小細工はしない」


「何?」


 解放されたクシェルはヴァルリスから離れると、戦いの邪魔にならぬように木陰に身を隠す。


「戦いの邪魔になっても困る」ヴァルリスが不敵に笑った。苦労して捉えた彼女を容易く手放すものだと感じたが、ここで俺を殺せば何の問題もないと言う訳か。


「しかし本当に助けに来るとは素晴らしい兄妹愛だ、偽物の家族とはいえ引き裂くのは心が痛む。それともラグナルとウェスタの仇討ちの為か。健気だが、どちらにせよ無意味だ」


 ヴァルリスからこちらの動揺を誘う、見え透いた挑発だった。


「御託はいいから、剣を抜けよ」


「闇雲に飛び込んではこないか、少しは成長したらしい」


「ほざけ、父と同じ最期を与えてやる」


 俺が一歩前に出ると、奴もまた一歩進む。


 じりじりと一歩ずつ同調した両者の距離が詰まっていく。


 前回同様にヴァルリスは簡単に近づいてくるが、付け入る隙は微塵も無かった。


 互いの剣界が重なった瞬間、火花が散った。



 ◆◆◇◆◆―――第24話 血戦―――◆◆◇◆◆



 金属音が木々を駆け抜ける。

 高速で振り抜かれた剣が激しく交わり、残像が刀身を追従する。


 ――――全神経を総動員して挑め。

 力まず一手一手を慎重に、襲い来る刃には丁寧な対処を心掛ける。

 突き詰めれば同じ人間同士、勝敗を分かつほどの決定的な能力差はない。

 ヴァルリスのような体格は無いが代わりに自分には速度がある。

 経験に劣れど、若さ故に反応速度は奴のそれを越えている、恐らく目の良さも勝っているか。


 肉体的な優劣を差し引いて能力は拮抗していると感じた。重要となるのは剣技……身に付けたあらゆる技術を結集させ、最適な手段を選択すること。

 戦いの最中というのに自然と笑みが漏れた。


 あれほど遠く感じた男の喉元に迫っている、三年間は無駄ではなかった。

 先に仕掛けたのはヴァルリスだ。

 足を狙っていた俺は意識を散らそうと捨ての袈裟斬りを放ったが、そこを読んできた。

 力強く踏み込んだ奴の右足が地面にめり込む。

 捻った腰から放たれる横薙ぎに暴風が吹き荒れた。さっきまでより、段違いに速い。死の風を巻き込んだ刀身が迫る。


「っっ」躱しきれず、脇腹を切られた。鎖帷子を着込んでいたが、何も障害などないように断ってきた。変わらぬ膂力に背筋が粟立つ。

 だが肉は抉られど臓器には届いていない。手傷を負った俺にクシェルが叫んだが、ただで切られるほど甘く育てられてはいなかった。己の剣先に相手の血を確認する。


「……腕を上げたな」


 振り切った剣を構え直したヴァルリスの顔面からも流血があった。

 奴の攻撃を回避するのは不可能と察し、相討ち覚悟で眉間の上辺りから左頬までを裂いたのだ。

 苦い表情のヴァルリスが溢れてくる血を拭った。瞼までぱっくりと切れている、これで左視界は封じた。


 間を置かず、今度はこちらから仕掛けた。

 繰り出すのは大きな動きではなく、コンパクトに纏めた連撃。

 左側面への攻撃は全て急所を狙ったが、これは謂わば撒き餌。無理に決着まで運ぶ気はなく、むしろ多くの手傷を負わせる必要があった。

 指一本動かせなくなるまで、徹底的に削り切ってやる。

 ヴァルリスは俺の勢いに押され守勢に転じているように思えた。さらに深く懐に迫るが、そこで悪寒が走る。


 ……攻め過ぎている、否、誘われている。

 直感で踏み止まると切られた脇腹に蹴りが掠る。傷口を押し開かれ、肉を抉られる痛みが襲った。呼吸が乱れたので一度攻勢を緩め、後退する。


「全く嫌な攻め方をする、若いのに狡猾だ。父親とは似ても似つかんな」


 全身に切傷を負ったヴァルリスは荒い息を吐き出すと忌々しく唸る。


「お互い様だろっ……」


 脇腹に貰った傷は思ったほど浅くはない、激痛に挫けそうになる。己を奮い立たせ闘志を漲らせる。そう何度も喰らっていられない。

 再び接近、脱力から突きを喉元に打った。ヴァルリスは頭を振って躱すが、逆手に持ち替えて今度は引き切る。

 虚を突かれたヴァルリスの首筋に赤い線が入った。

 狙いは良かったが今一歩命に届かない。尽かさず戻した腕で肘内を見舞ったが、これは剣の柄で防がれた。衝撃に骨が軋み、手先が痺れる。


 痺れの硬直で攻めが緩む。

 垂直に振り下ろした剣が地面を割った。

 切るというよりは叩くような豪快な一撃に土や石粒が飛散する。


 まともに受ければ刃毀れするな……。


 続く攻撃を阻む為、爪先を踏みつける。

 怯まずヴァルリスが鋭い回転切りを放つ。

 剣の腹でどうにか受け止め、敢えて体を浮かせることで勢いを逃がした。

 そのまま相手の剣を真下に弾き落としたが、空中で身動きの取れぬ俺を奴は体当たりで吹き飛ばす。


 倒れれば殺される。

 どうにか着地したがよろめいた所を追撃され、胸元が派手に切り裂かれた。寸前で上体を捻り何とか命までは取らせなかったが、紙一重だった。


「よく凌ぐな、ならばこれはどう捌くっ!?」


「――――――……くっそが!」


 ヴァルリスより超高速で打ち出される不可視の剣撃。

 我武者羅に剣を振るっているのではなく、その一振り一突き全てに思惑がある。


 感性を極限まで研ぎ澄まし、相手の腕や足、目線や呼吸、指先から筋肉の動きに至るまでを読み切れ。

 その先にある思考を予測して、模倣する。

 考えるのではなく、意識を剣に乗せるのだ。思考してからでは間に合わない。


 走馬灯にも似た現象。

 これまで体得した剣技が脳内に浮かび、肉体に流れ込んだ。

 剣が交わると双方の間で稲妻が迸り、剣戟は雷鳴を伴って大気に炸裂する。

 幾重にも折り重なり交錯した数十の剣閃は一瞬に凝縮され、一つの衝撃波となった。


 剣諸共弾かれる両者、息つく暇――――否、息をする暇もない。


 ヴァルリスとの打ち合い、僅かに俺が押し負けていた。

 大きく弾き飛ばされた俺は今度こそ地面に転がった。

 すぐさま態勢を立て直すが致命的な隙を与えてしまう。だが、絶好の好機というのに奴は仕掛けてはこない。

 相手も相応に消耗しているのだ、今距離を詰めてこなかったのが良い証拠。

 どうする? まだ身体は十分動く、呼吸も持つ、奴は片方の視界を失い、息も荒れている。

 引くか攻めるか、体力はこちらに分がある……考えるまでも無い。


 戦いの終わりを予感したのかヴァルリスの表情も変わる。

 他の意図を微塵も感じさせない構え……真っ向勝負に臨む気か。


「来いっ……!!」と、奴の咆哮が耳に届くより速く俺は駆け出していた。


 剣界に侵入した直後に左側面に滑り込んだ。

 足払いを仕掛けて組み付き、太腿を切り付ける。ヴァルリスの口元が微かに歪んだ。

 畳みかけるように掌底を顎にぶち当てるが、何という頑強さかびくともしない。

 驚愕に目を見開いた刹那、こめかみに意識ごと削ぎ落されるかと重い一撃。視界に白い火花が散った。


「~~~~~~ッッッッ!!!」


 危うく意識を手離しそうになったが気合で乗り切った。

 耳鳴りが酷い。

 白んだ意識の中、無防備なヴァルリスの右足が見えた。勢い任せに振るった切っ先で膝上から脹脛を刺し穿つ。

 苦悶の声を漏らして片膝をついたヴァルリスだが、今度は奴が俺の左鎖骨下を貫いた。

 もはや技もへったくれも無い、殺意と暴力が支配する闘争。


 どちらが先に壊すか、はたまた壊れるのか。


「があああああっっ!」


 ヴァルリスが俺に突き刺していた剣を抜くのではなく持ち上げる。

 肩は抉れ、骨や肉片が飛び散る。伴って左腕の感覚が消失した。奴の瞳に勝機が灯る。

 しかしその際、無意識に伸ばした右手はギリギリでヴァルリスの顔面を捕まえていた。

 ヴァルリスは引き剝がそうと試みるが、死んでも逃さない。

 鍛え込んだ握力で顔の皮膚を抉り、そのまま右目を破壊する。

 奴から完全に光を奪った。

 悶える奴は天を仰ぐように跪く。


 やれる、今なら殺せる。ここで決めろ。

 奴の膝から剣を引き抜き心臓へ疾走させる。

 ずぶり、と鈍い感触が伝った。


「――――――見事」


 氾濫する鮮血。

 死の感触を他所に、ヴァルリスは呟いた。


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